第48話

 

 

 

 突然のことで、ルイーゼは思考が追いつかなかった。


 エミールはミーディアを伴わずに現れ、ルイーゼをダンスに誘った。最初は緊張で気が狂ったのだと思ったが、そうでもないようだ。

 歩き方は比較的スムーズだし、ダンスも上手く踊れている。表情はやや硬いが、笑顔を作る余裕があるようだ。

 今まではミーディアにリードしてもらって踊っていたが、今回の相手はルイーゼ。

 若干の踊り難さがあるのか、時々戸惑ったように止まってしまう。けれども、概ねルイーゼのことをリードしよう努めていた。やはり、エミールはそれなりにダンスの才がありそうだ。

 しばらく、なにも言わないまま黙々とダンスを踊る。下手に話しかけて集中力を切らすのもよくない。


 曲は終盤へと差しかかる。

 エミールは泣きだしたり、倒れることなく、ダンスを踊り切ろうとしていた。今までの引き籠りからは想像もつかない姿である。

 周囲の反応も、引き籠りに対する好奇の目から、エミールが踊れることに対する驚きに変わっていた。教育係であるルイーゼを称賛する声も聞こえる。あと、父であるシャリエ公爵の大きな泣き声も。

 考えられない進歩だ。ルイーゼも鼻が高いし、誇らしい。


 だが、ルイーゼには不安しかなかった。

 どうして、エミールはミーディアと踊らなかったのか。彼はまっすぐにルイーゼの元へ歩いてきた。そして、ギルバートから奪うように、ダンスに誘ったのだ。

 何故、そんなことをしたのか。今までの引き籠り姫では、考えられない行動だ。


 これは、まさか――。


「ね、ねえ、ルイーゼ」


 演奏が滑らかに終わり、エミールはルイーゼの顔を覗き込んだ。白い顔が耳まで真っ赤に染まり、リンゴみたいだった。

 このあとは、カゾーランがエミールを呼びに来て、会場から離脱する手筈になっている。

 だが、エミールはそれを待たずに歩きだしてしまう。ルイーゼの手を引いて。


「エミール様」


 ルイーゼは声をかけるが、エミールは聞こえない振りをしているのか、それとも、聞いている余裕がないのか。そのまま、ルイーゼの手を引いて会場を後にしてしまった。


「引き籠り姫が、令嬢をお持ち帰りしたわ!」

「嘘にございましょう!?」

「でも、思っていたより殿下は素敵だったかもしれません」

「お顔立ちが可愛らしかったわ。ご両親に似たのですわね」

「少し好みかもしれませんわ」

「あなたに目をつけられるなんて、殿下もお可哀そうに」


 エミールの行動にざわざわと会場がどよめいている。それを背にして、エミールはズンズン突き進む。

 アンリとの晩餐からルイーゼを連れ出したときと同じだ。いや、あのときよりも、力強いかもしれない。

 見ると、エミールの掌は少しばかりマメが出来ていた。剣の初心者が作るものだと直感する。

 カゾーランは最近忙しくて、稽古などつける暇がなかったはずだ。誰か別の人間に教えてもらっているのか、それとも、一人で稽古しているのか。

 いつの間にか、エミールが成長している。ルイーゼの知らないところで確実に逞しくなろうとしている姿を見て、胸がもやもやした。


「ルイーゼ、僕ね」


 エミールがポツンと声をあげた。やや張りのある、しっかりとした声だ。気がつくと、芝桜モスフロックスの庭まで来ていた。

 随分と歩いたものだ。もう芝桜は終わって花は咲いていないが、月明かりに沈む小さな庭園というものは、それなりの情緒がある。


「僕、こうやって、ルイーゼの手握るの……好きなんだよ」


 エミールが振り返り、ルイーゼと目を合わせる。


「……ずっと、ずっとルイーゼの手を、握っていたい……ルイーゼの手は温かくて、しっかりしてて、なんか、楽しくなるんだ。さっきも、怖くて仕方なくて、もう、どうしようもなくて、不安だし、よくわかんなくなって……でも、ルイーゼの手、握ってたら、その、強くなれた気が、する」


 エミールの表情がどんどん崩れ、サファイアの瞳に涙が溜まっていく。赤くなった鼻頭がスンスン音を立て、もうすぐ泣きそうだとわかった。


「だから、他の誰かが……ルイーゼの手、握ってるの……なんか、嫌だった」

「エミール様」


 ついにエミールは赤く染まった頬にポロポロと涙を流し、ルイーゼを両手で掴んだ。

 絶対に離さないと言いたげに、エミールはルイーゼの手を強く握りしめる。そこから、エミールの考えていることが伝わってくるようで、ルイーゼは困惑した。


 これは……これって、まさか――ルイーゼは驚愕して、自分の身体が慄くのを感じる。


「ルイーゼが、キスされるのも、嫌……ルイーゼ、僕ね……僕……!」

「エミール様、ちょ、ちょっとお待ちくださ――」


 不意にエミールとの距離が縮まっていく。エミールが泣き顔のまま、ルイーゼの顔に迫ってきた。


 あ、これは――いけませんわ!


「僕、ルイーゼのことが――好き」

「ストップですわ!」


 ルイーゼは素早い身のこなしで、ハンカチを取り出す。そして、泣いてグシャグシャになったエミールの顔に押し付けてやった。


「ぶわぁっ」


 いきなりハンカチを押し付けられ、エミールは驚いて変な声をあげている。だが、ルイーゼは構わず、エミールの顔をハンカチで拭いてやった。床に雑巾がけするように、ゴシゴシと、容赦なく。


「エミール様、あなたは勘違いしていると思われますわ」

「へ、はへ!?」


 エミールが間抜けな声を上げながら、ルイーゼを見ている。ルイーゼはとっさに強気な表情をつくって、腰に両手を当てた。堂々たる仁王立ちである。


「わたくしを好いてくださるのは、嬉しいことですわ。誰にも負けない美貌を持った、このわたくし。好かない方がおかしいですもの……でも、エミール様のソレは『別の好き』にございますわ」

「べ、別の……?」


 エミールは不思議そうに首を傾げている。雑巾のように擦ってしまったので、鼻の頭が擦り剥けていて、少し痛そうだ。


「その好きは、恋とか愛とか、そのような安っぽい感情ではないと思われます。エミール様、いつも仰っておりますよね。わたくしのようになりたい、と」

「え、うん。早くルイーゼみたいになって、立派な王子に……」

「そうでしょう? お父上のようにも、なりたいのでしょう?」

「う、うん。早く父上みたいになって、立派な……」

「そうでしょうそうでしょう! では、お父上に、今のようにキスをしたり、手を繋いだり、キャッキャウフフしたいと、思われますか!?」

「…………それは想像出来ない、かな」

「そうにございましょう! そういうことなのです!」


 ルイーゼは声を張って力説した。選挙カーの上で「ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエに、清き一票を!」を言っている気分で力説した。


 エミールがルイーゼに恋をしてしまった。


 これは、駄目だ。由々しきことだ。このフラグだけは折らなければならない。なにがあっても、絶対にだ!


 王族などと結婚したら、確実にバッドエンドフラグが立ちますわ。エミール様は引き籠りの軟弱者。政治など出来ませんもの。わたくし、実権を握りたくなってしまいそうではありませんか。夫を虐げる凶悪な王妃。そんなポジションになったら、確実にバッドエンドに決まっています!


 ルイーゼだって、エミールには支えが必要だとわかる。

 だが、それはルイーゼでなくてもいいはずだ。

 今のエミールは他に頼れる人間を知らないだけ。引き籠りを脱すれば、恋だってするし、政治を任せるに足る人物と出会うこともあるだろう。


 現世こそは、刺されて死なずにハッピーエンドで締め括りたいのです。わたくしは、王族と結婚するわけには、まいりません! ルイーゼは断固とした決意を胸の内で表明し、拳を握った。


 野心、ダメ! 絶対!


「でも、ミーディアが、僕はルイーゼに、恋してる、って」


 やはり、入れ知恵したのはミーディアか。余計なお節介をしてくれる馬娘だ。


「ミーディアと、わたくしの言葉、どちらが信用出来るのですか? わたくしが信じられませんか?」

「そ、そんな。ルイーゼのことは、その、あの、信じてるよ……」

「ミーディアは勘違いしているのですわ。あの方も恋愛脳のお花畑さんですからね。エミール様のわたくしへの感情は、恋愛ではございません。それは『憧れ』と言うのですわ」

「憧れ……憧れ、なの?」

「早く、わたくしのようになりたいのでしょう? 立派になって、皆から認められる王子になりたいのでしょう?」

「う、うん」

「だったら、その気持ちは『憧れ』に間違いありませんわ。エミール様は、わたくしに憧れているのです」


 そう結論付けると、エミールは「うーん」と首を捻って考えはじめる。


「でも、ルイーゼがキスされてるの見て、僕、悲しくなって……」

「それは、あの現場がショッキングだったからでしょう。わたくしだって、あれは泣きたかったのです。いろんな意味で」

「そうなの? で、でも、手繋ぐの好きだし……」

「それは不安だからでしょう。あと、わたくしのことを王妃様に似ていると言っていたではありませんか。きっと、母親について行く雛鳥の気持ちなのですわ」

「そ、そんな気もしてきた……でも、ルイーゼのこと、誰にも盗られたくない、かなって……」

「独占欲は誰にでもあります。エミール様は腑抜けの軟弱者でいらっしゃいますから、わたくしがいなくなると、なにも出来ないではありませんか。きっと、そのことが怖かったのでしょう」


 エミールの言葉を全て恋愛から遠ざけるように修正していく。

 こういうフラグは、今のうちに全て叩き折るに限る。いや、叩き潰す。完膚なきまでに叩き潰して、二度と血迷ったことを言わせてはならないのだ。相手が納得するまで、フラグを折るのをやめない!

 だいたい、ルイーゼは恋愛などにかまけるつもりはない。恋愛脳前世だって、得など一つもしなかったではないか。前世の失敗は無駄にはしない主義だ。必死に悪党落ちしないように努めているのも、そのためなのだから。


「うーん……そっかぁ。僕はルイーゼに恋、してないんだね……あの、だったら、その……さっきは、ご、ごごごめん」

「いいのです。よかったですわね。わたくし以外の令嬢に、あのようなことをしていれば、きっと相手の方を傷つけましたわ。一流の殿方は、きっちり順序を踏むものです」


 エミールはいつものように興味深そうに、うんうんと首を大きく振って頷いていた。どうやら、納得したらしい。


 エミール自身、恐らく恋愛をよく理解していないのだ。手懐けやすい王子で本当に良かった。これが成熟した大人だったら、アンリのときのように苦労したかもしれない。

 まったく、この親子はどうして、ルイーゼのハッピーエンドを邪魔してくれるのだろう。面倒くさい。


 とはいえ、ルイーゼは、とりあえず安心する。

 これで、バッドエンドフラグを一つ回避することが出来た。大満足だ。




 † † † † † † †




 華やかな宴の会場から夜の暗がりへと、男は溶けるように戻っていく。


 それなりの収穫を得て、男は満足そうに笑った。漆黒の衣装を翻し、波打つ海のような蒼を宿した左眼に触れる。やや冷たい夜風が闇色の髪を梳かすように揺らした。

 未成熟な色、隠す色、迷う色、宿す色、歪まぬ色、歪な色――少し探せば、これだけの「色」が揃っているものだ。待った甲斐があったということか。


「次は、アレだな」


 男は唇に妖艶な笑みを描く。

 視線の先に佇む白衣の騎士。若草色の瞳の奥に秘めた「色」を感じ取って、男は笑う。


 よく知った律動のワルツに、小さな鼻歌が乗る。音楽が好きだった記憶はないが、今日は概ね気分が良い。


 それにしても、これだけ堂々と姿を現しても、案外誰にも気がつかれないものだ。男はバルコニーに背を預けながら、滑稽になってきた。笑いを禁じ得ない。

 無理もないか。


 誰も、十五年も前に死んだ男と同じ姿の人間がいるなどと、思いもしないのだから――。

 

 

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