余話

或る子息の荊棘 前編

 

 

 

 親の七光。二世。

 そんな風に呼ばれている理由や意味は、嫌と言うほど理解していた。

 自分の父は≪天馬の剣≫を頂く王国最強の騎士。幼少の頃から天才と呼ばれ、惜しむことなく武勇の才を発揮し続けてきていた。


 比べてユーグの才は酷く凡庸なものだった。

 同じ年頃の子供と比べると、なかなか優秀。しかし、抜きん出たものはない。剣術も勉学も並み以上、天才未満。それも、人一倍励んだ結果である。

 容姿ばかりが無駄に似ているせいで、余計に父親と比べられた。


 ――かつての父君に比べると……。


 出来ないわけではない。だが、決して認められない。

 十二歳を迎える頃には、なにをやっても面白くないと思うようになっていた。


「ユーグよ、もう一度言ってみよ」


 威圧感のある声で問われ、ユーグは思わず目を伏せる。だが、すぐに曲げていた口を開いた。


「父上、私は騎士になるのは辞めようと思います」


 我ながら、ふてぶてしい言い草だったと思う。ブスッとした表情のユーグを睨んで、カゾーランが腕を組んでいる。

 鍛え続けているせいか、年々筋肉が増していく父。自分と似なくなってきて安心した時期もあったが、父の知り合いに会うたびに、「昔の父君そっくりですね」と言われるのも、少々うんざりしてきた。


「そうか」


 カゾーランは短く言うと、それっきり黙ってしまった。

 いつも口癖のように「女々しさを捨てて鍛えよ」と言っていた割に、反応が意外だった。最悪、怒鳴られるか、殴られると思っていたのに。

 それほど、自分は期待されていなかったということか。裏付けられた気がした。


「失礼します」


 ユーグは言い捨てて、父の元をあとにした。部屋を出ても、追ってこない。なんだか、それが見捨てられた証拠のような気がして、余計に腹が立った。

 いっそ、家を出てしまおうか。

 浅はかかもしれないが、衝動的にそんなことを思った。


「あら、ユーグ。いいところにいましわ。そこに、エクスカリバーちゃんがあるから、取ってくれないかしら?」


 母に呼び止められて、ユーグは一瞬ドキリとした。

 家出しようと考えていたことがバレたのではないかと、不安になったのだ。だが、そうではないことを察してホッとする。


「どうぞ、母上」


 ユーグは壁に立て掛けてあった変な形の剣エクスカリバーちゃんを持ち上げて、母リュシアンヌに手渡す。

 父が昔の知人からと聞いている剣だが、今ではすっかりとリュシアンヌの手でお洒落に彩られている。

 昔はユーグも感化されて、短い方の剣を飾って遊んだりもしたが、「あまり女々しいことはするでない」と父にキツく言われて、やめてしまった。

 だいたいそうだ。

 ユーグが裁縫をしたいと言っても「女々しいから」と、やらせてはもらえなかった。料理にも興味があるし、巷で人気の菓子を食べ歩いてみたい。

 親の理想を押し付けられている気がした。


 リュシアンヌは受け取ったエクスカリバーちゃんを器用に使って、棚の上に置いてある箱を取った。

 そんなことは使用人にさせればいいと思うのだが、母は自分でなんでもしたい性分らしい。時々、料理も作ってくれる。割と自由奔放だ。

 こんな妻に頭が上がらない父親だって、充分女々しいではないかと思ってしまう。


「あら、ユーグ。また背が伸びたのね」


 リュシアンヌは近くに立ったユーグを見て、ニッコリと笑う。

 赤毛の頭を撫でられて、ユーグも、いつの間にか母よりも背が高くなっていることに気がついた。

 リュシアンヌは元々小柄で背が低い。しかし、自分が母より背が高くなる日が来るなど、あまり想像していなかった。違和感がある。


「いいことを教えてあげますわ、ユーグ」


 リュシアンヌは若々しい顔に悪戯っぽい笑みを浮かべると、人差し指を立てた。父には内緒にしておけという、いつもの合図。


「エリックは十五まで、あたくしより背が低かったのよ」


 今はあんなに大きいのに、変でしょう? と、付け足しながら、リュシアンヌは声を転がした。


「ユーグは、ユーグよ」


 よくわからない。

 ユーグは眉を寄せたが、リュシアンヌはあまり気にせず、上機嫌で棚の整理を続行する。

 また雑用を言いつけられそうだ。ユーグは面倒くさいことにならないうちに、その場を後にすることにした。




 家出すると勇み立っても、行く宛てはない。

 ユーグは十二歳になった。士官を育成する幼年学校でも、充分な成績を修めている。

 恐らく、近衛騎士見習いの試験も通るだろう。王国最難関と言われているが、同世代と比べて腕に覚えはある。筆記も自信があった。


 だが、そのあとは?

 見習い騎士になって、鍛錬を積んで……そのあとは、どうする。

 騎士になれる自信がない。

 騎士になれば、必然的に親と比べられ続ける。なにをしても、親ほどの才はないと言われ続けるだろう。実力以上の働きが求められ続ける。


 昔は自分の父や、強い騎士たちに憧れた。目の前で白熱した斬り合いを演じていた光景が忘れられないし、今でも凄いと思う。

 あの頃、よく屋敷を訪れていた首狩り騎士は国を裏切って、父に串刺しにされたらしい。

 父はなにも言わないけれど、フランセールの民なら誰でも知っている。ユーグはビックリしたが、遠い記憶なので今はなんとなく受け入れていた。


 悪魔のような首狩り騎士を倒した英雄。≪天馬の剣≫を頂く王族の守護騎士。王国最強。策謀に長け、継承戦争を終結へと導いた軍師。


 そんな眩しすぎる肩書が、ユーグには重い。

 ユーグはなにも持っていない。あるのは、カゾーラン伯爵の息子という重圧だけ。

 やはり、騎士にはなれない。

 父のような騎士になるのは無理だ。ユーグに、そこまでの才はない。


「邪魔だ、退け」


 低くもなく、高くもない。気だるい声が後方から聞こえる。

 自分がつい道端に立ち尽くしていたことに気づき、ユーグは慌てて振り返った。


「ごめんなさ……い?」


 そこにいたのは、「薔薇」だと思った。

 花弁を集めたような真紅のドレスが、馬上でひらひら揺れている。淡い色合いのシルバーブロンド。アイスブルーの瞳が怜悧な光を放って見下ろしていた。

 ドレスを着た貴婦人が馬に跨り、こちらを見ている。よく、あんなものを着て馬に乗れるものだ。異様な光景のように思えた。


 だが、一方で、とても美しい貴婦人だと感じた。

 普段から女性には興味を持たないように教育されているユーグでも、ドキリとしてしまう。息が止まってしまうほど、美しい貴婦人であると思った。


「なんだ、その顔……お前、カゾーランの子か」


 貴婦人がユーグの顔を見て、即座に言い当ててしまう。そんなに、この顔は父に似ているのか。少し忌々しくも思った。


「……ユーグ・ド・カゾーランです」

「そうか、やはりか。天馬のせがれが、こんなところでなにをしている」


 婦女子らしからぬ不遜な態度で、矢継ぎ早に質問された。だが、ユーグは家出したとは言えず、黙り込んでしまう。


「丁度いい。倅、来い」

「は、はあ……」


 貴婦人は器用に馬を操って、ユーグの傍まで寄る。

 ユーグが呆気に取られて見上げていると、貴婦人はあろうことか、ユーグの襟首を片手で掴む。そして、そのままヒョイと馬上に引き上げてしまった。


「えっ!?」


 なんだ、この貴婦人!?

 ユーグは声にならない叫びをあげた。子供とは言え、馬の上から人を引き上げるなど、並大抵の筋力では出来ない芸当だ。しかも、ドレスを着ている。


「申し遅れたな。安心しろ、誘拐ではない。我が名はセザール・アンセルム・ド・サングリア。カゾーランの同僚のようなものだ」


 セザール……? サングリア……? 同僚……?

 単語が意味を持って繋がらない。父は騎士だ。そして、セザールとは一般的に、男の名だった。


「ええっ!? 男!?」

「舌を噛んでも知らんぞ、倅」


 貴婦人――セザールが馬の腹を蹴る。

 ユーグは信じられなかったが、馬上で密着した相手の身体は、紛うことなく、男のそれであった。


 そして、思い出す。

 国王の侍従長を務めるサングリア公爵。その子息は近衛騎士に所属し、先の継承戦争で名を上げた人物の一人であるということを。


 このあと、ユーグはセザールの異名である「荊棘けいきょく騎士」の意味を知ることになる。




 荊棘騎士セザール・アンセルム・ド・サングリアは世間でも奇傑として知られる。

 サングリア公爵は歴史と伝統を重んじ、王の侍従長として王宮で高位の役職に就く人物である。一方、息子であるセザールは戦によって武勲を立て、フランセールに貢献していた。

 同時代にエリック・ド・カゾーランとクロード・オーバンがいなければ、間違いなく彼が王国最強と言われていただろう。

 ≪双剣≫ほどの武勇はないが、継承戦争中、東の戦線をずっと指揮していた。そのため、「東方の守護神」とも言われている。


 国民からの人気も高く、≪黒竜の剣≫が空席になった際、着任を切望する声も多く上がっていた。

 だが、セザールは「気が乗らん」の一言で断ったらしい。故に、彼のことを奇傑と呼ぶ者が多いと聞いていた。噂では、近衛騎士の職も返上しようとしたが、国王が許可せず、籍だけ置いているらしい。

 近衛騎士とは言え、ほとんど王都に寄りつかない。戦争が終わってからは、専ら父親である公爵の代わりに領地経営と特産品のワイン醸造に勤しんでいるという話だ。


 目の前で葉巻を咥える貴婦人、いや、武人を眺めて、ユーグは身を縮こまらせる。

 何故、屋敷に連れ帰られてしまったのか、よくわからない。というよりも、この状況がよくわからない。

 荊棘騎士と言えば、父と肩を並べてもおかしくない武人だ。

 そんな人物が、何故、ドレスを着て葉巻を咥えているのだろう。全くわからない。

 身体の線がわかりにくいドレスと、冷たい印象の美顔のせいで、どうしても貴婦人に見えてしまう。戦士よりも、淑女の方が似合う。見つめられると、少し照れくさい。


「あ、あの……」

「なんだ、菓子は苦手か?」

「い、いえ! 美味しいです!」


 セザールに視線で促され、ユーグは目の前に並んだ菓子を慌てて口に放り込んだ。

 有無を言わせない鋭い眼光は、父のものに近い。ドレスを着ていても、セザールが歴戦の勇士なのだと嫌でも思い知らされた。


「なるほど。我が美しさに見惚れたか」


 この人、自分で言った!?

 確かに美人だが、自分で言うとは思っていなかった。ユーグが口をあんぐりと開けていると、セザールは面白そうに声を上げて笑った。快活な笑い方は、男っぽい。


「昔、女顔とからかわれていたのだ。それで、本当に女装してやったら、誰も文句を言わなくなった。それ以来、この姿がすっかり板についてしまったよ」

「は、はあ……そう、ですか」


 セザールは光の加減で金にも銀にも見えるシルバーブロンドを指でクルクルと回して足を組む。仕草は女っぽくもあるが、男らしさもある。どこを見ても中性的、いや、中間的という表現が似合いそうだと思った。


「普段、王都にはいないって聞きましたが……」

「今回は父に用だ。あと、エミール殿下についても、気になったのでな」


 エミール王子はユーグの一つ年下だ。十一歳だというのに、部屋から一歩も出ない引き籠りらしい。あまりにも情けなくて、ついには引き籠り姫とまで言われている。


「セシル様の遺言だからな」

「え、遺言? 誰の?」


 聞き返すと、セザールはばつが悪そうに咳払いし、「口が過ぎた」と言って紅茶を口に含んだ。たぶん、ユーグには関係がない話だろう。


「ところで、カゾーランは元気にしているか」

「はあ……一応」

「どうせ、無駄に鍛錬しているのだろう? 平和な時世だというのに、ご苦労なことだ」

「そうですね……父に敵う人間なんて、いないのに」


 何気なく言ったあとに、ユーグは口を噤む。

 セザールだって立派な騎士だ。間接的に自分の父より劣る言い方をしてしまったのではないかと、不安になった。だが、セザールは大して気にする様子もなく、「あの変人め」と言って口から煙を吐いている。


「それで。お前は、あんなところでなにをしていた?」


 口から離した葉巻をユーグの方に向けて、セザールが問う。

 ユーグはなにも答えられず、ただ俯いた。だが、セザールは沈黙を許してはくれない。有無を言わさぬ視線を放つアイスブルーの瞳が怖い。


「い、家出しました……騎士になりたくなくて……」


 思わず、白状してしまった。

 ユーグの発言を聞いて、セザールは一瞬眉を寄せる。


「行く宛ては?」

「……ありません」


 だんだん恥ずかしくなってきた。子供の浅はかな家出であることは明白で、それをこんな立派な相手に告白しているのが、情けなく思える。

 セザールは、しばし黙って考えている様子だ。最悪、このままカゾーラン邸に送り返されるかもしれない。いや、家出と知られた以上、そうなるのが普通だろう。


「よし、わかった。客間を用意しよう」

「え?」


 荊棘騎士と呼ばれる男は、意外な決断を下した。

 ユーグは若草色の瞳をパチクリと見開いて、目の前で葉巻を咥えるドレスの騎士を見据える。


「我が王都に滞在している間だけだ。気が済むまで考えるがいい」


 戸惑うユーグに、セザールは唇を綻ばせた。

 

 

 

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