第60話

 

 

 

 雨が降りはじめた。

 見物に来ていた貴族たちが雑談を辞め、各々の馬車で帰っていく。

 エミールは護衛についていた近衛騎士たちが用意してくれた簡易天幕の下に入る。本当は帰ることを勧められたが、ここにいたいとエミールが主張したのだ。


 エミールは雨と土の匂いがする林を見つめた。

 先ほど、ユーグがヴァネッサを連れて戻ってきた。馬が暴走したらしく、このまま棄権するそうだ。

 ついでに、よくわからないけれど、ユーグとルイーゼの婚約はなかったことになったらしい。たぶん、ギルバートに対して嘘をついていたのだと思う。

 なんだか、ヴァネッサが嬉しそうだった。それを見て、エミールも少し安心した。


 ルイーゼとギルバートは、まだ林の中だ。

 濡れてないかな。心配だった。

 ルイーゼは負けず嫌いで、意地を張ってしまうことがある。実際、強いのだけど。

 もしかしたら、雨にもかかわらず卵を探しているのかもしれない。寒くないかな? 風邪でも引かないか心配だ。

 ポチも心配しているのか、エミールの肩でシューシュー鳴いていた。


「殿下、風邪引くわよ」


 ユーグがエミールの肩に手を置く。不安な表情のまま振り返ると、ユーグは優しげな微笑を返してくれる。

 強くて凛々しいけれど、女の人みたいに綺麗だと思う。部屋から一歩も出たことがない頃のエミールが見たら、眩しすぎて泣き出していたかもしれない。最初はルイーゼのことも怖かった。


 自分が外出に慣れたのだと実感した。

 全部、ルイーゼのお陰だ。エミール独りでは、なにも出来ない。ルイーゼが教育係になって、エミールを外に引っ張り出してくれたのだ。

 やっぱり、ルイーゼがいなくなるなんて、嫌だ。アルヴィオスにだって、連れて行かせない。

 早く帰って来ないかな……ううん、ルイーゼ。今すぐにでも、会いたいよ。

 ルイーゼの顔が見たくて仕方がない。

 伝えたいことが、あるんだ。


「ねえ、ユーグ」


 雨の音に消されそうな声で、エミールはポツンと呟いた。


「ルイーゼに会いたい……連れて行って、ほしい」


 素直に告げると、ユーグは若草色の目を細めて、頷いてくれた。


「そうこなくっちゃ」


 頭をポンポン撫でられる。よくわからないけれど、褒められていると理解して、エミールは照れたように笑った。




 † † † † † † †




 生卵を叩き割る攻防は、雨によって妨害される。

 元から体力のないルイーゼは服が濡れたことによって、動きが極端に鈍くなってしまう。林の中ということで、ズボンを履いているが、それでも体力を奪われることには変わりない。

 時間が長引けば長引くほど、不利になる。ルイーゼは額を伝う雫を指で払った。汗なのか雨なのか、わからない。


「わたくしが、人魚の宝珠マーメイドロワイヤルを持っている? 冗談ではありませんわ」


 そんなもの、持っていない。

 両手には木刀とプチ・エクスカリバーちゃん。腰に生卵を提げているだけだ。決闘なので、宝飾の類は外している。


「なにを言っている。今だって、ほら」


 顔を指差されて、ルイーゼは眉を寄せる。

 チラリと、脇差の刀身に映る自分の顔を見た。ぼんやりとしているが、そこには、いつも通り蜂蜜の髪色と海のような深い蒼の瞳色が見て取れる。


「え」


 しかし、一瞬だが、自分の両眼が波打つように揺らめいて見えた。

 刀身が雨に濡れているからだろうか。しかし、異様な光景だと思ってしまう。


「そこに、あるんだろう?」


 ギルバートに視線を戻すと、彼の紅い右眼が炎のように揺らめいた。まるで、ルイーゼの見たものは目の錯覚ではないと示しているようだ。


「どういうことですか。なんですか、これ……え、宝珠?」

「宝珠に実体はない。器に鉱石を使っていただけだ。本当に自覚がないのか?」

「だって、そんな……」


 前世で自分が盗んで、行方不明になっていた宝珠。それを、今ルイーゼが持っている……?

 信じられない。だって、それでは、まるで――。


「わたくし、共犯ですか? 無自覚のまま、泥棒の共犯になっていたというのですか。嘘にございましょう!? バッドエンド不可避ではありませんかっ!」


 どうして、こんなものがある。というか、なんで目の中にある。いつから持っていた。むしろ、宝珠とはいったいなんなのか。


 そんなことは、どうでもいい。


 盗まれたブツを所有しているという事実に衝撃を受けた。

 最悪だ。無自覚悪党落ちだなんて。結局、ルイーゼは刺されて死ぬ運命を逃れることが出来ないのか。どうして、こうなってしまったのでしょう!


「……アンタ、大丈夫か?」

「大丈夫ではございませんっ! ああああああ! なんてことを教えてくれるのですか、あなたはぁぁぁああっ!」


 錯乱して頭を抱えるルイーゼを眺めて、ギルバートが呆気に取られている。彼は戦意喪失した表情で、雨に濡れた黒髪を掻きあげた。


「本当に、なにも知らないのか?」

「知りませんっ」


 ルイーゼは脱力して地面に膝をついてしまう。泥だらけになってしまうが、あまり構っている余裕がない。もう既にびしょ濡れだったので、関係ないように思われた。


「アンタ、前世の記憶があるんじゃないのか」

「ありますけれど……ド忘れと言いますか、なんと言いますか。自分が死んだ理由を思い出せないのですわ」


 前世の記憶があることは、今更隠せそうにない。ルイーゼは素直に白状した。取調室で「田舎のおふくろさんが泣いてるぞ」と、刑事に諭された犯罪者の心境だ。いや、違うか。とにかく、心が折れたと思う。


 ギルバートはいかにも拍子抜けしたような様子で、人魚の宝珠について語りはじめた。

 古より、魔力を持つ宝石として恐れられていたこと。そして、それは決して迷信などではなく、本当に魔の力を持っていると言うこと。


 フランセール王家は人魚の宝珠マーメイドロワイヤルを、アルヴィオス王家は火竜の宝珠サラマンドラロワイヤルを、それぞれ保有している。


 所有者によって能力差はあるが、双方、最低でも相手の心を軽く「色」として見る程度の力を得ることが出来るらしい。


 本来の宝珠に実体はなく、ギルバートは力の一部をアルヴィオス国王から割譲されているようだ。そのため、ルイーゼが宝珠を有していることも、前世の記憶があることもわかるという。


「なんとなく、だがな。詳しいことまでは、読み取れない」


 そこまでサラサラと喋ると、ギルバートはもう一度、「本当に覚えがないか?」と聞いた。


 勿論、覚えがない。

 だいたい、便利なチートアイテムを持っているのなら、ルイーゼにはどうして相手の心が見えないのだろう。それに、この世界に転生して長いが、そんな話は初耳だ。

 商人だった頃は、「どっかに魔法みたいなの落ちてねぇかな!?」とか言いながら旅したこともあったし、海賊だった頃も「どうせ、転生するなら魔法チートくらいくれても良いだろ。ふざけんな、神様出てこい!」と逆ギレしていたと思う。騎士の頃には、いろいろ諦めて枯れていた。


 そういえば、宝珠はいつから存在していたのだろう。


 確か、フランセールの歴史では宝珠は、「ある海賊」から奪ったと教えられている――あれ。おかしいですわ?


 ルイーゼの六番目の前世は、海賊だった。

 同じ海賊がチート級のお宝を持っているという情報を知ったら、真っ先に奪いに行きそうだ。だが、そんな噂を聞いたこともない。死後の話だった? だが、宝珠は古から存在するらしい。

 それに、今まで全く気がつかなかった。いや、あまり結び付かなかったが……現在のアルヴィオス王国が治める島は、六番目の前世で自分が根城にしていた場所に近くないか。いや、まさしく、その場所だ。


 ルイーゼの記憶には、矛盾がある。


「もしかして、わたくし」


 宝珠に関する記憶の一切が、抜け落ちている?


「あと一つ聞きたいんだが」


 思考が回らなくなったルイーゼを見下ろして、ギルバートが問う。


「なんで、アンタの前世二人分見えるんだ?」

「二人分……?」


 思考停止に追い打ちがかかる。

 ピーガガガガガ。紙詰まりのプリンター状態だ。ルイーゼは考えるのをやめた。もうなにを言われても、頭が回る気がしない。


「――ゼ! ルイーゼぇぇええ!」


 遠くから、声が聞こえる。泣きそうなくらい震える叫び声には、覚えがあった。

 なんだか、頭が痛い。先ほどまで卵割りの攻防をしていたせいか、息も上がっている。身体が重い。


「ルイーゼ!?」


 視界の向こうにエミールの姿が見える。分厚いローブを被って、雨の中駆け寄っていた。

 その様子を見ながら、ルイーゼは糸が切れたように眠りにつく。

 

  

 

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