第56話

 

 

 

 いつものように側仕えの仕事をこなし、その合間に壺目線でアンリを観察。

 そんな日常を続けながら、ミーディアは息をついた。


 どうも、カゾーランに渡せそうな情報は得られない。

 当然だ。今までだって、同じように観察してきている。ここに来て、アンリが急にポロポロ独り言つことも、怪しい行動を起こすことはないだろう。


「失礼します、お茶の時間です」


 ミーディアはティーセットが乗ったカートを止め、アンリの執務室を叩いた。中から「入れ」と聞こえたのを確認してから、扉を開ける。


「すまないが、近くまで持ってきてくれないか」


 アンリは机の書類を睨みながら頬杖をついている。いつも通りだが、微妙に違う光景に、ミーディアは一瞬動きを止めてしまう。


 立派な革張りの椅子に胴体を鍵付きの鎖でグルグル巻きに縛りつけられ、足首には枷のようなものがつけられている。腕だけが自由に動くようになっていたが、とても国王陛下の姿とは思えない。


「アンリ様……随分と前衛的なお姿ですね」

「……爺にやられた。最近、手段を選ばんのだよ」


 なるほど。ミーディアは納得する。

 昼間はルイーゼたちが決闘騒ぎを起こしていた。その結果、エミールが倒れたらしい。このサボリ癖のある国王は、大方、仕事を放り出して脱走したのだろう。結果、侍従長がキレて今に至るというわけだ。

 ミーディアは今すぐメモに取りたい気持ちを堪えた。

 ふふ。良い。良いです! この緊縛プレイ、とてもいいです! 馬目線でも、壺目線でも楽しめますっ!


「くッ……年寄りに縛られて、誰が喜ぶというのだっ。私にだって、好みがあるっ!」

「さっき、チラッと見たら、ルイーゼさんの執事は腕格子縛りでしたね」

「あああああ、羨ましいではないかっ! 私も、そっちがよかった!」


 アンリは侍従長が結んだ鎖を解こうと、ウダウダ身体を左右に揺らしている。その姿を見ながら、ミーディアはのんびりとお茶の準備をした。

 いつもと大して変わらない。

 ミーディアは優しく微笑を浮かべ、アンリの手が届く位置にティーカップを差し出した。


「セ――いや、カスリール侯爵令嬢」


 不意に、アンリがミーディアの手に触れる。掴む、というよりは、恐る恐る乗せる動作だ。

 ミーディアは半ば驚きながらも、平生を装った。


「お好きに呼んでくれて、結構ですよ。アンリ様」


 触れられた手から熱が伝わって、居た堪れなくなる。


 今、アンリはセシリア王妃の名を呼ぼうとした。


 ミーディアはセシリア王妃の生まれ変わりであると嘘をついている。そうすれば、アンリと長くいられると思ったからだ。

 だが、時々……こんな視線を向けられると、罪悪感に駆られてしまう。嘘をついたのは、ミーディア自身なのに。


「その、だな……」


 アンリは言い淀んで、言葉をはっきりと口にしない。言い難いことなのだろうか。

 もしかすると、十五年前のことについて、なにか聞けるかもしれない。ミーディアは神妙な面持ちを作った。

 アンリは短く息を吐いた後に、首を軽く横に振る。やがて、まっすぐな視線をミーディアに向けた。


「すまないが、やはり爺の縛り方は不満で集中出来ぬ。足枷はそのままでいいから、亀甲縛りにしてくれないか。ついでに、数発殴ってくれると有り難い」

「あ、はい」


 無意味なくらい真面目な表情で懇願され、ミーディアは深く頷くしかなかった。




 † † † † † † †




 結論を言うと、ルイーゼとヴァネッサの料理のせいで、十八人もの人間が倒れた。

 患者たちは王宮の客間に寝かされ、宮廷医が忙しそうに走り回っている。


「申し訳ありませんでした。次からは辛さを抑えようと思います」

「反省しております。今度から、甘さ控えめでがんばりますわ」


 形ばかりの謝罪を口にして、ルイーゼとヴァネッサが深く頭を下げた。自分たちの料理が原因だと、宮廷医にキツく言われたので、渋々だ。


 おかしい。異世界料理は絶対にウケるはずなのに。ルイーゼは納得がいかなかったが、王子を医者行きにした原因を作ったことには違いない。


「え、え……う、うん。僕は、気にしてないよ……生きてたし」


 二人に頭を下げられ、寝台の上でエミールがオロオロと俯いてしまう。枕元でとぐろを巻いていたポチがルイーゼの腕を這い上がって、チロチロと舌を出している。まるで、この事態を笑われている気がして、やや腹が立った。


「美味いと思ったんだがな」


 隣の寝台では、ギルバートが上体を起こしていた。看病のし易さという理由で、エミールはギルバートと同じ部屋に寝かされている。

 どういうわけか、ギルバートは王宮内を自由に歩く許可を貰っているらしい。本人は、アンリと取引をしたと言っているが、内容はルイーゼたちに知らされていない。エミールが引き籠り姫であることも、隠さなくてもいいようだ。


「ギルバート様、あまりご無理をされては困ります」

「いや、無理をしたつもりはないんだが。国の飯に比べたら、余裕だ」

「サラリと自国を貶めるのは、よろしくないかと」


 ギルバートの従者が呆れた様子で水を差し出している。

 眼帯をつけ、髭を蓄えているが、意外と若い男のように見えた。ギルバートと同じ闇色の髪を伸ばしており、顔はあまり見えない。

 この従者……どこかで? 存在が空気なので、どこにでもいるような人間と言えば、そうなのだが。

 ルイーゼが睨んでいると、従者は曖昧に笑って一礼した。


「クラウディオ・アルビンと申します」

「はあ。まあ……よくあるお名前ですわね」


 ルイーゼは愛想笑いを浮かべる。

 個人的には、


「はい。故郷でも一般的な名前ですよ」


 眼帯の従者アルビンはそう言って、距離を置くように一歩下がった。影のように、ひっそりと部屋の隅に立つ。

 ジャンもいつも空気のように存在感がないので、同類だろう。主を陰から支え、必要なときには、歩み出る。従者とは、そういうものだ。

 ジャンは最近、見返りを求め過ぎだと思うが。


「よろしゅうございます、お嬢さま! 今、ジャンを蔑んだ目で見てくださいましたね!」

「……あなたの察しの良さは評価しますが、少々欲望に忠実すぎますわよ」

「ありがとうございます、お嬢さま! よろしゅうございますよ!」


 褒めていない。

 ルイーゼは溜息をつき、ジャンに一鞭打っておくことにした。


「それで、さっきの続きなんだが」


 寝台の上で胡坐をかき、ギルバートがエミールに視線を向けた。

 エミールは思考の読み取れないオッドアイに見据えられ、「ひぃっ」と声を裏返している。軟弱者の引き籠り王子は、その視線から逃れるように、掛け布団で顔の下半分を覆った。


「な、な、ななに?」

「だから、ルイーゼを俺の国に持ち帰る話だが」


 寛いだ様子で、ギルバートは平然と言い放つ。

 その言葉に、誰もが身を前に乗り出した。エミールだけが布団の中に顔を隠して逃げている。


「はあっ!? なんの話ですか!」


 ルイーゼのいないところで、なんの話をしているのだ。ルイーゼは開いた口が塞がらず、ギルバートを睨みつけた。

 国賓? 知ったことではない。こればかりは、ルイーゼに関わることだ。拒否権があってもいい。


「あなたって人は……やっぱり殿方を垂らし込む悪女ですわね!」


 隣に立っていたヴァネッサがルイーゼを罵る。男性陣の目がなければ、胸倉を掴んでルイーゼを糾弾している勢いだ。だが、ぐっと耐えているのがわかる。


「……ル、ルイーゼがいなくなると、僕……こ、困る!」


 エミールが泣きそうになりながら、布団の中でモゾモゾしている。顔は見せないが、明らかに怯えているのがわかった。

 ギルバートの視線には有無を言わせないものがある。対人関係に慣れていないエミールでは、なにも言い返せないのだろう。


「別に妻にする気もないんだろう? だったら、俺が持ち帰っても、いいんじゃあないのか?」

「そ、そそそそうだけど……そうだけど!」


 どうやら、エミールはルイーゼがフラグを叩き潰したことで、きちんと恋愛感情を否定するようになったらしい。いいことだ。いや、この状況は全くいいとは言えないのだが。


 本人の意思など関係ない。そう言いたげに、ギルバートは話を進めていく。なにを考えているのか、わからない。

 ここは、エミールに任せていては、ダメだ。ルイーゼが助け舟を出す必要があるだろう。むしろ、ルイーゼ自身のことだ。口を出すほかない。


「お言葉ですが、わたくしは――」


 ルイーゼは一歩踏み出す。だが、それを阻む形で、前に出る人物があった。


「聞いていれば、勝手なことばかり。勘違いされていませんか、ギルバート殿下?」


 近衛騎士の真紅の制服を揺らして前に出たのは、ユーグだった。彼は無造作に束ねた赤毛を掻き分け、冷たい視線でギルバートを見下ろした。

 そして、これまで沈黙を守っていた騎士は、とんでもないことを言い放つ。


「ルイーゼ嬢は、このユーグ・ド・カゾーランの婚約者です。指一本、触れさせません」


 え?

 その場にいた人物が口を噤み、場が凍りつく。


 今、なんて?


「聞こえませんでしたか。ルイーゼ嬢は、私の婚約者です。外国へなど、連れて行かせません」


 はっきりと言い直して、ユーグはルイーゼの肩に手を置いた。

 見上げると、普段のオネェからは想像も出来ないくらい凛とした強い表情の青年がいる。肩に置かれた手に力がこもり、なんだかいつも以上に距離が狭く感じた。


「え? え? ええええ!? ユーグ様、なにを言っ……」

「なに、と? 初めて会ったときに、あなたは私に求婚してくれたではありませんか」

「そんなこと言った覚えは――あります。確かに、言いましたけど!?」


 突発的にシャリエ公爵から結婚しろと言い渡されて、「じゃあ、カゾーラン伯爵の息子なら、事情をわかってくれるし、いいよね☆」という、軽いノリで求婚したのは記憶に新しい。

 だが、飽くまで仮だ。すぐに解消するつもりだった。なにかの間違いで結婚することになっても、別にいいと思っていた気がするが、そんなことは幻想のようなものだ。

 脳筋伯爵の息子がオネェなどと、誰が想像していようか。実際、キッパリと断られたではないか!


「ル、ルイーゼ、本当なの?」


 布団の中から、エミールがチラリと顔を出している。泣いているようで、赤く染まった頬にボロボロと涙を零していた。

 どういうことなのですか。いったい、なにが!?

 だいたい、ギルバートといい、ユーグといい、ルイーゼの意思を無視して勝手すぎないだろうか。


「言ったことは事実ですが……」


 ユーグをもう一度見ると、目が合ってしまう。若草色の瞳は平然とルイーゼを見つめ返し、わずかな微笑を浮かべた。なんだかルイーゼは居た堪れなくなって、視線を泳がせてしまう。

 そんな二人の姿を見ていたエミールが気絶して、寝台に身を投げてしまった。


「つまり、アンタの婚約者だから、俺には渡せないと?」

「はい、諦めて頂きましょうか」


 挑発的なギルバートの視線を押し返すように、ユーグは人好きのする爽やかな笑みを浮かべた。

 こうやって普通にしていると、本当に甘い表情の優男(イケメン)だ。婦女子たちが熱を上げている気持ちも理解出来る。中身はオネェなのに。


「この……尻軽女!」


 だが、納得いかないと言いたげに、ヴァネッサが前に出る。

 ヴァネッサはそばかすの散った顔を真っ赤に染めて、狂ったような憎悪をルイーゼに向けていた。初めて宣戦布告されたときよりも、その感情は大きなものに感じる。


「許せませんわ……ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエ……ユーグ様という婚約者がいながら、数多の男を毒牙にかける悪女!」


 ヴァネッサはビシッとルイーゼに人差し指を突きつける。そして、高らかに宣言した。


「もう一度、決闘よ! 今度こそは、負けませんわ。尻軽女、私が勝ったら……その……ユーグ様と婚約解消なさい!」


 ヴァネッサは宣言して、勝手に顔を真っ赤にしている。運動していないのに息まで上がっており、緊張しているのが丸わかりだった。


「面白そうだな、俺もその決闘に混ぜてもらおう」


 ギルバートがいつの間にか寝台から起き上がり、ヴァネッサの後ろに立つ。彼は挑発的な視線をユーグに向けて、妖艶に笑った。


「……わかりました。では、私はルイーゼ嬢側につきます」

「決まりだな」


 ルイーゼの返事など待たずに、ギルバートとユーグが双方の味方につくと宣言。

 何故だか、令嬢たちの決闘に乗っかって、自分たちも遣り合うつもりらしい。どうして、そうなる。ルイーゼは、まだなにも言っていないのに。


 ややこしいことになりましたわ。

 ルイーゼは現在の構図に、頭を悩ませた。


 何故か、ルイーゼを国へ連れ帰ると主張しはじめたギルバート。

 今更になって、ルイーゼのことを婚約者だと言い張るユーグ。

 もう一度、決着をつけようと決闘を申し込むヴァネッサ。

 何が起こっているのか、思考が追いつかないルイーゼ。


 二回戦は、この四者の決闘となった。

 

 

 

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