第86話

 

 

 

 アルヴィオスの首都ロンディウム近郊に広がるアーガイル侯爵領。

 その館の庭園は、まるで神殿のような白い大理石の柱が立ち並ぶ美しい佇まいであった。季節の花々が咲き誇る花壇は、妖精がいると言われても信じてしまいそうである。噴水には、アルヴィオスで信仰されている妖精の彫刻が座っており、なんとも言えない趣を醸し出していた。


「こ、こちらですぅ」


 案内の村人が手招きする。

 ルイーゼは頭巾で極力顔を隠すようにしながら、案内人について歩いた。隣を歩くセザールは、堂々とした様子だ。

 領主アーガイルは村の美女を求めている。村人の話では、特に金髪美女がお好みのようだ。

 ということで、金髪美少女であるルイーゼと、金髪美女に見えるセザールが、捧げ物として館へ潜入することにしたのだ。

 身なりから、一目で育ちの良い令嬢であることはわかってしまうので、村人が襲った馬車に乗っていた商家の母子ということにしておいた。


「セザール様……い、いいえ、お母様。帽子を被ってはいかが?」

「帽子で顔を隠してしまったら、侯爵が我が美貌に平伏さないではないか」

「ご自分の容姿に絶対の自信がおありなのはわかりましたが、これは侯爵を叩きのめす……いいえ、こちらに引き込むためのミッションなのですわ」

「わかっている。我が美貌で誘惑すればいいのだろう?」

「……間違っていますけど、間違っていないことにしますわ」


 面倒くさくなってきた。

 ルイーゼがげんなりしている一方で、セザールは上機嫌でサラサラのシルバーブロンドをクルクルと指に巻きつけている。


 とりあえず、潜入に成功しなければ。

 なにか弱みが握れないか探るのだ。

 案内の村人が館の扉に呼びかけると、すんなりと開いた。こうして、「捧げ物」を持って村人が来るのに、慣れているのだろう。すぐに、ルイーゼたちは一階の部屋に通された。

 応接室のようには見えない。使用人が使いそうな質素な部屋だが、一応、窓や暖炉もついている。ここに、「捧げ物」を持ってきた村人を通すのかもしれない。

 しばらくすると、館の執事が入室する。


「失礼いたします」


 慇懃に一礼すると、執事は慣れた態度でルイーゼたちの容姿を眺めはじめた。彼が主の元へ連れて行くか判断しているのだろう。


「ほう。これは美しい……」


 執事は見惚れたように、二人を眺めていた。

 当たり前だ。ルイーゼは社交界の薔薇とも称される美しい令嬢である。品行方正、聡明で美しい深窓の令嬢。それこそが、ルイーゼなのだ。使用人が見惚れてしまうのも無理がない。

 しかし、今は村人たちに無理やり連れて来られた商家の娘を演じなければならない。ルイーゼは必死で高笑いを禁じた。


「そちらの娘は侯爵様の元へ。母親の方は、私が!」

「は?」


 執事は嬉しそうにセザールを指名して、他のメイドたちに指示を与えていた。案内人の村人は報酬らしき革袋を受け取って、帰らされる。

 どうやら、執事のお好みはセザールのようだ。そういえば、歳も近そうである。

 ということは、先ほどの「これは美しい」はセザールに向けられた言葉であり……ルイーゼは、ムッと唇を尖らせた。見上げると、セザールは勝ち誇った笑みを浮かべている。


「領主への供物を、使用人の分際で手を付けるのは、如何なものかと思うがな」

「セザ……いいえ、お母様。久々にマトモなことを言いましたわね。そうですわ。あとで、領主様に言いつけてやりますわ!」


 マトモなことを言ったセザールに同調して、ルイーゼも声を上げた。今、セザールが執事にお持ち帰りされて、男と露見するのも面倒くさい。

 すると、執事は「ぐ……」と低く唸る。


「しかし、そちらのご婦人は……」

「いいから、我らを領主の元へ連れて行け」


 口答えする執事を遮って、セザールが鋭い眼光で睨む。商家の母子という設定のはずなのに、歴戦の勇士らしさ丸出しである。一般人では太刀打ち出来ないほどの殺気とオーラを放っていた。


 ルイーゼは苦笑いした。相手は使用人とはいえ、やりすぎではないか。

 けれども、執事はその視線に身悶えするように、身体を震わせた。

 あら? この表情、物凄く既視感が……。


「素晴らしい! その視線、最高でございます!」


 どこの執事も、ドMですか! ルイーゼは思わず叫びたくなるのを抑えた。

 ジャンのようなことを言いはじめる執事を、ルイーゼは冷ややかな視線で眺める。

 うん。使用人に転生したことがないのでわからないが、彼らも大変なのだろう。そう思うことにした。


「では、こちらへどうぞ!」


 先ほどよりも嬉しそうに、執事がテンション高くルイーゼたちを案内する。鼻息が荒くて、なんだか気持ち悪……いや、とても興奮しているようだ。

 執事に導かれて、二人は館の二階へと向かう。

 多少のアクシデントはあったが……今のところ、二人が疑われている様子はない。


「旦那様、村人が女性を連れて参りました」


 執事はそう言って、重厚な樫材の扉をノックした。


「おお。今度はどうだ? 少しはマシか? 田舎娘は芋臭くてな……」


 そう言いながら、部屋の主――アーガイル侯爵がワインを片手に顔を上げた。

 傍らには、いたいけな表情をした娘が立たされている。村の娘だろうか。ルイーゼたちのことを、複雑そうな目で見ていた。

 事前にギルバートから聞いた話では、アーガイル侯爵は三十手前と聞いていたが、もう少し若く見えた。

 嫌味で鼻持ちならない表情をしているが、顔立ちは整っている。優しい顔で近づけば、村の女など要求しなくとも、その辺の女が釣れそうだが……如何わしい趣味でもあるのかもしれない。


「おお、これは素晴らしい!」


 ルイーゼとセザールを見て、アーガイル侯爵が声をあげた。彼は執事に「よくやった!」と叫びながら、真っ先に二人の元へと歩み寄る。

 隣のセザールが「ふん」と、鼻を鳴らしていた。この四十路のオッサン、美しさを認められるなら、男でも女でもいいのか。

 それでいて、女にも男にも恋愛的な意味で全く興味を示さない。ある意味、オネェのユーグの方が健全かもしれない。


「私の好みだ!」


 アーガイル侯爵はそう言うと、両手を広げた。セザールが当然のように胸を張る。


「良い。良いぞ! 最高だ! この美しい瞳の色、冷たい眼差し、気丈だが可憐な唇……そして、輝くような金髪!」


 次々と、美を称える言葉が飛び出す。セザールが、ますます得意げに笑った。


「少々背が小さいのが、またいいな。可愛らしい。この、未発達な胸囲が私好みだ! 青いつぼみのような乙女ではないか! 愛らしい!」

「は?」


 賛辞の数々を聞きながら、セザールが眉を寄せた。彼は背が高いし、可愛いのカテゴリーには入らない。

 そんなセザールに目もくれず、侯爵はまっすぐに、しっかりと、ルイーゼの手を握った。


「最高だ! 君こそ、私の理想だ。なにもかもチンチクリンで愛らしい! 名はなんと申す?」


 チンチクリン……? は?

 ルイーゼも、思わず眉を寄せた。

 侯爵は上機嫌で笑いながら、ルイーゼの肩に触れる。その手つきが無遠慮で、実に腹立たしい。


「なん……だと……? 我の方が美しいのに」


 いやいや、どうして、あなたがショックを受けているのですか!?

 セザールは隣で信じられないと言いたげに呆然としている。

 しかし、侯爵は構わずベタベタとルイーゼに触れてくる。手つきが厭らしくて、ねちっこくて、ルイーゼは鳥肌が立ちそうだった。いや、鳥肌ものだ。チキン肌である。気持ち悪い。

 だが、耐えなければ。機を見計らわなければ……。


「この断崖絶壁が堪らない!」


 侯爵はそう言って、ルイーゼの触れてはいけない部分に、ソフトタッチ。

 ルイーゼは、遠慮なく触れられた侯爵の手を、静かに見下ろした。


「断崖……絶壁……」


 唇がプルプルと震える。

 ルイーゼは耐えきれずに、自分の胸部に触れていた侯爵の手を叩き落としてしまった。


「誰が断崖絶壁ですって!? このロリコン変態侯爵! お父様にも触らせたことがないのに!」


 人が気にしていることをズケズケと! ルイーゼは怒り狂って叩き落とした侯爵の腕を掴む。

 そして、見事な一本背負いを決めた。


「ぐっ、がっ!?」


 間抜けな声を上げて、侯爵が床に叩きつけられた。その額を、ルイーゼは靴でグリグリと踏みつけてやる。


「わたくしの慎ましやかな谷間に触れようなどと、甘いのですわ!」

「いや、谷間など、なかっ……」

「お黙りなさい!」


 ガッガッと踏みつけた。すると、便乗してセザールまで、侯爵の腹を蹴りはじめた。


「我も断崖絶壁なのに!」

「あなた、胸筋結構ありますけどね!?」


 セザールは女装時、身体のラインが隠れる服を着ているが、男装時は身体つきが一目でわかる。とはいえ、やはり、この四十路、なにを基準にして生きているのか、サッパリ理解が出来なかった。ついでに、部屋の隅では執事が物欲しそうにこちらをみている。


 けれども、ルイーゼはここにきてハッと我に返る。

 しまった! つい、アーガイル侯爵を叩きのめしてしまった!

 こんな予定ではなかった。ルイーゼは失態に慄き、頭を抱える。その間にも、セザールは侯爵の身体をガンガン蹴り続けていた。


「どうしましょう」


 思えば、前世からそうだ。ついつい感情に流されて自制出来なくなるときがある。悪い癖である。だから、刺されて死ぬのですわ!

 が、絶望するルイーゼの足を、侯爵が掴んだ。


「す……素晴らしい。最高だ!」

「は?」


 空耳のような声が聞こえた。

 ルイーゼが目を瞬かせていると、侯爵は嬉しそうに顔を紅潮させて縋りついてくる。


「いいぞ、私の理想だ! もっと殴ってくれ! マイハニー!」

「へ? え?」


 目が点になった。対するアーガイル侯爵の目は、文字通りメロメロであった。

 ワケがわからず固まっているルイーゼを余所に、セザールが「何故、我ではないのだっ!」と言いながら、容赦なく蹴り続けるのだった。

 

 

 

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