第45話
カッチンコッチン。
まさに、そのような擬音が似合うだろう。
ガチガチに固まったまま動かないエミールを余所に、ルイーゼはのんびりと夜会の服を選んでいく。
若葉を思わせる爽やかな緑の上衣、それに合わせて選んだのは鳶色のベスト。
首元を飾るのは、なにがいいだろう。ルイーゼはしばし考えて、白いスカーフを手に取った。
「変に凛々しくしても逆効果ですものね。可愛らしい路線で攻めてみましょう」
ルイーゼはエミールの首にスカーフを巻きつけ、綺麗なリボンになるよう結んだ。
蒼い顔をして固まっていたエミールが泣きそうになりながら、顔を赤くしていった。
「エミール様、信号機のようになっておりますわよ」
「し、しんごーき?」
聞き返すエミールを無視して、ガーネットのタイ留めでリボンを飾りつけてやる。
シャツもふんわりとしたタイプなので、少々女々しいか。しかし、似合っているので問題ないだろう。
「ん、エミール様。少し屈んでくださいませんか? 手が届きません」
髪を整えてやろうとするが、ルイーゼの身長ではエミールの頭頂部が良く見えなかった。
長年引き籠っていたせいか小柄に育ったエミールだったが、最近、背が伸びたようだ。いつの間にか、若干大きくなっていることに気がつく。
恐らく、日に当たらないことで遅れていた成長期が今頃訪れているのだろう。筋トレの成果もあってか、肩幅もやや出てきた。
「僕、大きくなったの?」
「そのようですわね。いいことですわ。逞しい方が、殿方として風格が出ますからね」
「そ、そうかな?」
エミールは少し照れたように、ようやく笑みのようなものを見せる。緊張のせいか、ぎこちなく、唇の端がピクピク痙攣していた。
「でも、僕……そんなに背は伸びなくて、いいかな」
ルイーゼに髪を梳かされながら、エミールは俯いてしまう。いきなり、顔の向きを変えないでもらいたい。ルイーゼはやや苛立って、エミールの顎を指でクイッと掴んで視線を上向ける。
エミールはパクパクと口を開閉させて言葉を呑みこんだが、やがて、恥ずかしそうに目線を泳がせた。
「あ、あんまり背が伸びると、その、ルイーゼの顔が……あの、覗きにくいかな、って……」
「別に、わたくしの顔色をいつも窺う必要はなくてよ。殿方なら、堂々と上を向くものですわ」
そう言って背を叩くと、エミールは「上? うーん、上? それ、前見えるの?」と首を傾げている。
これから、建国祭の第三夜。夜会がはじまろうとしている。
アルヴィオスの王子ギルバートとの交友が目的だが、この夜会には多くの貴族や、抽選で当たった市民も参加する。
成功すれば、「引き籠り姫」と呼ばれるエミールの悪い噂を払拭する良い機会となるだろう。しかし、失敗すればエミールの引き籠りとしての実態が、より周知の事実となってしまう。
国家間の交友だけではない。
今後のエミールの評価にも関わる重要なイベントだ。突貫工事のような仕上げ方になってしまい、不安ばかりが残る。
「殿下、不安になったときは、こちらを使ってくださって、よろしゅうございますよ!」
不安が募って顔を曇らせていたエミールの前にジャンが傅く。
差し出された鞭を見て、エミールは首を傾げる。
「これでジャンを打ってくださって、よろしゅうございます!」
「え、え……? でも、だって……」
「殿下の気が晴れるのでしたら、喜んで! 鞭打てば、きっと夜会の緊張も吹き飛びましょう!」
ジャンはシャキーンとした表情でエミールに自分の背を差し出した。だが、エミールは戸惑ったように表情を引き攣らせている。
「だ、だって……ルイーゼの執事は、夜会には出られないんでしょ?」
沈黙。真っ当な答えである。
ジャンは留守番なので、緊張したときに鞭打つことは出来ない。
それに気づかされ、ジャンは「よろしゅうございませんでしたぁぁぁああああっ! せめて、今ここでお仕置きをぉぉぉぉおおおっ!」と叫びはじめた。
「まあ、それはさておき。わたくしは、先に会場へ向かうことに致しますわ」
後から遅れてやって来る設定のエミールと違って、ルイーゼには付き合いや建前もあるのだ。
夜会がはじまればエミールの相手はミーディアがすることになる。ルイーゼは遠くから、エミールの様子を眺めているだけの簡単なお仕事だ。
ルイーゼはニッコリと笑い、お仕置きを求めるジャンを引きずって歩いた。仕方がないので、うるさい口を黙らせるようにヒールを捻じ込んでおく。
「ル、ルイーゼ!」
部屋を去ろうとするルイーゼの背に、エミールが声をかける。ルイーゼは何気なく振り返り、「なんでしょう?」と答えた。
「あの、あのね、ルイーゼ。ぼ、僕……やっぱり、ダンスに誘うのは、ルイーゼが――」
エミールがなにか言いかけたタイミングで、扉をノックする音がする。エミールは怯んで黙ってしまい、顔を赤くする。
ルイーゼは言葉の続きを待ってみたが、しばらく反応がなさそうなので、溜息をついて扉を開けることにする。
外には、ミーディアが立っていた。
艶やかな黒髪を綺麗に巻き、アップスタイルに纏めている。ドレスも質の良い光沢を放つシャンパンゴールドで、シンプルだが美しい。流石は名門カスリール侯爵家の令嬢と言ったところか。
「エミール様をお迎えに来たのですわね? ちょうど良いですわ。わたくし、そろそろ会場入りするつもりでしたの」
「まあ、そうなんですけど……その前に、ちょっとお話したいことがあるんです」
ミーディアは声を潜めながら、小さくルイーゼに手招きした。その表情が神妙なので、ルイーゼは何事かと思い、サッとエミールの部屋から外に出る。
「お嬢さま、ジャンも……」
「少しの間、一発芸でも披露してエミール様の緊張を解していてください」
そう言って、ジャンもエミールの部屋に入れておく。
ミーディアが特別に言いたいことがあるとすれば、前世のことかもしれない。あまり関係ない人間に聞かれたくなかった。
「なんですか?」
問うと、ミーディアは深刻そうに顔をあげた。だが、言おうかどうか、まだ迷っているようで、言葉を発するに至らない。
「早く言ってくださいな」
ルイーゼは痺れを切らして、鞭を壁に空打ちした。ミーディアは「ひひぃんっ!」と肩を震わせて顔を引き攣らせる。そして、意を決したように口を開いた。
「あの……もしかすると、元ご主人様は冤罪かもしれませんよ?」
「は?」
ミーディアの「元ご主人様」とは、普段はルイーゼのことだ。けれども、時々、前世のことを指しているときがある。
この場合、後者の意味だろう。
ルイーゼはいよいよ機嫌が悪くなり、親の仇でも見るような表情でミーディアを睨んだ。
「聞いてしまったんです。その……
「そのようなことはありません。よく覚えておりませんが、きっと、わたくしが盗んだのですわ。他に誰が盗むというのですか」
馬鹿馬鹿しい。カゾーランは陰謀説を持ち出すし、どうして、みんなルイーゼの前世を悪党にしてくれないのだろう。冤罪など、濡れ衣に決まっている。
「セシリア様が盗んだと、聞きました」
ミーディアは酷く悩んでいたようだが、俯きながらようやく告白する。
ルイーゼは流石に面食らって、蒼い目を見開いた。だが、すぐに不信の視線を向ける。
「はあ。王妃様が、人魚の宝珠を?」
自分でも驚くくらいやる気がない声で聞き返してしまう。なにを言っているのだ、この馬娘は。
「誰から聞いたのですか?」
「アンリ様が、独り言で……」
「陛下の独り言ですって? そんなもの、アテになりませんわ。どうせ、またストーカーして聞いていたのでしょう? 聞き間違いかもしれませんわ」
「で、でも! わたし、確かに――」
「仮に、王妃様が宝珠を盗んだとしましょう。だったら、前世のわたくしはなにをしたのですか? まさか、裏切り者の王妃様を殺して、そのまま自分が罪を被るように死んだとでも? 冗談じゃありませんわ」
冗談ではない。そんな話、冗談でなければならない。
「それでは、まるで善人ではありませんか。わたくしの前世は悪党です! そうでなければ、困るのですわ!」
なにも悪いことをしていないのに、刺されて死ぬなど御免だ。いや、王妃殺害犯なので、全く悪くないわけではないが、ニュアンスが変わってしまう。
そんなことを認めれば、今、ルイーゼがしようとしていることは、なんだというのだ。ハッピーエンドを目指して生きている意味がないではないか。
なにをしたって、刺されて死ぬとでも言うのですか?
考えたくない。現世では、そんな死に方をするわけには、いかない。
まだエミールの教育だって終わっていない。あの王子のことだ。それなりになったとしても、軟弱体質は変わらないだろう。
わたくしがいないと、駄目なのですわ。
わたくしが、エミール様をずっと――そこまで考えて、ルイーゼはハッと我に返った。
今、なにを考えていた? ずっと、エミールを支えようとか、そばにいようとか考えていたのではないか?
駄目です。いけませんわ。それはつまり、国王になったエミール様を操って「真の支配者」になるということですわよね?
ダメダメ! 正気に戻るのですわ、わたくし。それは紛れもなく野心。野心なのです! きっと、これはフラグです! バッドエンド不可避になる前に、野心を捨てなくては!
「とにかく、そのような話は聞きたくありませんわっ!」
ルイーゼは混乱してグルグルする頭を立て直そうと、話を区切ることにする。ミーディアは納得いっていないようだ。
「あなた、この話を誰かにしましたか?」
「いいえ……」
「では、誰にも言わないように。特にカゾーラン伯爵にだけは、言ってはいけませんわよ? 破ったら、あなたの嘘を陛下に暴露してやりますから」
「うっ……」
以前の口ぶりでは、カゾーランはこのことを知らない。感情に任せて猪突猛進する彼のことだ。こんなことを知ったら、単独でも調べようとするかもしれない。
それで、前世の無実が証明されてみろ。ルイーゼにとっては、最低最悪の結果だ。
「きっと、なにかの間違いですわよ。仮に、その話が本当でも……そう。そうですわ。王妃様を脅して、無理やり盗ませたのですわ。そして、口封じを。きっと、そうに違いありません! まあ、なんて悪党。流石は、わたくしの前世!」
ルイーゼは早口で捲し立て、部屋の中に戻ろうと踵を返す。だが、ミーディアが進路を塞ぐように立ちはだかった。
「でも、わたし……わたし、元ご主人様が悪党だなんて、思ったことありませんよ。そりゃあ、全然撫でてくれないし、大事にされていなかったでしょうけど……わたし、元ご主人様のこと、大好きなんですから! だから、あんな事件でお亡くなりになったって聞いて、ほんとに……ほんとに悲しくて」
「そんな話、聞きたくありませんっ!」
「薄情じゃありませんか? だって、自分の前世ですよ。自分自身だったんですよ。どうして、そんなにキッパリ切り捨てられるんですか? わたしには、無理でした!」
「きっと、わたくしとあなたは違うのですわ。放っておいてください!」
やめろ、やめろ。聞きたくなどない!
ルイーゼはミーディアの声を振り切るように歩き、エミールの部屋の扉を開けた。
第三者に聞かれる状況であれば、ミーディアも黙るだろう。目論見通り、ミーディアは声を窄めるように黙ってしまった。
しかし、部屋を開けた瞬間、ルイーゼはもう一度扉を閉めたい衝動にかられた。
「よろしゅうございます、よろしゅうございますよ! 殿下ぁぁぁああっ!」
部屋の中に響くペシンッパシンッと、控えめな鞭の音。
「え、う、うん……こ、こう?」
ジャンは何故か上半身を脱いで晒した状態であった。
その背に、困惑しながら、しかし、賢明な表情で鞭を振り降ろすエミール。
「殿下、もっと強く打ってくださって、よろしゅうございますよ!」
「え、うぅ……い、痛くないの?」
「それがいいのでございますよ、殿下!」
「そ、そうなの? うーん……こう!?」
「よろしゅうございますぅぅぅうあああああ……はあ、はあっ! 殿下、もっと、もっとでございます!」
「あぅ……でも、ちょっと緊張しなくなってきた、かな? やっぱり、ルイーゼの執事はすごいんだね!」
後ろでミーディアが物凄い速度でメモを取りはじめる。もう、先ほどの話など、どうでもいいという勢いだ。
ルイーゼは苦笑いしながら、しばらく二人に声を掛けることを躊躇うのであった。
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