第55話

 

 

 

 ふふ……ふふふっ。

 あーはっはっはっはっはっはっはっ!

 高らかな笑声を上げながら、ルイーゼは料理を眺めた。

 上出来だ。最高に良い出来だと自画自賛する。


 均一に切られた千切りキャベツは芸術。その布団の上に寝そべるのは、濃厚に輝く黄金のソースを纏いし貴婦人――今にも肉の脂が口の中に溢れ出そうな、厚みのあるハンバーグパテである。そこにピクルスと微塵切りの生玉ねぎを添え、半分に切ったパンで挟む。


 てりやきバーガーである。


 パンは軽く表面を焼き、香ばしく仕上げた。

 この美しいソースを彩るマヨネーズには、令嬢ズが投げつけてくる生卵を使用するという遊び心もある。割らないように数個キャッチしておいてよかった。

 ついでに、木っ端微塵に刻んだニンジンを使ったスープも用意している。


 見たことのない料理の出現に、会場も大いに盛り上がっているようだ。空中微塵切りのパフォーマンスもあり、すっかり、空気はルイーゼに傾いている。


「おーほっほっほっほっ! 流石は、わたくし!」


 勝ちましたわ。勝利を確信して、ルイーゼは気分が昂った。


「素晴らしゅうございます。よろしゅうございますよ、お嬢さま!」


 足元では、腕格子縛りになったジャンが転がっている。包丁仕事が早く終わって余裕があったので、ついつい縛ってしまった。調理台の下に隠れているので、問題ないだろう。大丈夫、健全だ。


 ルイーゼは自信満々の表情で、審査員席まで、てりやきバーガーを運ぶ。

 その頃、ヴァネッサも作業を終了していた。


 ヴァネッサが作ったのは、黄金色のコンソメスープ。

 シンプル且つ難易度の高い料理の一つだ。日本にいた頃は固形スープを溶かせば出来ると思っていたが、本格派は全く違う。

 出来上がりの透明感とは裏腹に、ブイヨンと共に野菜や肉、卵白などを煮込んだ、ドロドロのスープが元となる。火加減一つで澄んだスープとなるか、濁ったスープとなるか、運命が分かれるのだ。

 ヴァネッサの手にしたスープは、まさに澄んだ黄金。一流シェフに作らせたかのような、美しい逸品に仕上がっていた。

 これには会場も驚き、ヴァネッサを称賛する声が上がっている。


「絶対に負けなくてよ。あの方は、渡しません!」


 ルイーゼをキツく睨みながら、ヴァネッサが宣言する。

 薄々感じていたが、どうやら、ルイーゼが親しく(?)する殿方の中に、ヴァネッサの想い人がいるようだ。なるほど、それなら、嫉妬に狂うのもわかる。と、ルイーゼは女の勘を働かせてみた。


 だが、負けるわけにはいかない。


「わたくし、刺される瞬間以外に勝負事の類に負けたことは、ございませんのよ」


 死ぬ瞬間を除いて、ルイーゼが勝負に負けたことはない。

 そもそも、前世で死に続けたのだって、殺意というものに慣れていない女子高生やキャバ嬢だったり、騙し打ちされたり、乱戦だったり……泥酔したところを狙われたときは、流石に迂闊だった。

 経験を積んで、今度こそは刺されないと覚悟していても、仲間に薬を盛られるのは想定外だ。意味不明な理由で自分から突っ込むなど、論外だろう。黒歴史確定である。

 話が逸れたが、とにかく、ルイーゼは「勝負」で負けたことはない。

 無論、今回の料理勝負だって勝ってみせる。


「さあ、召し上がれ」


 ルイーゼは笑顔で立会人席の前に立つ。

 だが、そこにギルバートの姿を認めて、表情が消し飛んだ。この男、なにをしに来たのだ。虫唾が走る。毒を盛ればよかった。


「怖い顔をしてくれるなあ」


 ギルバートは足を組んだまま、余裕の表情だ。

 シャツのボタンを数個開けており、フランセール王宮ではマナー違反とも言える服装なのも気に食わない。いや、少しはだけすぎではないか? 見事に日焼けした胸筋が覗いているのは、とても良い光景なのだが。


 その隣ではエミールがポチを首に巻きつけて、この世の終わりみたいに絶望の表情を浮かべていた。人前なのに、「ふじさん」の呪文も聞こえてこない。ただ、泣きそうになるのを必死に耐えているようだ。

 後ろに立ったユーグが難しい顔で腕を組んでいるのも、少し気になった。

 ルイーゼが調理中に、なにかあったのか。しかし、気にする余裕などない。


「それでは、試食をお願いします」


 仕切っていた令嬢 (青)が声を発する。


 まず、審査員席に座っていた令嬢 (黄)がヴァネッサのコンソメスープに手を伸ばす。


「んぅ、良い香りですわ。流石は、アントワープ伯爵令嬢。完璧なスープです。この澄み切った色は、まさに黄金。シンプルだけど、奥ゆかしい趣を感じるのですわ。一流のシェフとも渡りあえるでしょう」


 まずはスープの見た目を称賛する。食レポの基本だろう。わかっていらっしゃる。


 次いで、令嬢 (緑)がルイーゼのてりやきバーガーを眺めた。


「見たこともない食べ物です。ソースがとても美しくて、高貴な雰囲気がしますわ。まるで、キャベツという雲に乗った天使。きっと、神が遣わした食物なのですわ。ほら、見てください。切り口から、こんなに肉汁が……! しかも、宝石のように輝いていますわ」


 令嬢たちとルイーゼは敵なのだが、評価者としては平等らしい。ジャンクフードに対する言葉とは思えない比喩で絶賛されて、ルイーゼは胸を張った。

 ヴァネッサもフンと鼻を鳴らしている。


 黄と緑の令嬢がほぼ同時に、作品を口へと運ぶ。

 じっくりと、味わうように。


「…………」

「…………」


 そして、


「あべし!」

「ひでぶ!」


 泡を噴いて倒れた。


「きゃーっ! だ、だれか手当をっ!」


 仕切っていた令嬢たちが声を上げる。ルイーゼとヴァネッサは顔を見合わせた。


「そんな大袈裟な……わたくしの料理が美味しいからって」

「きっと、美味しすぎて悶絶してしまったのですわ」


 珍しく息を合わせてお互いに自信に満ちた笑みを浮かべる。


「アクセントに、香辛料をたくさん入れてみたのよ。フランセールでは高価で珍しいハバネロまで仕入れた自信作です。特にキャロライナ・リーパーは、ようやく手に入った高級香辛料ですわ。スープの美しさを際立たせるために、ハバネロ油も混ぜてみましたの」


 ヴァネッサは笑いながら、調理台を指差した。

 皆、ルイーゼの空中微塵切りに気を取られて気がつかなかったが、ヴァネッサの調理台には数々の激辛香辛料が並べられている。確か、キャロライナ・リーパーとは、ハバネロの五倍辛い香辛料ではなかったか。

 加えて、見たことも聞いたこともない謎の観葉植物や、明らかに毒がありそうな色のキノコまで確認出来た。


「わたくしだって、工夫に工夫を凝らしたのですわ。てりやきソースを作りたかったのに、お醤油がなかったので、カラメルソースで代用しました。酵素はお肉を柔らかくすると聞いて、挽肉にはチェリーやイチゴ、メロン。あと、プリンも混ぜましたわよ。美味しそうなので、マヨネーズにはお酢ではなく、蜂蜜使用の特別レシピですわ」


 自信満々で料理を自慢し、ルイーゼは腰に手を当てた。


 四番目の前世では、極道の妻になった。あのときの夫は非常にキレやすく、「テメェは二度と料理するなッ!」と言われた記憶がある。だが、あれは夫がキレやすかっただけだ。

 問答無用で、「だったら、アンタが作りなよ、クソ野郎!」と、口に料理を押し込んだのを覚えている。ちょっとした救急車騒ぎになり、流石に息が出来なくなるほど口に物を詰めるのは辞めようと反省したものだ。


 ここは日本とは違う世界。

 ごく普通の料理でも、異世界で作れば、なんでも美味しい美味しいと飯テロになるのは、お約束なのだ。そのはずである。


「早く観客から料理を取り上げて! 死人が出る!」


 近衛騎士であるユーグが妙なことを言いながら、観客席に走っていく。だが、既に二人の料理を口にした客たちがバタバタと倒れまくっていた。


 そんな中で、黙々と口を動かす者があった。


「ふむ、なかなか美味いんじゃあないか? ちょっと辛いが」


 ギルバートだ。

 彼は誰もが悶絶しながら倒れるヴァネッサのスープを平然とした表情で啜っていた。


「うちの国の飯に比べたら、全然普通に食える」


 次いで、ルイーゼのてりやきバーガーも手で掴み、大口で頬張っていく。少し粗忽で野生的な食べ方だが、作り手としては有り難い。相手がギルバートでなかったら、ルイーゼも素直に笑っていただろう。


「へ? え? う、うそっ!? 平気なの!?」


 ギルバートの隣で、エミールがプルプルと震えている。

 彼はなにを思ったのか、震える手でルイーゼのバーガーを持ち上げた。ポチがこれ以上にないほど警戒してシャーッ! シャーッ! と、牙を剥いているのは、何故だろう。

 エミールはバーガーと、隣のギルバートを必死で見比べている。だが、意を決して、バーガーを口へと運んだ。


「エミール様、どうですか? 美味しいでしょう?」


 ルイーゼが問うと、エミールは口元を押さえながらガタガタと震えている。

 頬には滂沱の涙が伝っていた。エミールはあまり咀嚼せず、水で流し込むようにバーガーを胃へと葬っていく。


「お、お、お、おおおおおおおおいしい……おい、おいしい、よ! おいひぃっ」


 エミールは棒読みで告げ、ルイーゼのバーガーを一気に飲み込んだ。そんなに慌てて食べるなど、はしたない。だが、いい食べっぷりに、ルイーゼは気分が良くなった。

 しかし、ルイーゼの料理を全部呑み込んだところで、エミールは力尽きたように顔を蒼くして机に突っ伏す。口から、生気のようなものと一緒に「わあ……川の向こうで母上と父上が手を振ってるよぉ……」という言葉が漏れていた。因みに、彼の父上は健在だ。


「はは、外国は本当に面白いことをしているな」


 恐らく、決闘そのものを指しているのだろう。ギルバートが涼しい顔で笑いながら、水を口に含む。

 だが、逞しい筋肉のついた腕がわずかに震え、握っていたコップが床に落ちて割れる。


「な……んだと……?」


 ギルバートが涼しい顔のまま、音もなく後ろ向きに椅子ごと倒れていった。



 こうして、アントワープ伯爵令嬢ヴァネッサ vs シャリエ公爵令嬢ルイーゼの決闘は、審査不能につき、引き分けで幕を閉じた。

 

 

 

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