第47話

 

 

 

 緩やかなオーケストラの演奏と、煌びやかな光が溢れ出てくる。

 緞帳どんちょうの陰に隠れ、エミールは夜会の様子をうかがっていた。


「僕がんばる僕はふじさん僕がんばる僕はふじさん僕がんばる僕はふじさん僕がんばる僕はふじさん僕がんばる僕はふじさん僕がんばる僕はふじさん」


 涙を堪えながら、呪文のように呟き続ける。

 意味はわからないが、ルイーゼが「今日からあなたは、富士山です」と言ってくれたのだ。期待に応えなければいけない。


 それに、これはエミールにとって大事な場面だと理解出来ている。

 このままでは、一生「引き籠り姫」だ。外へ出て立派な王子になるには、今日を乗り越えなくてはいけない。


 一昨日、初めて王族の公務を見た。


 本来なら、自分もあの場にいるべきなのだ。それなのに、エミールはいつも部屋の中で独り怖がるばかり。自分に課せられた責務がなんなのか理解もしていなかった。

 部屋に引き籠るのは簡単だ。たぶん、楽だ。

 でも、エミールは外に出ようと思った。

 もっと多くのことを知り、父のような王族になりたい。もっと鍛えて、カゾーランのように強くなりたい。もっと堂々として、ルイーゼのようになりたい。


 まだまだ、そんなことを言えるほど強くないのはわかっている。

 エミールはどうしようもない軟弱者で、泣き虫で、臆病で……なにもかもが足りていない。今だって、足が震えて動けないし、華やかな会場を眺めているのも億劫だ。

 立派な王子になる。そんなことを言えるほど、エミールはなにかを成したわけじゃない。


 ただ、ルイーゼのために――そう、ルイーゼのためにがんばりたい。


 ルイーゼがいるから、エミールは外に出る勇気が出た。ルイーゼがいるから、がんばろうと思えるのだ。

 出来れば、ずっとそばにいてほしい。

 いつか立派になれたら、自分がルイーゼの手を引いて歩くんだ。隣でずっと励ましてほしい。


 やっぱり、これが恋ってことなのかな? ずっと一緒にいたくて、大切だと思ってて……ルイーゼのことを考えるのは楽しい。でも、時々、胸が締めつけられるように痛くなるんだ。

 自分は全然、ルイーゼに好きになってもらえる人間になっていない。もしかしたら、嫌われるかもしれない。

 そんな不安で胸が痛くなる。泣きたくて仕方がなくなる。


 ミーディアとのダンスは楽しい。優しくて、放っておいても自然に体が動く。

 でも、やっぱり、ルイーゼと踊りたい――そう言い出す勇気もなかった。本当に弱々しくて情けない。


 剣の稽古でも、ミーディアから「お父上以上の運動音痴みたいですね」と苦笑いされてしまった。今は基本を捨てて護身術のようなものから、教えてくれている。

 僕は、まだまだ駄目だ。

 ルイーゼがいないと、本当に駄目な引き籠りだ。


「よ、よし……」


 ミーディアが打ち合わせ通りに、緞帳の近くに現れた。

 ここでエミールが出て行き、彼女を誘ってエスコートする。セリフは「ご令嬢、僕と踊りませんか?」だ。短いセリフ。


 そして、父と一緒にいるはずのギルバート王子に声を掛ける。セリフは「こんばんは、ギルバート王子。お楽しみ頂けていますか? 今宵は建国祭の最終夜。存分にご堪能してください」だ。こちらも短い。

 打ち合わせでは、このタイミングで音楽が変わり、ワルツがはじまる。自然な流れでミーディアを会場の中央へ誘導し、一曲踊るのだ。そして、カゾーラン伯爵に呼ばれる振りをして、会場を後にする。


 たったそれだけだ。セリフは二言。何度も練習した。毎日、窓の外に向けて「あめんぼあかいな あいうえお(以下略)」と、よくわからない呪文を叫ぶボイストレーニングもした。仮面舞踏会にも出た。女装してパレードも見に行った。

 周囲の人のことは馬かなにかだと思えばいい。

 そう、馬……! う、馬って、やっぱり怖いな。背が高いし、蹴られたら痛そう。あ、駄目だ。馬だと思ったら、怖くなってきちゃった。どうしよう。


 エミールはカタカタと身体を小刻みに震わせる。

 少し離れたところに、アンリの姿が見えた。隣にいるのが、ギルバート王子だろうか。

 後姿だが、背が高くて立派な体格をしていると思う。たぶん、エミールなどよりずっと強いのだろう。スラリと長い肢体を包む漆黒の衣装も、闇色の髪と調和しており、堂々として見える。

 あれが、王子。エミールとは全く違う。逞しくて、凛々しくて、覇気がある。

 いつか、あんな風に――。


「え……?」


 ギルバート王子の横顔を見て、エミールは凍りつく。あの顔には、見覚えがある。


「え、え、え!?」


 更に、なんということだろう。ギルバート王子はルイーゼと話しはじめてしまった。人が前を通ってよくわからないが、足元に跪いたようにも見えた。


 ダンスに誘っているのだと、直感した。


 ルイーゼはギルバート王子にダンスを誘われたのだと思う。

 しかも、あの王子……間違いない。一昨日の夜にパレードで見た不審者だ。ユーグを卑怯な手で屈服させ、そして――ルイーゼにキスをして逃げた男だ。

 そのときのことを思い出し、エミールは顔が熱くなるのを感じた。クラクラして、倒れそうになる。だが、寸でのところで踏みとどまった。


 どうして、あんなところにギルバート王子がいたのだろう。

 そんな疑問はどうだっていい。

 問題は彼がルイーゼをダンスに誘っていることだ。


「僕は……ふじさんっ!」


 よくわからないまま、足が動いていた。


「ふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさん」


 自分を鼓舞する呪文のようにブツブツ呟きながら、エミールは前に進んだ。

 煌びやかな会場の空気は緞帳の向こうとは全く違う。仮面舞踏会とも雰囲気が全く異なり、広い視界には、いろんなものが見えた。


「え、あれって……!」

「陛下によく似てらっしゃいますわね……まさか、あれが!?」

「どうして、このような場所に引き籠り姫がいらっしゃるのですか」

「今日は槍が降りますわ」

「その程度なら、よろしくてよ。この世が終わるかもしれませんわ」

「どうしましょう! わたくし、まだユーグ様にダンスを誘われていないわ!」

「誰も貴女など誘いませんから、安心なさい」


 だいぶ酷い内容のヒソヒソ話が耳に入ったが、右から左へと綺麗に抜けていく。

 会場がざわめき、物珍しいものを見ようと、誰もがエミールに視線を注いでいた。


「殿下、よかった。少し遅れたので、心配しま――」


「ふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんしじみふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさんふじさん」


 声を掛けてくれるミーディアさえ視界に入らない。そのまま無視して、ミーディアの横をすり抜けていった。


「え、で、殿下!? フジさんって、誰ですか!? 馬目線でもわかりません!」


 なにも目に入らない。耳に入らない。

 視線の先にいるルイーゼしか、見えなかった。不思議な感覚だ。まるで、この世界にエミールとルイーゼ二人しかいない気がしてくる。

 ルイーゼがギルバート王子の手を取っていた。真剣な表情は、戦うときのかっこいいルイーゼのものだ。エミールが好きな顔の一つ。


「ルイーゼ!」


 ふじさん呪文を辞め、エミールは叫ぶようにルイーゼの名を呼んだ。

 その声に驚いたのか、ルイーゼはギルバート王子の手を離してしまう。現状に気づいたアンリやカゾーランが、信じられないと言いたげにエミールを見ていた。

 もうわけがわからない。頭が真っ白だ。どうしよう。あれ、これから、どうすればいいの?

 心の中で問うが、答えてくれる人はいない。


「エ、エミール様?」


 エミールはゴクリと唾を呑みこんだ。


「こ……こんばんは、ギルバート王子。お楽しみ頂けていますか? 今宵は建国祭の最終夜。存分にご堪能してください」


 何度も何度も練習して、身体に染みついたセリフを放つ。こんなに上手く言えたのは、初めてかもしれない。

 面食らったように黙ってしまったルイーゼの顔が、少し可愛く思えた。こんな顔もするんだって思うと、ちょっと嬉しい。


「へえ……貴方がエミール王子ですか」


 観察するように向けられたギルバート王子の視線に、エミールは怯みそうになる。紅と藍を宿したオッドアイは風変わりで、美しい。でも、その奥に言い知れない威圧感のようなものがある気がした。

 一瞬、右眼が炎のように揺らめいて見えたのは、気のせいかな?


「そ、そうです。僕がエミールだ」


 セリフにない遣り取りをしてしまう。出来るだけ堂々と見えるように胸を張ってみた。ついでに、さっき部屋でルイーゼに言われたように、上を向いてみる。これで、堂々とした。と、思う! えっへん!


「同い年とは思えないくらい、可愛い王子様ですね」


 褒められてるのかな? エミールは少し誇らしげに、「よろしゅうございますッ!」と叫んでおいた。なんか返事を間違えた気がするけど、まあ、いっか!


「息子は随分と妻に似たのだ」


 アンリが補足を入れながら、自然な動作でエミールとギルバート王子の間に入った。


「エミール様、ミーディアはどうしたのですか。緊張しすぎて、段取りを忘れましたか? 陛下が時間稼ぎしている間に、さっさとミーディアを連れて来ましょう」


 今のうちに体制を立て直すつもりなのか、ルイーゼが小声でエミールの隣に立った。ユーグがミーディアを連れに会場を横切りはじめる。


 けれども、エミールはそんなルイーゼの手をしっかり握った。

 そして、練習通りの一礼を披露する。


「ご、ご……ご令嬢、僕と踊りませんか!?」


 思いのほか大きな声をあげてしまい、ギルバート王子たちが、こちらを振り返る。みんな、驚いた表情だった。

 でも、一番驚いているのは、ルイーゼだ。

 深海のような蒼い眼をパチクリと瞬かせ、可愛い顔でエミールを見ている。丸みを帯びた頬がほんのり桃色になっているのが、甘くて美味しそうだ。


「エ、エミール様!?」

「ルイーゼ、ぼ、僕と踊ろ」


 言いながら、エミールは俯いてしまう。たぶん、桃色のルイーゼよりも、更に顔が赤くなっていると思う。

 恥ずかしいし、綺麗なだけじゃなくて可愛いルイーゼを見ていると、気を失いそうになる。


「ルイーゼ嬢とは、俺が先に約束しているのですが」


 二人の様子を見て、ギルバート王子が少し挑発するように笑った。エミールにはない男っぽさと、妙な色気がある。たぶん、「魅力的な殿方」とは、こういう人のことを差すのだ。

 確かに、ルイーゼを誘ったのはエミールの方が遅かった。しかし、エミールは怯まず、ルイーゼの手を強く握る。


 こうしていると、不思議と勇気が湧いてくるんだ。


 ふじさんに、なってる気がする! きっと、ふじさんは強い魔王かなにかの名前に違いない。魔王ふじさんに、僕はなる!


「も、申し訳ありません。ギルバート王子……ルイーゼとは、僕が先に約束……や、約束してたんです! だから、僕が踊ります!」


 全く予定になかったセリフだ。

 途中で噛んで舌足らずになってしまったが、構うものか。計ったようなタイミングで、ワルツがはじまる。それを合図に、エミールは少し無理やりルイーゼを会場の真ん中まで連れて歩いた。


「ど、どうしたのですか、エミール様。こんなの予定には……」

「ぼ、僕、そんなにダメだった、かな?」


 急に不安になって、ルイーゼを見下ろす。

 練習通りにダンスのポーズをきちんと取った。ルイーゼはミーディアより少し小柄だったけれど、あまり変わらない。


「い、いえ……多少強引で唐突でしたが、いつものエミール様よりは、ずっと王子らしかったと思いますわ……」

「ほんと?」


 その言葉を聞いて、エミールは満面の笑みを浮かべた。胸の奥がほんのり温かくて、自然に笑いたくなったのだ。

 ルイーゼに触れていると緊張して、心臓が壊れるくらいバクバクと鳴ってしまう。眩暈のようなものがして倒れそうになることもある。でも、なんだか楽しい気分にもなるんだ。

 やっぱり、僕はルイーゼと踊りたかったんだよ。そう伝えたくて堪らない。伝えても、大丈夫かな?


「エミール様……」


 でも、どうしてだろう。

 僕はこんなに嬉しいのに、ルイーゼは少し機嫌が悪そうだ。

 機嫌が悪い? 違う。

 どうして、ルイーゼがこんなに哀しそうな表情をしているのか、エミールにはわからなかった。

 

 

 

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