第61話
令嬢同士の決闘騒ぎの最中でも、王宮は平生通りを保っていた。
人目を避けるように、外套を羽織った人物――カゾーランが足早に自らの執務室へと急いでいた。そして、部屋の前に怪しげな壺が置かれているのを確認する。
カゾーランはその壺をヒョイと片手で持ち上げ、そのまま部屋の中へと持って入った。
「もうっ! 持ち上げるのなら、そう言ってくださいよっ。急に浮くから、足が出てしまうところでした!」
「ぬう、すまぬ。ミーディアよ」
「壺目線でビックリしました!」
壺の中から顔を出すミーディアを見下ろして、カゾーランは雨に濡れた外套を脱いだ。下にはいつもの純白の制服ではなく、地味な色合いの旅装束。旅帰りであることが傍から見てもわかった。
「どこに行っていたんですか? 周りにバレないように伯爵の事務仕事処理して、尚且つ、アンリ様の観察するの結構大変でしたよ。側仕えのお仕事もありますし」
カゾーランが留守の間、代わりに処理した書類の束を指差して、ミーディアが胸を張った。
仕事がよく出来る娘だ。ユーグが抜けた代わりに事務方を頼みたいものだと考えてしまう。
「ロレリアへ行っておった」
「ロレリア! ズルいですっ。わたしも行きたかったです! 馬目線で、とっても懐かしい!」
「遊びに行ったわけではないぞ」
三日かけて往復したロレリア侯爵領はセシリア王妃の故郷だ。そして、クロードも同郷だった。そういえば、ミーディアの前世もロレリア産の牝馬だったか。
アンリが国王に即位した際、継承戦争が勃発した。
そのときにロレリアは外国に割譲を求められたが、フランセール側はこれを拒否。ロレリアと王室の結びつきを強めるために、セシリアが王家に嫁ぐことになった経緯がある。
「それで、なにかわかりましたか?」
「いや――」
結論を言えば、なにもわからなかった。
むしろ、不自然なほどに、なにも出てこなかった。
ロレリアの城の者は、セシリア王妃のことを一言も語りたがらない。亡くなったとはいえ、フランセールでは賢女として語られる人気のある王妃だ。それなのに、触れられたくない歴史のように、皆一様に口を閉ざしていた。
まるで、そんな女など、いなかったことにしたいと言いたげに。
不自然極まりない。
クロードの出自であるオーバン家は既に没落していた。元々、爵位のない底辺の騎士階級だったと聞いている。元を辿ればアルヴィオスからの移民家系だということだけわかった。
なにもわからない。
だが、なにもわからないことが、逆に不自然だった。
「ロレリアへ行ったなら、あの方はどうだったんですか? サングリア領も通ったのでしょう? セシリア様たちと親しかったはずですけど」
「ああ、
「そうなんですか。流石は奇傑です」
「ただの変人である」
「せっかく、丸く言ったのに……それはそうと、こっちも、あまり収穫はないです……」
ミーディアは壺から外へ出て、申し訳なさそうに目を伏せる。
やはり、十五年もの間隠された真相を見つけるのは、容易ではないか。ルイーゼが前世の記憶を思い出すのが手っ取り早いが、生憎のところ、彼女は事件を直視したがらない。
手詰まりか?
「ただ、前から思っていたことがあります」
ミーディアはそう言いながら、自分のメモをカゾーランに差し出した。そこには、アンリの執務室と周辺の簡単な見取り図が描かれている。
「あの部屋、変じゃありませんか? 壁が……不自然に厚い気がするんです」
ミーディアはメモを指差しながら、控えめに語る。
アンリの部屋は王宮の東端に位置している。その向こうに、部屋や通路はない。
しかし、東端だけ壁が異様に厚いことに気づいた。これでは、部屋の向こう側に大きな空洞があることになる。屋根裏へ忍び込む癖のあるミーディアだから、気づいたのだろう。
メモを眺めて、カゾーランは低く唸った。
真実はどこにある。十五年、わだかまり続けてきた答えを探すには、どうすればいい。
「カゾーラン伯爵……大丈夫でしょうか?」
ミーディアが不安そうに表情を震わせている。隠された秘密に近づくことが怖いのか。それとも、アンリを探ることに後ろめたさを感じているのか。あるいは、両方か。
カゾーランはメモをミーディアに返す。そして、背を向けた。
「案ずるでない」
ただ知りたいのだ。
自分の中に残り続ける疑問の答えを。
† † † † † † †
林の中でルイーゼを見つけた瞬間、エミールは嬉しくなって走り出した。
けれども、ルイーゼは突然、力なく身体を傾けて倒れてしまった。
エミールは精一杯走ったけれど、ルイーゼの身体を抱き止めることは出来なかった。
眠りこむように倒れたルイーゼの身体が驚くくらい冷たくて、泣きそうになったのを覚えている。
きっと、雨のせいだ。肌が冷たすぎて……目覚めなかったら、どうしようって思った。
寝台の上で目を閉じるルイーゼの顔を、エミールは泣きそうになりながら見つめた。医者は、しばらく寝ていれば大丈夫だと言っていたが、不安で仕方がない。
死んだら、冷たくなると聞いた。
四歳のときに母を亡くした。
その遺体があまりに痛ましかったらしく、幼いエミールには触れさせて貰えなかった。
最後に見たのは、重くて冷たい石棺の中におさめられるとき。たくさんの花に囲まれている母の姿は、とても綺麗で、ただ眠っているだけのように見えた。今を思えば、首に大きなスカーフが巻かれていたのは、傷を隠すためだったと理解出来る。
――エミールったら。大丈夫ですわ。あの人は怖くないから。
母が亡くなる少し前から、エミールは外が怖くて籠りがちになっていた。そんなエミールを優しく諭して連れ出してくれる母がいなくなってから、決定的に引き籠りになったのだと思う。
ただ眠っているだけ。ルイーゼは、ただ眠っているだけだ。
それなのに、あのときと同じように、いなくなってしまうのではないかと不安になる。
「ルイーゼ……」
名前を呼びながら、エミールはルイーゼに手を伸ばす。
白い肌は陶器のように冷たいのではないか。体温があるのか、不安になった。
指先で、頬に触れる。
柔らかくて、温かい。生きている人間の肌だと実感して、今度は安心で涙が出そうになった。
浅い呼吸に合わせて、胸元が上下しているのがわかる。しかし、それよりも早い速度で、エミールは自分の心臓が高鳴っているのを感じた。
林に入るとき、ヴァネッサがそっと伝えてくれた。
――殿下も、精一杯の恋をしてくださいませ。
とても幸せそうな顔のヴァネッサを見て、なんだか胸が熱くなった。涙が出る瞬間に近い。胸が引き裂かれそうな想いだ。熱い刺激が全身に伝わって、身体中の血が煮えてしまいそうだった。
けれども、優しくて甘い。それがないと生きていけないくらいの刺激に、頭がどうにかしそうだった。
「ルイーゼ、やっぱり違うよ」
ルイーゼが寝ているので、独り言のようになってしまう。
エミールは身を乗り出して、寝台に片手をつく。そして、寝ているルイーゼの顔を真上から覗き込んだ。
「僕、ルイーゼに憧れてるよ……で、でも……それ以上に、僕は……君が好き」
ルイーゼは起きない。眠ったままだ。
蜂蜜色の髪に触れても、瞼一つ動かさない。陶器のように白い肌も、花弁のように甘くて美味しそうな唇も、動かない。
たぶん、こんなことをしたら、ルイーゼは怒ってしまう。何故だか、ルイーゼはエミールに好かれたくないらしい。理由はわからないけれど。
でも、それでもいい。今は正直でいたかった。
何回拒まれたって、僕はルイーゼが好きなんだ。
気がついたら、眠ったままのルイーゼにキスをしていた。
唇を押し当てるだけ。母親が子供に、おやすみを告げるような、そんなキスだ。
柔らかくて温かい唇が触れ合ったら、この気持ちも相手に伝わるのかな。そんな気がしていたが、実際は自分の中で、どうしようもないくらい燃え上がるばかりだと気がついた。
やっぱり、これは憧れなんかじゃない。
やっぱり、僕はルイーゼが好きなんだ。
やっぱり、――。
「ん……ッ」
ルイーゼの瞼がピクリと動き、ゆっくりと開いた。海のような深い蒼の瞳と視線がぶつかってしまう。
「ル、ルイーゼッ!?」
エミールは身を剥がすように、慌ててルイーゼから離れた。
ルイーゼは即座に起き上がり、混乱した様子で自らの唇に触れながらエミールを見る。やっぱり、バレちゃったのかな。
エミールは謝ろうと、寝台から飛び降りた。
「エミール様……いえ、殿下」
わざわざ、「殿下」と言い直して、ルイーゼはエミールを睨んだ。
その視線が刃物のように鋭くて、思わず「ひぃっ」と声をひっくり返してしまう。
周囲の温度が下がった気がする。とても寒い。冷や汗が噴き出た。
「殿下……わたくしのハッピーエンドライフを邪魔しないでくださいませ」
「は、はっぴーえんど? なんのこと?」
ルイーゼはエミールの知らない言葉をよく使う。だが、首を傾げても、説明などしてくれない。
とても怒っている。ルイーゼがこれ以上なく怒っていることが、わかった。蒼い眼の底に言い知れない感情を読み取って、身体が竦んでしまう。
「あ、あの、ルイーゼ……ご、ごめん……でも、やっぱり、僕はルイーゼのこと――」
「殿下。一つ、千年の恋も冷める良いことを教えますわ。だから、もうわたくしの邪魔をしないでください」
ルイーゼは寝台から身体を起こす。
殺気。睨まれただけで気絶してしまいそうなくらいの殺気を放って、ルイーゼは唇の端を吊り上げた。
まるで、悪魔の嘲笑だ。血を浴びて嗤う首狩り騎士みたいだ。
「わたくし、実は前世の記憶がございます」
ミーディアみたいなことを言っている。だが、冗談には聞こえない。ルイーゼは本気で言っているようだ。
「わたくしの前世の名はクロード・オーバン。あなたが怖くて怖くて仕方がなかった――あなたのお母様を殺めた首狩り騎士なのですわ」
ルイーゼ、なにを言っているの?
エミールは聞き返すことも出来ず、ただ立ち尽くすしかなかった。
ルイーゼは呪詛を吐くように「フラグは叩き潰すのですわ……ふふ、ふふふふ。なにかの間違いですわ。共犯だなんて、嘘よ。ヤケクソではなくてよ。わたくしは正気ですわ……ふふふ……ははははははは!」と不気味な笑声を上げている。
静かすぎる部屋に響く令嬢の哄笑が、魔王のように禍々しかった。
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