第77話

 

 

 

 挨拶も済ませて、早速、ルイーゼたちは船に乗り込むことになった。

 用意されていたのは、小型艇だ。最小限の乗員と船室が備えられ、速さに特化した造りになっている。

 ダミーのアルビンが乗る予定の船の方が立派で豪華だが、ルイーゼとしては、どちらでもよかった。

 一応、ルイーゼが女ということで配慮され、個室が与えられる。その他、ギルバートたち男性は同じ部屋に雑魚寝らしい。申し訳ないと思ったが、やはり、年頃の令嬢が男に混じって雑魚寝するのは、よろしくない。


「俺たちのことは気にしないでくだせぇ、姐御!」

「ギルバート殿下の第二夫人に不自由はさせられません!」

「むしろ、俺は殿下と一緒に寝られて万歳です!」


 海賊、もとい、海兵の面々が勝手にギルバートの第二夫人候補としてルイーゼを祭りはじめる。目の前に酒を並べられたり、パタパタと扇で風を送ってくれたり、神輿のようなものに乗せられたりと、謎すぎる好待遇だった。

 言ってみれば、王族の側室になる娘だ。邪険に出来ないのはわかるが……。


「納得いきませんわ」

「全くだ。我の方が美しいのに」


 セザールが不機嫌そうに煙を吐いている。


「よろしかったら、お使いになりますか?」


 ルイーゼは苦笑いしながら、セザールに鞭を差し出してみた。

 最近、ジャンがいないので、めっきり使っていない。そういえば、今頃どうしているだろう。シャリエ公爵邸には、旅行に行くと手紙を出したので大丈夫だと思うが。


「ふむ」


 セザールはつまらなさそうに鞭を受け取り、手の中でしならせてみている。そして、偶然近くを歩いていたギルバートの後頭部を思いっきり鞭打った。


「いッ……! おい、なにするんだよ。痛いじゃ――った!? また打ったな!?」

「ふん、なるほど。これは面白いな」


 痛がるギルバートの顔を鞭の先で突きながら、セザールは感心した声をあげる。

 ギルバートは本気で怒ったらしく、セザールに殴りかかった。だが、セザールは意に介さぬ様子で拳を避けて、ギルバートの足を引っ掛けて転倒させる。

 地に膝をついたギルバートの頭をそのまま踏みつけて、セザールは男っぽい快活な声をあげて笑った。


「ちょっと、いくらなんでも、やりすぎでは……」


 異国の海兵の前で王子を痛めつけるのは、やりすぎではないか。ルイーゼはヒヤヒヤと周囲を見回した。


「す、すげぇ。殿下を手懐けてるぜ。なんか、羨ましいな」

「あれだけの美人に何度も踏んでもらえるなんて、殿下も隅に置けねぇな!」

「もしかして、第三夫人候補?」

「ヴィクトリア様には、なんと説明するんだろう」

「俺、第四夫人でいい」


 心配だった海兵たちは、そんなことを言い合っていた。完全に、セザールを女だと誤解しているようだ。

 一応、今はドレスではなく、男装しているはずだが……たぶん、頭に乗せた婦人用の帽子と、挨拶で率先して頭を踏みまくったのが原因だ。そして、セザールも誤解を解こうとしていない。


「まあ、面倒だから、いいでしょう」


 どうやら、アルヴィオスは女性優位の社会のようだ。女(に見えるオッサン)に鞭打たれる王子を助けず見守っている船員たちを横目に、ルイーゼは船に乗り込んだ。


 波が打ちつけるたびに緩く傾く船体。独特な海の感覚が少し懐かしい。

 そういえば、船に乗るのは二つ前の前世ぶりか。海風が気持ち良くて、ついつい伸びをしてしまった。


「すぐに出るらしい」


 セザールも船に乗り込む。片手には、完全に伸びてしまったギルバートが引きずられていた。あの程度で伸びるなど、情けない。ジャンなら、余裕で「よろしゅうございます、おかわりお願いします!」と叫ぶところだ。


 しばらくは、フランセールから離れることになる。

 王都を出るときは感じなかったが、ここに来て、ルイーゼは若干寂しさのようなものを感じた。

 よく考えれば、一つ前の前世から、この国にいるのだ。遠征でちょちょいと外国の首都攻略などもしたが、基本はほとんど国を出なかった。

 たぶん、愛着のようなものがあると思う。


 ――ルイーゼ。


 ふと、エミールの声が聞こえた気がした。

 こんなところにいるわけがないのに。

 また変なことを考えてしまったのかもしれない。きっと、記憶にないセシリア王妃の前世のせいだ。親心補正のようなもので、エミールの声が聞こえたに違いない。


「出航だ!」


 伸びたギルバートの代わりに、船長が号令をかけた。

 隠密行動なので、アルヴィオスの国旗は掲げていない。皆、海賊風の服と武装をしているためか、どう見ても海賊だ。海賊旗ジョリー・ロジャーがないことに違和感がある。

 いかりがあがり、船が動きはじめる。小型の船は帆を張り、まっすぐに沖を目指した。


 ――……ゼ! ……ルイーゼ!


 海風に声が乗っている気がした。

 自分の名を呼ばれた気がして、ルイーゼは甲板を見渡す。しかし、誰も自分を呼んでいない。ギルバートは今頃になって、頭を押さえて立ち上がっていた。

 気のせいでしょうか。


「ルイーゼ!」


 はっきりと叫ぶ声が聞こえて、ルイーゼは目を見開いた。急いで、甲板から港を見下ろす。


「そんな、まさか……」


 信じられない光景に、ルイーゼは口元を押さえた。


「待って、ルイーゼ! ルイーゼ!」


 必死に手を伸ばして叫ぶ人物には見覚えがあった。

 眉上パッツンに切り揃えたブルネットの髪が風に揺れている。白い顔が桃色に蒸気している様は、彼の必死さを物語っているだろう。意思を固めたサファイアの瞳と視線が合ってしまい、ルイーゼは彫刻のように動きを止めた。


「エミール様」


 思わず名前を呟く声が震えている気がした。今まで出した声の中で、一番情けなかったかもしれない。


 だって、こんな……こんなこと、想定しておりませんでした。

 エミールがここにいるなど、ありえない。引き籠りのダメ王子が王都を出て、ルイーゼを追ってきた? あんなことを言ったのに? 自分は首狩り騎士なのに? 信じられなかった。

 だが、声を振るわせた原因は他にもある。


「なんですか……あれ」


 エミールが船と並ぶように港を駆けている。自分の足ではない。馬にも乗っていない。

 何故か、大きなライオンに跨って、引き籠り姫と呼ばれた王子が船を追っていた。

 どうして、ライオン?

 なんで、ライオン?

 え、そのライオン、どこから来たのですか!?

 ルイーゼは、思わず目が点になった。


「ルイーゼを、返せぇぇぇえええ!」


 エミールがライオンのたてがみを掴んで叫んだ。肩には、ちゃんとポチも巻きついている。


「いっけぇぇええ! ふっじっさぁぁあああん!」


 ライオンは勇ましい咆哮をあげ、力強く宙を舞った。人を乗せているとはいえ、その脚力は凄まじい。大きな身体があっという間に弧を描き、悠々と船の上に降り立ってしまった。


「ふ、ふぇ……ちょっと、怖かった……」


 ライオンにしがみついていたエミールが目尻に涙を浮かべる。だが、彼は慣れた様子で平然とライオンの頭を撫で、「ありがと」と呟いた。

 その光景に、誰もが呆気に取られている。

 セザールだけが、「セシル様そっくりだ」と言っているが、セシリア王妃って、こんな感じでしたっけ!? と、突っ込む余裕はなった。


「なん……ですか?」


 この状況の説明が欲しい。

 しかし、それ以上に、ルイーゼは抑えられない胸の高鳴りを感じてしまった。

 ライオンに乗ったエミールが、ルイーゼの前まで近づいてくる。贔屓目に見ても、かなり大きなライオンだろう。それに跨ったエミールが、強い海の陽射しを受けて、ルイーゼを見下ろしていた。


 ドクンッと心臓が脈打つ。

 ルイーゼは頬を紅く染めてしまった。


「……かっこよすぎますわ……」


 思わず漏れた言葉。

 そう、かっこいい。とても、かっこいい!

 現状? 知ったことか。ルイーゼは本能の赴くまま、満面の笑みを浮かべた。


「素敵ですわ。最高ですわ。キュンとしましたわ。わたくし、一度戦ってみたかったのですわ。ライオン! ラ・イ・オ・ン!」


 ルイーゼはキャッキャッと乙女な声をあげながら、エミールが乗ったライオンを撫でる。

 ライオンは嫌そうに口を開けたが、エミールが「大丈夫だよ」と言うと、大人しくなった。とてもよく調教されている。

 この立派なたてがみ、力強い前足、獰猛そうな牙! なにをとってもかっこいい。最高にかっこいい。思わず、頬ずりしたくなった。今、鏡を見たら、間違いなく目の中にキラキラと星が浮かんでいるだろう。


「ルイーゼぇぇええええ! 待っていろ、今助けてやるぞぉぉおお!」


 エミールが船に乗り込んだのも束の間、別の声が聞こえた。

 エミールから遅れて、港を二頭の馬が駆けている。片方にはユーグが乗っており、

「殿下、置いて行かないでよぉ!」と叫んでいた。もう片方は、シャリエ公爵邸に置いてきたはずの兄アロイスだった。


 飛び乗るつもりだろうか。アロイスは馬を鞭打ち、どんどんスピードをあげていく。


「お兄様、危ないですわよ!」

「大丈夫だ、僕は乗馬が得意なんだ!」


 船は港から離れはじめている。だが、アロイスは不敵に笑うと、巧みに馬を操った。


 馬が強く地を蹴り、アロイスと共に宙を舞う。

 見事な跳躍に乗組員の誰かが歓声をあげた。それほど、彼の技術は素晴らしい。騎士だった前世ならともかく、ルイーゼもこんな風に馬を操ることは出来ないだろう。

 馬は難なく船の上に着地した。


「あ、ああ、ああああああっ!? こんなはずじゃぁぁああああ!」


 しかし、肝心の乗り手であるアロイスは勢い余って、馬から振り落とされてしまっていた。

 情けない声をあげながら、兄は海へと沈んでいく。あれだけ見事な馬術を持ち合わせているのに、どうしてそうなった。

 一応、安否が心配になって確認すると、ユーグが港から海に飛び降りるところだった。なんでも適当に優秀なオネェ騎士のことだ。きっと、兄のことも回収してくれるだろう。馬が犠牲にならなくて良かった、と一安心である。


「ルイーゼ……!」


 問題は、船に乗り込んでしまったエミールだった。

 

 

 

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