或る騎士の闘争

 

 

 

 その男は、あらゆる意味で規格外だった。

 貴族でもないのに十五歳で近衛騎士に叙任された少年がいるという話を、カゾーランはにわかに信じ難かった。自分も十八で叙任されたが、それは前世の記憶に頼るものが大きいし、前例がない年齢ではなかったのだ。


 フランセール人には珍しい暗闇のような黒髪と黒い瞳。真紅に彩られた近衛騎士の制服があまり似合わず、やや浮いて見える。表情は少年とは思えないくらい大人びていて、話しかけ難い独特の雰囲気を醸し出していた。

 名前はクロード・オーバン。

 十五歳にしてカゾーランと並ぶほどの実力があると目されている。次期≪双剣≫を荊棘騎士セザールが蹴ったことで、彼が候補に挙がっているらしい。


「一つ手合わせをお願い出来るかな?」


 軽い気持ちで誘うと、少年は詰まらなさそうにカゾーランを見上げた。


「俺には貴族相手のお稽古お遊びは出来ませんよ」


 一応、敬語を使いながら、クロード・オーバンは嘲笑うように唇の端を吊り上げる。

 物珍しがって手合わせを願う輩だと思われたのだろう。この言い草だと、カゾーランの他にも申し込んだ人間がいたのかもしれない。


「遠慮は要らぬ。おぬしの好きなように戦え」


 舐められたものだ。カゾーランは自分の槍を持ち上げて、軽く笑った。


「わかった。あとで文句を言っても知りませんから」

「その言葉、そのまま返してくれようぞ」


 結論からすると、カゾーランはクロード・オーバンを舐めていた。

 最初は槍の間合いでカゾーランが翻弄していたが、細い片刃の剣から繰り出される妙技に意表を突かれた。恐ろしいほど無駄がなく、しなやかで、鮮やかな剣だと思う。


「おぬし、なかなかやるな!」

「そっちこそ……こんなに長引くのは何十年ぶりか」


 少年とは思えぬ力と、少年らしい俊敏な身のこなし。

 クロード・オーバンはカゾーランの懐まで間合いを詰める。カゾーランはとっさに刃を受け流した。


「くく……ははははっ! やばい、テンションあがる!」


 高揚した様子で、クロード・オーバンは笑っていた。先ほどまで退屈そうに座っていた少年とは思えない。純粋に楽しそうな笑声を上げながら剣を振っていた。あまりに無邪気で、逆に恐ろしくも感じる笑いだ。

 だが、一方でカゾーランも笑っていることを自覚した。何故だかわからないが、自然と笑みが込み上げる。


「ぐッ……!」


 本気で斬るつもりで振り降ろされた剣を槍で受ける。それくらいしなければ、カゾーランを倒せないと判断したのだろう。

 カゾーランも本気だった。受けた刃をそのまま力任せに押し返し、槍を払う。けれども、少年は怯むことなく、次の構えを取る。

 一歩、前に踏み込んで刺突が放たれた。カゾーランは受けると同時に、槍で一撃を薙いだ。


「なにっ!?」


 確かに踏み込みは一度だったはずだ。が、一瞬で複数の突きが繰り出されていた。それほど、相手が速いということだ。カゾーランは対応出来ずに、攻撃を受けて槍を手放してしまう。

 顔の目の前でピタリと刃が止まる。実戦であれば、そのまま額を貫かれていただろう。少年がニヤリと笑って、息を整えていた。


「三段突きって言います。新撰組、好きだったので」

「しんせん……?」


 クロード・オーバンは笑いながら、剣を鞘に収める。若干息が上がっていたが、涼しい表情だ。

 一方、カゾーランは恐ろしい男を前にした気がして、鳥肌が立った。


「ぐ……筋肉が足りぬのか……」


 これまで負けたことがなかった自分が、いとも簡単に……荊棘騎士が≪黒竜≫を辞退して、彼に譲ろうとしているのも頷ける。


「また手合わせお願いします。あなたなら、いい練習相手になりそうだ」


 悪気はないだろうが、嬉しそうな顔に少し腹が立った。いや、嫉妬だろうか。

 カゾーランは男に生を受けて十八年、必死で鍛錬してきた。王国最強とまで言われるようになった自分が負けるとは思ってもいなかった。

 目の前の少年が妬ましい。

 だが、興味深かった。

 カゾーランの方も、自然と笑みがこぼれる。


「ああ、またお相手願うよ……クロード」


 親しみを込めたつもりで名を呼ぶと、相手もそれを察したらしい。


「では、遠慮なく。これからも、頼む」


 言いながら、クロードは片手をカゾーランの前に差し出した。同僚とは言え、身分が低い者から握手を求めるのは礼節として良くはない。

 しかし、不思議と自然な気持ちで受け入れられた。剣だこが出来た掌を合わせるように、カゾーランは握手に応じる。

 そのとき、初めて対等の友人を得た気分になった。




 † † † † † † †




 国王アンリ三世が即位したことによって勃発した継承戦争は六年間続いた。

 長期の戦争は国力の疲弊を招く。だが、フランセールでは内政の強化が進み、国王の元に国が一丸となる体制が築かれていた。生まれた王子も二歳になり、将来が期待されている。

 恐らく、しばらくは平穏な日々が続くだろう。

 戦いに明け暮れてきたカゾーランたちなど、不要な時代が訪れるのだ。


「クロード、こっちはどうだ?」


 ニヤリと笑いながら、カゾーランはクロードの手元に手紙の束を押しつけた。すると、クロードは心底嫌そうに表情を歪めて、息をつく。


「要らん。断ってくれと言っているだろう」

「安心せい、リュシィが厳選済みである」

「そういう問題じゃない。いつから、お前は俺のマネージャーになったんだ?」

「まねーじゃー? とりあえず、目だけでも通してくれぬと、こちらの面子もある」


 無理やり押し付けると、クロードは不機嫌すぎる表情で椅子に腰かけた。

 近頃、カゾーランの元には見合いの申し入れが山のように届くようになっていた。

 勿論、既婚者であるカゾーラン宛てではない。もう二十一歳だというのに結婚していない≪黒竜の剣≫の妻の座を狙う令嬢たちである。本人に打診してもすぐに逃げられてしまうので、友人であるカゾーランを経由して申し込んでくるのだ。しかも、だいたい妻のリュシアンヌに話を通してくるので、断りきれない。

 クロード・オーバンは戦争で武勲を立てた王国最強の騎士だ。爵位はないが、もう少し歳を重ねた頃合いに領地と位を与えるのが妥当だろうと、重鎮たちの間でも話し合われている。

 今のうちに結婚してしまえと狙う令嬢は多い。貴族だけではなく、商家の娘たちも名乗りを上げるものだから、膨大な数の見合い話が舞い込んでいる。


「結婚は嫌か。セザールといい、おぬしといい……意地を張るのもいい加減にせぬか?」

「あの変人と一緒にしてくれるな……自分だって、俺くらいの歳にフラフラと煮え切らん態度で女遊びしていたくせに。両手に女を抱えて歩いているのを見たときは、後ろから首を落としてやろうかと思ったぞ」

「そのことは忘れよ。筋肉が足りなかったのだ。女々しい過去など捨てたわ……むしろ、おぬしこそ少し遊んでみた方がいいのではないか?」

「は?」

「その歳で未経験では――」

「なッ……違うッ! 違うぞ!? 俺だって、それなりに、だな……! 前世……いや、ここ最近縁遠かっただけだッ!」


 明らかに動揺している。普段は涼しい表情をしているが、面白いくらい顔が赤くなっていた。十代の小僧のような反応を、カゾーランはニヤリと眺める。


「もう何年経ったと思っておる。セシリア様に義理立てする必要もなかろう。むしろ、迷惑だと思うがな」


 セシリア王妃の名を出すと、クロードは表情を変えた。


「別に義理立てしているつもりはない」


 クロードは静かに語って、手紙の束に視線を落とす。手持ち無沙汰に一、二枚捲るが、あまり興味が湧かないようだ。机の上に投げ出してしまった。


「見ていればわかる。王妃陛下は、ご自分の幸せを見つけているし、たぶん、俺なんかよりも、ずっと陛下や殿下の方が大切だろう」

「わかっておるなら、尚更」

「俺にも意地がある」


 クロードはきっぱり言うと、椅子から立ち上がった。胸に金の刺繍が入った≪黒竜≫の制服が衣擦れの音を立てて翻る。


「俺は納得のいく形でハッピーエンドを迎えて、『どうだ、俺の方が幸せだろう?』って、王妃様――セシルに自慢してやるんだ。領地でも授かることになったら、妻くらい娶るべきだろうが、もう少し先の話みたいだからな。今すぐ結婚する必要はない」


 晴れ渡るように清々しい表情を浮かべて、クロードは淀みなく言った。

 セシリア王妃が結婚した頃に荒れて敵兵の首を狩りまくっていた男とは別人のようだ。

 既に断ち切った。そう言っているのだと感じる。


「そうか。では、必要になったら、このカゾーランを頼れ」

「まあ、その気になったら考えてやろう。好きな女でも出来れば、お前の世話にならなくとも、勝手に結婚してやるがな」

「しかし、その歳で未経験では相手も困るだろうから、その手の知識も教え――」

「そこは心配しなくていいからなッ!?」

「からかっただけである」


 軽く笑ってやると、クロードがブスッとカゾーランを睨む。無表情で澄ましていることが多いが、こういうところは、まだまだ青二才か。昔から、あまり変わらない。

 これまで、戦争が日常だった。しかし、これからは平和が続く。いや、続かせなければならない。カゾーランはそう思う。


 ふと、クロードと出会った頃のことを思い出した。

 つまらなさそうに黙っていた少年。世界を悲嘆するような、飽いたような眼で周囲を見ていた。だが、剣をとった瞬間に活き活きと、そして楽しそうに表情を変えていた。

 いつだってそうだ。クロードはいつも、あんな顔で戦場を駆けていた。

 人の生き血を浴びて嗤う首狩り騎士。そんな風に呼ばれて闘争に生きた男は、これから、どう過ごしていくつもりなのだろう。


「クロード」


 声をかけると、クロードは訝しげに振り返った。思いのほか、カゾーランの声が重くなっていたようだ。


「なんだ、まだなにかあるのか?」


 問われて、カゾーランは言葉に詰まった。なにを言うべきか、見失ってしまう。

 だが、自然と声が言葉になる。


「――また手合わせしよう。いつでも相手になってやるぞ」

「は? なにを改まって。気持ち悪いんだが……お前以外に、俺の相手が出来る奴はいないだろう?」


 当然のように言って、クロードは腕を組む。息を吸うように自然な言葉だった。

 それがスッと胸に落ちる気がして、カゾーランは微笑する。


 二年後に、その男を刺し殺すことになるなど、考えもしなかった。

 

 

 

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