或る子息の荊棘 後編

 

  

 

 結局、ユーグは荊棘騎士セザール・アンセルム・ド・サングリアの屋敷に滞在することになった。

 カゾーラン家には知らされなかったのか。父や家の者が迎えに来ることはなく、サングリア邸で朝を迎えた。

 屋敷の主であるサングリア公爵には侍従長の仕事があり、王宮に詰めている。実質、今は短期間だがセザールが主のようなものであった。

 ユーグは客人の扱いを受けている。

 他人の屋敷で朝食を出されるのは初めてで、少々戸惑った。一人で広い朝食の間に座り、出されたスープを啜る。


「あの……セザールさんは、どこに?」


 セザール卿やセザール殿という呼び方は、本人から辞めろと言われてしまった。曰く、子供らしい呼び方で構わないそうだ。

 問われた使用人は笑顔で答えてくれる。


「若様は厨房にいらっしゃいますよ」

「え、厨房ですか?」

「はい。こちらのお料理も、全て若様が」

「えええ!?」


 先ほどから出されているサラダも、前菜も、スープも、メインも……全てセザールが作ったと、使用人が平然と話した。パンだけは、準備していなかったので買ってきたものらしい。

 全て美味しかった。一流の料理人の手によるものだとばかり思っていた。


 荊棘騎士。東方の守護神。

 そんな異名を持つ武人が、ドレスを着たり、料理をしたり……強い騎士とは、父のような人間の印象が強かったため、ユーグは衝撃を受けた。女々しさは捨てろと教育されていたのは、なんだったのだろう。

 そんな衝撃を受けている頃合いで、扉が開く。最後のデザートが運ばれて来たのだ。


「よく眠れたか、カゾーランの倅?」


 デザートの皿を持ってきたのは、料理長……ではなく、セザール自身だった。

 昨日のドレスと違って、ラフな男物のシャツとスラックス姿だ。常に女装しているわけではないようだ。男装していると、鍛えられた胸筋や肩の広さが強調され、そこまで女には見えない。


「朝からよく食うな。やはり育ち盛りは違う。こういうのを見ると、我が子がいないのが惜しくなるよ」


 結婚は御免だがな、と付け加えて、セザールはユーグの赤毛をワシャワシャと撫でる。鼻腔を、ほのかな葉巻の匂いがくすぐった。

 目の前に置かれた皿には、クレーム・ブリュレが乗っていた。

 パリパリに焼かれた砂糖によって、濃厚なカスタードに蓋がされている。粉砂糖とベリーで彩られた装飾も綺麗で、食べるのが勿体無かった。


「これも、セザールさんが?」

「下手の横好きだがな」

「そんなことありません。全部、美味しかったです」


 ユーグは慌ててスプーンを取り、ブリュレを一口すくった。

 甘くてパリパリの焦がし砂糖の食感と、濃厚なカスタードの味が堪らない。カゾーランの屋敷で雇われている料理人よりも、腕が良いように思われた。


「これも、美味しい!」


 思わず笑顔で声を高くする。敬語を忘れてしまったが、セザールは気にしていないようだ。照れくさそうに笑って、無言でユーグの髪をグシャグシャに撫でている。


「倅。それを食ったら、一つ遊戯をしないか?」


 嬉しそうにパクパク食べるユーグを見て、セザールが軽く笑う。アイスブルーの瞳は相変わらず怜悧だが、優しげな色をしていた。


「我からドレスを脱がせてみろ」


 首を傾げたユーグに、セザールは謎めいた提案を投げて寄越したのだった。




 セザールのドレスを脱がせるとは、そのままの意味であり、想像とは違う意味もあった。

 ユーグはあまり気乗りしなかったが、両手で剣を構える。そして、正面に立つセザールを見据えた。

 ラフなシャツとスラックスの上から羽織っているのは、紅い女物のロングコートだ。本来なら、ドレスの上から着るものだろう。それをセザールは、まるでマントのように揺らしていた。


 セザールが着ているコートを脱がせれば、ユーグの勝ちらしい。

 コートに袖は通さず、肩に掛けているだけだ。強風が吹けば、簡単に脱げてしまうだろう。加えて、コートは丈が長い。少しでも後ろを取って触れれば、すぐに奪える。

 勝つのは難しくない。


「どこからでも来い」


 涼しげな顔でセザールが言う。まだ剣を抜いていないが、彼は視線で「来い」と言っていた。

 ユーグは気が引けたが、基本通りに柄を握り、一歩踏み出す。

 セザールとの間合いを詰め、剣を振る。


「え?」


 だが、その切っ先はなにも捕えなかった。

 ユーグが放った一撃は、軽々と避けられてしまう。避ける動きすら、見えなかった。

 次いで、ユーグは視界の端に捉えた紅い色に向けて、横薙ぎの一閃を払う。だが、これも空振りに終わった。


「良い剣筋だな」


 声のする方を振り返ると、セザールが愉しげに笑っていた。

 その視線は戦うときの父によく似ている。獲物を狙う猛禽類のように好戦的で、抜け目ない。自分が狩られる獲物になったようで、ゾクリと背筋が凍りそうになる。


 荊棘――それは、荊の道。障害を意味する。

 荊の道のりであったフランセールの戦を勝利に導いた一人。障害となる他国軍を排除する者だ。もう終戦して十年余りになるが、その力は未だに衰えていない。


「一つ、教えてやろう。倅」


 ようやく、セザールが剣に手をかける。彼は鞘に収まったままの剣で、正面からの一撃を受け止めた。


「我が荊棘騎士と呼ばれるのは、世間で言われるような意味ばかりではない」


 剣を押し戻されて、ユーグは後ろ向きに地面へ倒れた。

 力の差がありすぎる。筋力の差、いや、違う。セザールは、さほど強い力でユーグを押していない。ただ、動きに無駄がなさすぎる。極限まで無駄を省いた動作で、効率的に力を加えているのだ。

 セザールが鞘から抜いた剣先をユーグに向ける。


「我が剣では、何人なんぴとも斬れん」


 目の前に突き付けられた剣には、刃がなかった。

 円柱型の細い鉄棒だ。叩けば骨は折れるだろうが、触れただけで斬ることは出来ないだろう。


 刃のない剣を持つ騎士。

 彼に与えられた荊棘は、障害を排する意味ではない。

 自らに荊を科す者。彼自身が荊の道を歩むという意味だった。


「…………ッ」


 負けた。完敗だ。ドレスを脱がせるどころか、触れることすら出来なかった。ユーグは脱力しながら、セザールを見上げる。

 セザールは剣を鞘におさめて、地面に倒れたユーグに手を差し出す。


「お前は騎士になりたくなくて、家を出たと言ったな」

「…………はい」


 ユーグは伸ばされた手に、自分の手を重ねた。セザールの手は紛れもなく、剣を握り慣れた騎士のものだった。大きくて硬い。そして、揺るぎない力強さがあった。


「基本はよく出来ているし、良い剣だった。諦めるのは勿体無いと思うのだがな」

「でも」


 でも、父のような天才ではない。

 あんな風にはなれない。


「お前の父親に比べれば、数段劣る我が言うのも説得力に欠けるかも知れんが」


 セザールはユーグを立たせたあとで、自分の腰を落とす。高さを合わせたアイスブルーの瞳に正面から見つめられ、ユーグは息を呑んだ。


「騎士道は一つではないぞ」


 優しく髪を撫でられ、くすぐったい。まるで、自分の息子にするように、セザールは微笑み、大きな手でユーグを撫でた。

 騎士道は一つではない。その言葉が、スッと胸に落ちていく。

 セザールという人間は、ユーグの知る騎士とはかけ離れていた。美しく可憐な淑女のようであり、強く頼もしい男らしさがある。人を斬るために携帯する剣には刃がなく、故に荊棘荊道を歩む者と呼ばれる騎士。

 決して、父のようになる必要はない。そう言われているのだと、気づいた。


 ――ユーグは、ユーグよ。


 家を出る前に言われた母の言葉と重なる。もしかすると、父も同じことを言いたかったのではないか。そんな気がしてくる。

 どう足掻いても、ユーグを見る周囲の目は変わらない。

 だが、決してその評価に応える必要はない。


「おい、泣くな」


 いつの間にか、じわりと涙が目尻に浮かんでいた。いきなり泣きはじめたユーグを見て、セザールが遣り難そうに頭を掻く。対応がわからなくて、困っているのがわかる。

 だが、その隙を見逃さなかった。

 ユーグは顔に涙をこぼしながら、素早くセザールの肩に手を伸ばす。虚を突かれたセザールは、一瞬遅れてから立ち上がる。


「やったぁぁああ!」


 セザールの肩からドレスを引ったくり、ユーグは声をあげた。ドレスを奪われて、セザールはあからさまに舌打ちする。


「……このクソガキ」

「騎士道は一つじゃないんでしょ?」


 涙を袖で拭って、ユーグは子供らしくベーッと舌を出した。その顔を見ると、セザールは毒気を抜かれたように息をつく。


「涙で油断させての騙し討ちか。なるほど、カゾーランの奴には出来ん芸当だな」


 嘘泣きしたわけではない。ただ、今動けば勝てると思ったから、動いた。

 きっと、昨日までのユーグでは、この場は動かなかっただろう。なんだか、身体が軽い気がした。


「セザールさん。もう一回、お願いします!」


 ユーグはもう一度、剣を構えて叫ぶ。

 まだまだ、この人のことが知りたい。自分が知らない道を教えてくれる気がする。

 期待を込めて見上げると、セザールは応えるように笑った。


「もう油断してやらない」

「はい! あと、私も料理がしてみたいです!」

「なんだ、今度は我の真似事か?」

「真似じゃありません。もっと、学んでみたいんです」


 いろんな道を知りたい。その上で、騎士を目指すか、他の道を選ぶか決めても、遅くはないのではないか。


「お願いします!」


 気合いを込めて言った声が、よく晴れた空に響いた。




 † † † † † † †




 結局、ユーグはセザールが王都に滞在する一ヵ月間丸々サングリア公爵の屋敷で過ごした。

 家出していたままだったので心配していたが、どうやら、セザールは最初からカゾーランに話をつけていたらしい。普通に考えれば、わかる話だった。


 セザールが領地へ帰る前日に、カゾーランがユーグを迎えに現れた。


「父上!」


 久しぶりに父の姿を見て、ユーグは臆することなく駆け出した。

 セザールの元で過ごして、自分の価値観が変わったと思う。今まで、如何に小さなことで悩んでいたか。そして、これから歩みたい道。


 やはり、ユーグは騎士になろうと思う。


 周囲が望むように、父のような天才にはなれない。だが、それでもいいと思う。

 ユーグは、ユーグにしかなれない騎士になるのだ。

 それを伝えたい。早く、父に伝えたかった。


「ユーグ……?」


 駆けるユーグを見て、カゾーランが表情を変える。突進するユーグを抱きとめて、父が動揺しているのがわかった。

 そんなに自分は成長したのだろうか。なんだか、照れくさくなってきた。


「セザールよ……これは、どういうことだ?」


 後からのんびり歩いてきたセザールに対して、カゾーランが声を低くして問う。セザールはいつものシャツの上から女物の着物を羽織ったスタイルで葉巻の煙を吐き出していた。


「どういう、とは。伝えた通り、ただお前の倅に好きなことをさせていただけだが?」

「はあッ? 限度があろう。限度がッ!」

「そうは言われてもな……要求通り、ちゃんと鍛錬は欠かしていない」

「おぬしに任せたカゾーランが間違っておったわッ! どうして、こうなってしまったのだ!」


 声を荒げてカゾーランがユーグを指差している。何故だか、父がセザールに激怒しているようだ。

 ユーグは場の空気を和ませようと、とっさに笑ってみせた。


「父上、セザールさんのお陰で、やっと気がついたの! 私、やっぱり騎士になるわ!」


 身体を少しクネらせながら、片目を瞑ってウインクする。

 動きに合わせて、可愛らしい桃色のドレスが揺れた。

 緩く波打った赤毛を纏める大きなリボンがズレていないか気になってしまう。せっかく、セザールが結んでくれたので、あまり崩したくない。

 ユーグが宣言した瞬間、カゾーランの表情が、何故か消し飛んだ。


「ユーグ……ユーグぅぅう! ぐぬぬ、このカゾーラン一生の不覚よ!」

「良いではないか。ちゃんと騎士になると言っているのだから」

「黙らぬか、変人!」

「変人? 失敬な。我は常識人だ。お前が変人なのだ」

「世の中の常識人に謝るがいい」


 セザールは、ユーグの好きなことをさせてくれた。裁縫に興味があると言えば、ドレスを縫う手伝いをし、料理がしたいと言えば、一通りの基本を教えてくれた。ドレス脱がせの鍛錬遊戯も楽しく、結果、一ヶ月で五回もセザールに勝つことが出来た。


 別に、好きなように生きればいいではないか。いろんな騎士がいてもいいのだ。決して、父のような騎士を目指す必要はない。

 勿論、父には憧れているし、そのような騎士にもなりたいと思っている。

 ユーグは、ユーグなりにおとこを目指せばいい。そう思えるようになった。


「このユーグ・ド・カゾーラン。誰にも恥じない、立派な騎士になると誓うわ!」


 高らかに宣言して、見上げた空が蒼く澄んでいる。まるで、これからの将来は明るいと教えてくれているようだ。

 

 

 

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