第78話

 

 

 

「ルイーゼ……!」


 ライオンを飛び降りるエミールから、ルイーゼは思わず目を逸らした。

 どうして、エミールがいるのだろう。

 理由がわからない。混乱してしまう。でも、やっぱりライオンはかっこいい。


「船を戻して頂けますか……殿下を連れていくわけには参りません」


 エミールはフランセールの王子だ。連れていけない。

 状況を見たところ、供はユーグとアロイスしかいなかったようだ。もしかすると、アンリに秘密のまま王都を発ったのかもしれない。今頃、王宮が混乱している可能性もある。


「ぼ、僕が戻ったら、ルイーゼも戻ってきてくれる?」


 エミールが不安そうに、ライオンに抱きつく。

 ライオンは獰猛な牙を見せながら低く唸っている。頭の上では、ポチもシャーッと口を開けていた。この王子、引き籠りから猛獣使いにジョブチェンジしたらしい。

 ライオンは非常にかっこいいが、今は関係ない。ルイーゼは、まっすぐエミールを睨んだ。


「戻りませんわ。わたくしには、やらなければならないことがございます」


 当初、ルイーゼはアルヴィオス行きに乗り気ではなかった。だが、今は違う。

 ギルバートは宝珠の研究をしている人間を知っていると言っていた。

 不確定要素ではあるが、ルイーゼは知りたいのだ。

 何故、自分が宝珠を持って生まれたのか。どうして、自分には二つの前世があるのか。前世の自分はなにをしたのか。

 真相を知りたいと思っている。


 船は帆に風を受けて波の上を進んでいくが、港を出て間もない。今からなら、引き返すのは容易だろう。


「ル……ルイーゼが一緒に来てくれないなら、僕も一緒に行く!」


 エミールは身体を震わせながらも、大声で叫んだ。出会った頃のように、モゴモゴとハッキリしない喋り方ではない。自分の意思を持って、明朗な声で告げていた。


「そのようなことが許されるはずがありません。殿下には、王都へ帰って頂きます」

「い、嫌だ。僕はルイーゼと一緒じゃないと帰らない!」

「わがままはいい加減にしてくださいませ」

「僕だけ帰れって言うんなら、僕……ぼ、僕、船から飛び降りてやる!」


 エミールは海を指差して顔を真っ赤にして叫んだ。足元がガタガタ震えていて、怖がっているのがわかる。そもそも、海を見るのが初めてなのだ。ずっと引き籠っていたので、泳げるはずもない。

 言うことを聞かないと、死んでやる。そういう脅しだと理解出来た。


「そのようなことを、口にしないでくださいませ!」


 ルイーゼは思わず叫んで、エミールの前へと大股で歩いた。

 そして、緊張して真っ赤になっていたエミールの頬に、鮮やかな右ストレートを叩き込む。平手打ちなどヌルい。グーパンである。

 エミールが吹っ飛ばされて甲板に倒れる。ポチとライオンが牙を剥いているが、ルイーゼが射るように睨みつけると、大人しくなった。


「引き籠り姫が脅迫など、十年早いのですわ!」

「脅しなんかじゃ、ないっ! 僕はルイーゼを連れ戻しに来たんだッ!」


 エミールが泣きながら、殴られた頬を押さえている。それでも、引かないようだ。

 エミールが立ち上がる前に、ルイーゼは木刀を突きつけた。木刀の切っ先が目の前に迫り、エミールの表情が固まる。


「両足の骨を折って、港に突き返しますわ」


 強硬手段も辞さない。そんな姿勢を見せて、大袈裟に木刀で甲板を叩いた。大きな音に驚いて、エミールは身を強張らせる。

 しかし、エミールは立ち上がった。


「……や、やれるんなら、や、やややってみてよ! 僕、ま、負けない……!」


 エミールは震えながら宣言する。

 あんなにガタガタと震えた手足で、なにが出来るのだろう。涙を流しながら、必死で歯を食いしばっている状態だ。


「ルイーゼは、く、首狩り騎士って言ったけど……ぼ、僕、そんなの怖くないから。全然、平気だぞッ!」


 明らかな強がりを言いながら、エミールの腰がどんどん引けていく。典型的なへっぴり腰だ。ライオンも心なしか、心配そうな表情をしている気がした。

 ルイーゼは容赦なく木刀を構えた。わざと、必要以上の殺気を放つ。周囲の温度が数度下がったような感覚があり、ボーッと見ていた乗組員の一人が身震いしていた。

 エミールは蒼い顔をしながらルイーゼを見ている。目を逸らさないだけ及第点か。


「ヤァァァァアッ!」


 ルイーゼは甲高い声をあげて、エミールに向けて木刀を振った。エミールは避けることも出来ず、そのまま一撃を胴に受けてしまう。


「う、ぐうぅッ」


 だが、エミールは呻きながらルイーゼが叩き込んだ木刀を抱きこむように掴んだ。これで動きを封じるつもりらしい。


「甘いですわっ!」


 ルイーゼは木刀を手放し、思い切りエミールを突き飛ばした。エミール相手なら、鞭や素手でも勝てる。


「うああああああッ! ふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさん!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ですわッ!」


 エミールは突き飛ばされながらも、ルイーゼの手を掴んだ。このまま一緒に倒れるつもりか。

 だが、エミールは予想外に、その場で足を踏ん張っている。そして、掴んだルイーゼの指を力一杯、明後日の方向にねじ曲げた。


「…………ッ!?」


 基本的な護身術だ。

 そういえば、彼は最近、ミーディアから剣の手解きを受けているのだった。なるほど、女性が使いそうな手だ。

 怯んだ隙に、エミールはルイーゼの足を踏もうとする。だが、その程度の攻撃で屈するルイーゼではない。逆に腕を掴んで、ねじ伏せてやった。


「お、おねがい!」


 エミールが叫ぶ。

 気づいたときには遅かった。ルイーゼの横から、ライオンが覆い被さるように飛びついてくる。


「なッ!?」


 ライオンを使うなんて、卑怯ですわ!

 しかし、そんな文句は通じない。エミールばかりに気を取られていたルイーゼが悪いのだ。

 両肩に前足を置かれた状態で、ルイーゼは呆気なくライオンに捕捉されてしまった。


「ゲホッ……う、ッ」


 エミールが脇を押さえながら肩で息をしている。満身創痍といった様子だ。立ち上がるのにも時間がかかっていた。


「ま、負けた……?」


 そう呟いて、ルイーゼは蒼い眼を見開く。

 わたくしが? このわたくしが? こんな軟弱王子に、負けた?

 勝負事に負けたことがない、わたくしが?

 油断しすぎていたのか。ルイーゼは信じられずに、口をパクパク開閉させる。目の前にライオンの顔が迫り、凄味のある咆哮をあげていた。ルイーゼを食べる気はなさそうだが、負けを認めさせようとしている気がした。


「ごめん、ルイーゼ。大丈夫?」


 ライオンを退かせて、エミールがルイーゼの前に座り込む。

 先ほどまでは痛みと恐怖で泣いていたが、今度はルイーゼが怪我をしていないか心配で泣いているようだ。彼は折れそうなくらい細い腕で、ルイーゼの手を握った。


「ルイーゼ、ご、ごめん……ごめんッ」


 いろいろ、わけがわからない。

 あんなことを言ったのに、どうして、エミールはルイーゼなど追いかけてきたのだろう。そもそも、どうしてライオン? そして、何故自分は負けてしまったのか。

 ルイーゼは頭がクラクラして、しばらく起き上がれそうになかった。


「僕……ルイーゼに聞きたくて……ルイーゼ。僕は君に聞きたいことが、あるんだよ」


 いつまでも起き上がろうとしないルイーゼの肩に、エミールが手を置く。ルイーゼは黙って、その顔を見上げた。


「ルイーゼは、首狩り騎士、なの……?」

「そう……ですわ。前世ですが」


 エミールから目を逸らす。わざわざ、そんなことを確認しに来たのか。聞かれたところで、事実は変わらない。


「聞かせてほしいんだ。僕は……知らないから……母上のこと、聞かせてほしい」


 その言葉を聞いて、ルイーゼは再びエミールに視線を戻した。

 彼の表情は泣いていたけれど、思っていたより穏やかで、少しだけ笑おうとしている。


 てっきり、糾弾されるものだと思っていた。

 けれども、エミールはルイーゼの授業を受けるときと同じように、純粋な目でこちらを見ている。

 そんな表情を見ていると、自然に口を開きたくなってくるではないか。


「……前世のわたくしは、現場主義だったので王都にあまり帰りませんでしたから……陛下に聞かれた方が、お詳しいと思いますわよ」

「僕は、ルイーゼの話が、聞きたい……ルイーゼのことも、もっと知りたいから」


 ルイーゼはようやく起きあがって、エミールの顔を見た。

 苦手な眼をしていた。

 まっすぐに、こちらの心を覗き込んで射抜くような視線だ。心の中まで踏み込まれる気がする。セシリア王妃によく似た眼。


 ルイーゼには前世の記憶がある。

 しかし、最近になって、その記憶に抜け落ちた部分が多いと気づかされた。ルイーゼは、エミールが知りたいことに対して、的確に答えられる自信がない。おまけに、もう一人分の前世まであると知って、混乱の真っ最中である。

 それでも、今伝えたいことを、伝えることにした。


「わたくしは……前世のわたくしは、王妃様のことを、とても大切に想っておりました。何度も転生を繰り返しましたが、初めて、心より尽くしたいと思った方です」


 何度も何度も転生したというのに、恋をしたのは、後にも先にも一度だけだった。

 そんな感情なんて、くだらない。なんの得もしないし、意味がない。ルイーゼの価値観とは大きくかけ離れている。ただ恥ずかしいだけで、完全なる黒歴史状態だった。

 でも、今思い返して、スッと胸に落ちる。


「それって、その……好きだったの?」

「報われませんでしたが。ですが、それでよかったのですわ」


 恋はある時期を境に消えていた。

 自分に手に入れることが出来なかったからではない。ただ、それも一つの想いの形だと気づいたのだと思う。


「人を想う気持ちは、愛や恋ばかりではないのです」


 ずっと目を背けてきた過去に折り合いをつけるように、ルイーゼは目を閉じた。

 あれは、きっと恋ではなくなっていた。それでも、大切で、愛しくて……この手で守りたかった。

 だから、今は知りたいと思う。

 前世の自分になにがあったのか。向き合いたいと思っている。




 結局、エミールを乗せたまま、船は沖へと進んだ。

 フランセールの王子であるエミールを連れていくことは危険だ。しかし、了承しないギルバートをセザールが力技でねじ伏せて、黙らせてしまった。

 もうこの四十路怖すぎる。いつの間にかドレスに早着替えするし、本当に意味がわからない。

 エミールの護衛もセザールに任せる代わりに、ルイーゼは自分の身は自分で守らなければいけないわけだが……元から、ある程度覚悟していたことだ。

 一度、大陸の港に寄って物資を補給してから、島国であるアルヴィオスを目指す。元々、その航路を予定していたし、アロイスが船に乗せた馬も降ろしたい。あと、エミールが連れてきたライオンの食料が馬鹿にならなかった。


 因みに、引き上げた錨にジャンがつかまっていたことに気づいたのは、沖に出て随分と時間が経った頃の話である。


「お嬢さま、よろしゅうございます! やっと、お会い出来て、ジャンは嬉しゅうございます!」


 ジャンは相変わらず平気な顔でそう言って、お仕置きを求めていた。

 この執事、いったいなにをすれば死ぬのか甚だ疑問である。



「ルイーゼ」


 甲板に出て夜風に当たっていると、エミールが声をかけた。

 ルイーゼには個室が与えられていたが、隣の船室でギルバートを囲んだ乗組員たちが酒盛りをはじめてしまったのだ。うるさくて、甲板に逃げ出してきた次第である。


「なんだか、にぎやかで楽しそうだね」


 引き籠りだった頃のエミールは絶対に言わないことだ。ルイーゼは少し驚きつつも、船室に視線を移した。


「ご一緒すればいいではありませんか」

「それは、ちょっと……あと、タマに餌もあげないと」


 ライオンの名前は、ルイーゼの趣味でタマに決まった。ポチに合わせるのが様式美である。

 タマは鎖に繋がれて不機嫌そうだったが、エミールが来ると「ごろにゃぁ」と高い声でジャレはじめる。

 聞けば、サーカスで逃げ出した猛獣だそうだ。

 猛獣使いよりもエミールに懐いてしまい、ついてきたのだという。十中八九、一緒にいたユーグが買い取る形になったのだろうが、その辺りはエミールにはわからないらしい。

 まあ、ルイーゼとしてはかっこいいので、万々歳だが。ライオン、かっこいい。美しい。もう最高にキュンとくる!


「ねえ、ルイーゼ」


 タマに餌をやりながら、エミールがこちらを振り返る。ルイーゼが首を傾げると、エミールは少し顔を赤くして俯いた。


「ごめんね」

「昼間のことなら……」

「そうじゃなくて、その。僕、怖がりだから」


 タマが肉の塊を、大口を開けて咀嚼している。夜の波音と、咀嚼音、賑やかに騒ぐ船室の声が、無言の静けさを際立てていたと思う。

 エミールには、前世のことや旅の目的は全て話した。

 宝珠のことをアンリに断りなく話すことは躊躇われたが、いずれ知ることだ。


「僕、本当はちゃんと、わかってたよ」


 餌を全てタマの前に置いて、エミールはルイーゼの方に歩み寄る。そして、夜空を照らす星の海を見あげた。

 遮るものがない夜空には満点の星が輝き、地上を見下ろしている。

 日本にいた頃の星座は見えない。代わりに、こちらの世界でも、似たような理屈で作られた神話由来の星座がいくつも存在している。余談だが、カゾーラン座も検討中らしい。筋肉隆々版でお願いしたいものだ。


「首狩り騎士は、僕のこと、守ってくれたんだよね……悪魔なんかじゃないって……ちゃんと、知ってたんだよ……でも、僕怖くて……」


 エミールの表情を見ると、少し曇っている。今でも怖いと思っている感情は変わらないらしい。それでも、彼は懸命に平気だと告げようとしていた。


 記憶に該当する出来事はある。

 あれはエミールが四歳になる少し前。終戦して間もなくの頃だったか。

 セシリア王妃の提案でエミールを連れて、郊外の花畑へ行ったのだ。あまり王都に寄りつかない前世の自分だったが、このときはたまたま居合わせて、渋々同行した。

 戦争では傭兵を雇うことも多い。そして、終戦後は職に溢れた傭兵が山賊などになることも少なくはなかった。

 恐らく、そんな連中だったのだろう。花畑に向かう途中の母子の馬車が襲撃された。

 エミールの前で殺生したのは、あのときしか思いつかない。

 幼い子供がいるのに、テンションあがって容赦なく殺しまくった自分が悪いのは明白だった。終戦して戦場に出る機会がなかったせいで、ストレスが溜まっていたのだ。まさに、「ウェーーイ!」なテンションだったと思う。いやもう、「ウェーーイ!」していたと思う。やっぱり、七番目の前世はアホの脳筋だ。

 あとで、セシリア王妃にも懇々と説教された。五時間の正座は流石にキツかった。

 まさか、あれが原因でエミールが引き籠るとは思ってもいなかったが。


「ありがとう、ルイーゼ……あとね」


 エミールはおっかなびっくりルイーゼの手を両手で握った。

 俯いているせいか、表情はよくわからない。ただ、いつもより声が震えて力がこもっていた。


「ルイーゼは、僕のこと、その……好きじゃないと思う。でも、僕は、ずっとルイーゼのこと……好きだから……憧れなんかじゃなくて……好きだから!」


 エミールは顔をあげない。それでも、耳が真っ赤になっているのがわかった。

 フラグは折らなければ。叩き潰さなければ。そう思うが、ルイーゼはエミールの手を払うことが躊躇われた。


「僕が勝手に、す、好きなだけだから……ルイーゼには、迷惑かけないように、がんばるから……この前は、ごめん」


 ルイーゼは呆れた顔を作って、息をつく。


「そのお気持ちが、迷惑なのですわ。わたくし、ハッピーエンドを目指していますので」

「はっぴーえんど?」

「幸せに死にたいのですわ」


 これまでの前世は、ずっと悪党になって刺されて死んでいる。そんな未来を避けるために、ルイーゼはバッドエンドフラグを折らなければならない。

 エミールと結婚すれば、将来は王妃だ。絶対に野心が湧く気がする……断固として拒否だ!


「ルイーゼにとって、幸せってなに?」

「え?」


 エミールが顔をあげて、真面目に問う。あまりにも真剣な表情だったので、ルイーゼは思わず黙ってしまった。


「どうすれば、ルイーゼは幸せになれるの? なにがルイーゼの幸せなの?」

「そ、それは……刺されて死ななければ、いいのですわ」

「刺されなかったら、幸せなの?」


 子供の純粋な質問攻めのようなものだ。「赤ちゃんって、どうやって出来るの?」と同じレベルの質問だろう。

 それなのに、ルイーゼは口を半開きにしたまま、エミールの問いに答えることが出来なかった。


 幸せな結末って、いったいなんなのでしょう?

 

 

 

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