第46話
可憐なローズピンクのドレスが踊るように揺れる。
同じ色の生地で作らせた大きなリボン飾りが蜂蜜色の髪を彩っていた。首飾りは瞳の色に合わせた深い蒼。頬と唇に薄っすら入れた紅が、白く透明な肌色を引き立ててくれる。
ルイーゼは堂々とした態度で、華やかな舞台へと躍り出た。
建国祭第三夜の夜会は王宮で盛大に執り行われる。
前王シャルルの頃は市民と貴族では通される会場が違っていた。だが、アンリの代になって、貴族も市民も同じ広間へと通されるようになった。
市民の参加者も抽選で選ばれる。
装いを用意出来ない者には、委託された貴族が責任を持って着飾らせることとなっていた。貴族たちがその責を怠らないよう、国王が気に入る市民と、その着付け役の貴族には報償が与えられることになっている。これは故セシリア王妃の案らしい。
因みに、報償は自由だ。昨年は「是非、エミール殿下の教育係を!」と申し出る猛者がいたが、あえなく撃沈して三ヶ月で廃人になったという。
恐らく、エミールを上手いこと教育して王宮での地位向上を狙ったのだろう。残念な話だ。
ルイーゼはとりあえず、周囲を見回す。
エミールはあとから来る予定なので、まずはアルヴィオスの王子を確認しておきたい。もう会場入りしているだろうか。
「あら、ちょうど良いところに」
ルイーゼは壁際に立っていたユーグを見つける。
今日は近衛騎士の制服ではなく、鮮やかなコバルトブルーの衣装を着ており、印象が違う。いつもはやや無造作な赤毛もきっちりと束ね、文句のない貴公子然とした格好である。
周囲の令嬢たちが飢えた目つきでユーグを眺めているのがわかった。滅多に人前に出てこない自称事務方の引き籠り騎士なので、当然か。
顔だけは昔の父親に似て、女性が好みそうな優男である。中身は、完全にオネェなのだが。
「あら、姐さ――んんん。シャリエのご令嬢、如何されましたか?」
またカゾーランに「普通にしておれ!」と、キツく言われているのだろう。最高に機嫌が悪そうな表情で、無駄な丁寧語を使われてしまった。
「ご機嫌斜めのようですわね」
「当り前です。私は猫被りが苦手なので。こんなに雌豚、いえ、ご令嬢方に見られていると、吐気がします」
「殿方は大変ですわね。わたくしなら、『キャピッ☆』で誤魔化せますので苦労したことはございませんわ」
「……姐さんのことは認めてるけど、やっぱり、ソレだけは気持ち悪いと思うわ」
わざわざ素の口調に戻って、ユーグは嫌味そうに表情を変えて笑った。
その態度が頭に来て、ルイーゼは思わず殺気を飛ばしてしまう。だが、ここは夜会の場。ユーグもこれ以上の反撃がないことを知ってか、鼻で笑って肩を竦めた。
なんだ、この敗北感は。
「ところで、ユーグ様。ギルバート殿下は、もう会場入りしているのですか?」
問うと、ユーグは思い出したかのように再び不機嫌になってしまった。今日は本当に虫の居所が悪そうだ。
「陛下がお相手していますよ。私は近づきたくもありません。思い出すだけで虫唾が……」
なるほど、エミールが来るまでの繋ぎをアンリが行っているわけか。建国祭の間、フル稼働しているはずなので、そろそろ疲れも溜まっているだろうに。王族というものは大変だ。
「好みの
「むしろ、色男すぎるんだけど……」
ユーグのこの心底嫌そうな態度が気になる。禍々しいものを見るような目つきだ。
ルイーゼは会場内を見回した。
アンリが相手しているということは、近くにいるはずのカゾーランを探せばいいわけだ。
「あそこですか」
意外と近くにカゾーランの姿を認めて、ルイーゼは目を凝らす。侍従長もいる。すぐにアンリも見つけた。
そして、アンリと会話する青年――ギルバート・アルヴィオス王子と思われる人物を見て、ユーグと全く同じような表情を浮かべてしまった。
「ユーグ様……アレは、いったいどういうことですか?」
「それは、こちらが聞きたいです」
ユーグの不機嫌の原因は、コレだったか。
苦虫を噛むような表情を浮かべるユーグと同調するように、ルイーゼも鋭い殺意を抱かずにはいられなかった。
闇のような漆黒の髪を掻きあげて社交的に笑う青年。右は紅玉、左は海の藍を宿した特徴的なオッドアイは見間違えるはずがない。
一昨日にパレードでルイーゼたちに絡んできた男だった。
今を思えば、ギルと名乗ったのは、ギルバートの愛称のようなものだったのだろう。少し訛りのあるフランセール語を話していたのも納得出来る。
「あの男……!」
最早、品行方正、深窓の公爵令嬢という肩書をかなぐり捨てて、ルイーゼはギリギリと奥歯を噛んだ。
ルイーゼの前世をオカマ呼ばわりして、その上、あろうことか唇まで奪っていったあの男を絶対に許さない。王子? 知ったことではない。絶対に、許さない。絶対にだ!
殺意を込めた視線で睨んでいると、なにか勘付いたのか、ギルバートがこちらを振り返る。
不味い。ルイーゼはとっさに逃げようと、ユーグの後ろに回った。だが、遅い。ギルバートはアンリに短く断りを入れると、まっすぐにこちらへ歩み寄った。
「こんばんは。可愛らしいご令嬢」
訛りがあるが、丁寧なフランセール語で話しかけられ、ルイーゼは虫唾が走った。
白々しい! 二度も絡んできたくせに。
けれども、冷静になる。
彼は国賓だ。アルヴィオスの使者として、この場にいる。彼に対する一挙一動、全てが外交だと言えるだろう。
ルイーゼが敵意を剥き出しにして怒らせれば、どんな事態に発展するかわからない。最悪、バッドエンドフラグが立ってしまう。いや、間違いなくバッドエンドだ。
それに気づき、ルイーゼは愛想笑いを貼り付けた。ユーグも分を弁えてか、なにも言わない。
「こんばんは。ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエと申しますわ」
「ようやく名前が聞けましたね。前世がオカマのルイーゼ嬢」
だから、その前世オカマって、なんなのですかっ!? ルイーゼは憤りを覚えるが、なんとか呑み込む。
「ギルバート・アルヴィオスです」
ギルバートは改まったように腰を折って挨拶をした。彼はそのまま騎士がするように、ルイーゼの前に
「へ?」
ルイーゼは異常を感じ取って目を丸くする。
ギルバートは流れるように自然な動作で両膝をつき、更に低く下げた頭を床につける体勢を取ってしまったのだ。日本で言うところの、土下座に近い。
意図が読めず、ルイーゼは顔を引き攣らせた。
まさか、先日のことをイキナリ詫びている? まさか? ギルバートはそのようなキャラに見えないのだが……これは、何倍返しくらいなのだろう。十倍? 百倍? は?
「なにをしているんですか? さっさと踏んでください」
「ふ、踏む!?」
ギルバートが顔だけあげて、不思議そうにルイーゼを見ていた。ルイーゼは意味がわからず、後すさりしてしまう。
踏むって、どういうことですか!?
「ああ……これは婦人に対する挨拶らしい。向こうでは、公式の場でこうやって男が低い姿勢になり、婦人に頭を踏んでもらうということだ」
先にギルバートと話していたアンリがサラッと解説を入れてくれた。毎年、国賓の相手をしてきたせいか、すっかり慣れたという様子だ。小さく、「羨ましい風習だ」と付け足したのは、無視してあげた。
「え、えぇっ!? ……あ、挨拶、ですか?」
これが!? ルイーゼは硬直してしまう。
普段、ジャンの頭を蹴りつけることには慣れているが、流石に他国の王族の頭を踏んでいいものか悩んだ。
「そうか。最初は抵抗があるかも知れぬな……良いだろう。では、まず国王である私を踏んで慣らしてみると良い!」
戸惑うルイーゼを気遣うという名目で、何故かアンリがギルバートの隣に並ぼうとする。だが、これは流石に侍従長とカゾーランによって阻止されてしまった。
小声で、「陛下はご令嬢に踏まれたいだけでしょう!?」「だって、羨ましいではないか! 私は疲れておるのだ。癒しが欲しい!」「お耐えください! この爺があとで踏んで差し上げます!」「……それは結構だ」「な、なんですって、陛下!?」とかいう応酬が聞こえてくる。
一応、二人ともフランセールの古語を使って話しているため、ギルバートには意味はわからないはずだ。侍従長様、本当にご苦労様です。
とはいえ、ギルバートの頭は普通に踏んでも良いらしい。むしろ、踏まなければいけない状況のようだ。
ルイーゼは息を呑み、ドレスを摘まんで片足をあげた。
そして、思い切ってギルバートの後頭部に足を置いた。触れるか触れないか程度の寸止めである。本当は頭蓋骨が陥没するくらい思い切り踏み抜いてやりたいのだが、仕方がない。
後ろの方でアンリが「羨ましいではないか、羨ましいぞ!」と言っていたが、侍従長とカゾーランによって、口を塞がれてしまう。この国王、本当に疲れているようだ。大丈夫なのか。
「ほう。ルイーゼ嬢、その踏み方は相手を誘うときのものですが、そのように捉えてよろしいですか?」
すぐに足を下げると、ギルバートが悪戯っぽく笑いながら立ち上がる。
「さ、誘う?」
「いかにも。我が国では、想い人には優しく、好意のない相手には容赦なくグリグリ踏み抜くのです」
えええええええ!? なんですか、そのルールは。気を遣ってソフトにしただけですのに。そういうことは、早く言ってくれないと困ります! ルイーゼはよっぽど抗議しようと思った。
しかし、ギルバートは絶望のような表情を浮かべるルイーゼの手を取って、また意地悪そうな笑みを浮かべる。妙に色気があり、癇に障る表情だ。
「嘘です。そんなルールはありません。俺が単に誘いたいだけだ」
どこまでが本当なのか嘘なのかわからない。異国文化を盾に、いろいろと騙されているのが気に食わなかった。
ギルバートはフランセールと同じ流儀でルイーゼの手を取り、指先に軽く口づける。
「とりあえず、一曲踊りませんか?」
ルイーゼが戸惑っていると、ギルバートは誰にも聞こえないように、こう付け加えた。
「アンタ、覚えてる人間なんだろう? 自分の前世」
唐突に放たれた言葉に、息を呑む。
気のせいだろうか。一瞬だけ、ギルバートの紅い右眼が炎のような揺らめきを持ったように感じた。
その視線に捕えられて、ルイーゼは目を逸らすことが出来ない。
「よろしいですわ、ギルバート殿下。是非、踊りましょう」
ルイーゼはギルバートの言葉に頷いていた。
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