第54話

 

 

 

 決闘はフランセールの文化でもある。

 誇りと誇りを賭ける高潔な闘い。通常の喧嘩な

どと違って高尚なものとして位置づけられていた。

 決闘には王の承認が必要で、立会人の元、公の場で行わなければならない。

 元々は騎士たちのために取り入れられた制度だが、現在は誰でも決闘することが出来る。飼い犬同士の喧嘩が原因で、犬の決闘を許した事例も存在するらしい。


 勿論、令嬢同士の決闘も許可される。


 時は正午、場所は温室。

 普段は貴婦人たちのお茶会や催しに使われる優雅な空間。フランセールでは育たない珍しい柑橘類やオリーブの木が植えられ、独特の雰囲気を醸している。日光を取り入れる大量のガラス窓が、フランセールの技術力の高さを示していた。

 そこに設けられた客席に、貴族たちが座っていく。席は早い者順だ。立ち見する者まで現れていた。


「シャリエ公爵令嬢と、アントワープ伯爵令嬢の決闘ですって」

「二人とも大人しい淑女候補だというのに、なんと野蛮な」

「いいえ、シャリエ公のご令嬢は、ああ見えて遣り手ですわよ。なんと言っても、あの引き籠り姫を手懐けているのだから!」

「噂をすれば、あそこ! 引き籠り姫よ!」

「話には聞いていたけど、本当に部屋から出るのね」

「陛下にお顔立ちがそっくりでいらっしゃるわ」

「緊張しているのかしら。とっても、可愛らしい」


 エミールは小鹿のように震える足を引きずって、ユーグについて歩いた。

 人が多すぎて怖い。この中に、座らなければならないのか。そう思うと、気を失ってしまいそうだ。


 頭の上でとぐろを巻く蛇のポチが、シャーッと周囲を威嚇してくれている。最初は怖くて気持ち悪かったが、今では良い友達だ。ルイーゼにもらった蛇なので、とても大事にしている。

 初めての友達かもしれない。蛇だけど。


 人が多くて緊張する。怖い。

 部屋に帰ろうかな。

 でも、ルイーゼの決闘を見たい。


 ルイーゼに、エミールの気持ちは「憧れ」なのだと告げられた。よくわからないまま納得したけれど、やっぱり少し寂しい。これも、ルイーゼに憧れているから、なのかな?

 最近、ルイーゼが余所余所しい。目を合わせてくれないとか、話しかけてくれないとか、そういうことはない。でも、なんだか言葉に壁のようなものを感じてしまう。


 まるで、エミールを自分の中に踏み込ませたくないみたいだ。


 拒絶されている気がして、悲しくなるときがある。

 早くルイーゼみたいになりたいのに。強くなって、ルイーゼみたいになって――ルイーゼみたいになって、どうしたいんだろう?


 ルイーゼの手をずっと握っていたい。そのために、強くなりたい。

 これって、憧れ? これが、憧れ?

 そうだとしたら、憧れという感情は、とても辛くて苦しいものだと思った。


「殿下には、特等席をご用意しております」


 見ると、会場を取り仕切る令嬢が何人かいるようだ。ピンクのドレスを着た令嬢に促されるまま、エミールは自信なく歩いた。


「こちらです。この立会人席へ、どうぞ!」


 案内されたのは、テーブルと椅子が用意された広い席だった。四人ほどが並んで座れるようになっており、既に青と緑と黄色のドレスを着た令嬢たちが座っている。

 こんなところに座ると、余計に目立つ気がする。ただでさえ、エミールに注目の視線が集まっている状態だ。耐えられるだろうか。心臓がバクバク鳴って居心地が悪い。頭がクラクラしそうだ。

 エミールは恥ずかしく思いながらも、チョコンと端の席に座った。


「まあ。殿下ったら、とっても可愛い!」

「見て、ユーグ様もいらっしゃるわ」

「ああああああああ、この席幸せすぎるぅぅぅううう!」


 令嬢たちが悶えている理由がわからない。

 とりあえず、エミールは顔を蒼くしながら、上を向いておくことにした。えっへん。

 ついでに、呪文のように「ふじさんふじさんふじさんふじさん」と繰り返しておく。これで、たいていのことは乗り切れる気がする。

 なんと言っても、ふじさんは最強の魔王だ。きっと、強くてかっこよくて、大きいんだ。そういえば、ルイーゼに意味を聞いていない気がするけど、絶対にそうだ。そう思い込むことにした。

 後ろからユーグの「もうやだ、帰りたい。雌豚ちゃんばっかり!」と悪態を吐く声が聞こえたけれど、ちょっと構っている余裕がない。


「面白いことをしているんだな、この国は」


 不意に声を掛けられ、エミールは心臓が止まるかと思った。

 耳の奥に残るような、低くて艶のある声。妙な色気を感じる声音には、聞き覚えがあった。

 エミールはカラクリ人形のようなぎこちない動作で、隣を見上げる。


「あ、あ、あ、あああああ!?」

「そんなに驚かなくても、良いんじゃあないか?」


 声にならない叫びをあげるエミールに対して、ギルバート王子が人懐っこい笑みを浮かべる。彼は隣に座っていた令嬢に「俺も混ぜてくれないか」と声をかけ、無理やり席に着く。


「アルヴィオスの王子様が、なんでここに!?」

「美形密度が上がりすぎて、もう……!」

「誰か、お水をください。頭を冷やします!」


 ヒソヒソと話し合う令嬢たちを尻目に、ギルバートは長い足を組んで寛ぐ。

 夜会の正装とは違い、シャツのボタンを数個開けた少し野生的な服装だ。初めて祭で見たときのように、異国風の短剣も提げている。


「アンタの父親と取引してな。しばらく、自由にさせてもらうことにした」


 どうして、ここに。そんなエミールの疑問を読み取ったかのように、ギルバートは饒舌に話した。


「そ、そ、そそそうですか」


 エミールは全くセリフを用意していないため、舌足らずのまま喋る。

 ポチがシャーッと牙を剥きながら、エミールの首に巻きつく。きっと、エミールの不安を察知してくれたのだろう。頭の良い蛇だと思う。


「なあ、アンタ。ルイーゼのことが好きなのか?」

「!?」


 いきなり、明け透けなく問われて、エミールは閉口する。

 ギルバートは左右で色の違う眼に挑発的な笑みを浮かべた。見透かされている気がして、怖い視線だと本能的に感じる。部屋に置いてきた仮面を持ってくればよかった。隠れたい。むしろ、帰りたい。逃げたい。弱音ばかり頭に浮かんで、泣きそうだ。


「ぼ、僕は……ルイーゼが、好きだ……憧れてる」


 小さな声を震わせながら、エミールはギルバートを精一杯睨み返した。堂々としていないとダメだ。気持ちで負けたら、きっとダメな場面だ。そう感じたのだ。

 気持ちはもう泣きそうだけど。


「ふうん、憧れか」

「そ、そうだよ」

「んじゃあ、王太子妃にしようって気は、ないんだな?」


 それは、ルイーゼと結婚する気があるのか、ということだ。

 ルイーゼの言う通りなら、エミールは彼女に恋愛していない。憧れているだけだ。

 結婚は好きな人とするもので……でも、王族だから政略結婚もあって……エミールの結婚相手に関しては白紙だ。好きな相手を選ぶ権利は、あると思う。今のところ、エミールの好き嫌いで相手が決まる。


「そういう話は……決まって、ない、かな」


 正直なことを言った途端、ギルバートは興味深そうにエミールを眺めた。だが、すぐに薄く笑って「くっくっ」と声を立てる。


「そうか。じゃあ、俺が国に持ち帰っても、文句はないな」

「え!?」


 国に持ち帰る……つまり、ルイーゼがアルヴィオスに連れて行かれる!?

 エミールは目を剥き、開いた口が塞がらなかった。後ろでユーグも驚いているようだ。


 ダメだよ。そんなことさせない! ルイーゼは渡さない!


 そう叫びたい。叫びたくて仕方がない。

 けれども、妖艶に笑う隣国の王子を前に、エミールは少しも声をあげることが出来なかった。パクパクと、唇が小刻みに開閉するだけだ。


 だって、エミールはルイーゼに恋しているわけじゃないんだから。




 † † † † † † †




 時は満ちた。

 出来る限りの準備はした。今朝も素振りと走り込みを行い、抜かりない。


 ルイーゼは手にした脇差、改め、プチ・エクスカリバーちゃんをギュッと握りしめる。

 やはり、木刀に比べると重い。扱いには慣れが必要だったが、数日振っていれば問題なかった。長さも、ルイーゼの身長には妥当だと思える。


 魔法少女の杖のように赤い鞘を持ち、刃を半分抜いてみた。

 キラリと光る鋼鉄の刃に、薄く波紋が浮かんでいる。前世で鍛冶屋に頼んで(脅して)細かく注文をつけた甲斐があったというものだ。

 刃は錆びることなく、今でも切れ味抜群。魔改造されてしまったが、リュシアンヌがメンテナンスしてくれていたお陰だ。その点では、感謝している。邸宅で試し切りしたが、あらゆるものが刻めた。


「それでは、今回の決闘を執り行います! お二方、前へ!」


 場を仕切っていた令嬢 (ピンク)が声をあげる。

 ルイーゼは腰に巻いた革ベルトに、木刀と一緒に脇差も差す。そして、ゆっくりと、堂々とした面持ちで歩み出た。

 現れた決闘者に、ギャラリーが歓声をあげる。向かい側を見ると、ヴァネッサが余裕の笑みを見せて仁王立ちしていた。チョコレート色の髪を纏め上げ、気合い充分である。

 ルイーゼは氷の刃のように設えた殺気を携え、指定された位置へと移動する。ヴァネッサも負けじと気合いの視線を返していた。


 よろしい。これは好敵手となるだろう。

 魔王のように笑いながら、ルイーゼは相手の出方をうかがった。


「お二人とも定位置につきましたわね。それでは、決闘開始です! 存分に、力を発揮してくださいませ!」


 決闘開始を告げるベルが鳴る。

 同時に、ルイーゼは低い姿勢で踏み出した。そして、素早く、――山積みにされた食材へと手を伸ばす。


 決闘の内容は、料理対決。より多くの立会人の心を掴んだ方が勝ちとなる。

 フランセール伝統の決闘様式だ。騎士同士であれば、今でも斬り合いの決闘が行われる。だが、貴婦人同士の決闘ではあらゆる方法を選ぶことが許された。料理対決は、ヴァネッサ側からの提案である。


 ヴァネッサは手早く目当ての食材を籠に入れて、自分の調理台へと持ち帰っていく。野菜や肉の選別に迷いがなく、慣れている空気を醸し出している。


「負けるわけには、いきませんわ。あの方が見ているのですもの!」


 気合いたっぷりで言いながら、ヴァネッサは牛肉を切り分けていく。貴族の令嬢とは思えない手際の良さだ。


 一方、ルイーゼも負けるわけにはいかない。


「おーほっほっほっほっ! わたくしを舐めないで頂きたいですわね!」


 ルイーゼは高笑いしながら、プチ・エクスカリバーちゃんを抜き放つ。そして、大玉のキャベツを宙高く放り投げた。

 この数日、前世までの感覚を取り戻そうと練習に練習を重ねたのだ。流石に、勘だけでここまでのわざを披露することは難しい。


 さあ、わたくしの美技に酔いなさい!


「おおおお! なんだ、あれは!」

「み、見えないわっ!?」


 秘儀・空中切り!


 大玉のキャベツが空中で一瞬のうちに細い千切りになっていく様を見て、見物客たちが盛り上がる。歓声が気持ちいい。


「セイヤァァァァァアアアアッ!」


 次いで、ニンジン、タマネギも空中微塵切りにしていく。勿論、皮だってちゃんと剥いてある。大きさも均一で、見事な木端微塵だ。

 プチ・エクスカリバーちゃんの調子は絶好調。とても切れ味が良い。魔法少女の杖のような見目を除けば、完璧だ。

 ルイーゼは、ついでに牛肉のブロックも空中で解体する。肉を斬る感覚は実に気持ちが良い。血が滾り、自然と禍々しい笑みが浮かんだ。


「あーはっはっはっはっはっはっはっはっ!」


 この勝負、絶対にもらった。

 ルイーゼは直近三回の前世は男ばかりだった。ロクに料理などしていない。貴族令嬢である現世でも、自分で厨房に立ったことはなかった。

 だが、その前の前世は四度女性! しかも、調理実習から夫婦生活まで経験済みである。

 加えて、ここは日本とは違う次元の異世界。

 つまり、ルイーゼの作る料理は、フランセール人が見たことないものばかりだ。


 異世界料理物の定番である。

 見たことも聞いたこともない、未知の料理は強い! 加えて、このパフォーマンス。ルイーゼが負ける要素などない!


 勝った。この決闘、もらいましたわ!


「ふふふ……はーはっはっはっはっはっ! ふはははははははははは!」


 ルイーゼは輝かしい勝利を確信しながら、魔王が如き笑声をあげて食材を刻み続けるのだった。

 

 

 

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