第39話

 

 

 

 ミーディアが取るリズムに合わせて、エミールが足を運ぶ。

 その姿を眺めて、ルイーゼはジャンの用意した紅茶を啜る。優雅に、ゆっくりとした動作で。芳醇で甘みのあるアールグレイが嗅覚を刺激してくれる。

 なにせ、ダンスの稽古中は暇なのだ。相手役兼指導者をミーディアに任せてしまったせいで、ルイーゼはすることがない。ニート状態である。


「お嬢さま、殺気が出ておりますよ」

「お黙りなさい。次のプランを考えているだけですわ」


 ジャンが自然な動作で跪いたので、ルイーゼは遠慮なく踏みつけておくことにした。ついでに、ティーポットに入った熱々の紅茶もバサーッと頭に流しておく。


「よろしゅうございます、お嬢さま!」

「……よろしくなくてよ」


 あまり、スッキリした気がしない。物足りなさを感じて、ルイーゼはジャンの顔を蹴り飛ばして、空のティーポットも投げつけておいた。

 唇を尖らせ、息を吹く。すると、ティーカップの水面がボコボコっと音を立てて泡立った。非常に行儀が悪い行為だと自覚はしている。


「る、ルイーゼ。どう? 僕、上手くなった……かな?」


 一曲踊り終わり、エミールが控えめに問う。目を合わせようとしないのが気になるが、ルイーゼは不機嫌のまま頬杖をついた。


「ダンスは、まあまあですわ。及第点でしょう」


 少々不満は残るが、社交界デビューには充分なレベルに達している。

 両親に似たのだろうか。エミールは自分でリズムを取ることも出来るし、音感もある。たぶん、ボイストレーニングを行えば、歌も上手くなるのではないだろうか。

 強かさや計算高さ、堂々とした立ち振る舞いなども受け継いで欲しかったが。


 ルイーゼの言葉を聞いて、エミールは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 拾われた子犬のように嬉しそうで、白い頬を桃色に染める様は愛くるしい。とても十九歳の王子には見えないが。

 ここのところ、ルイーゼはエミールを叱責しかしていなかったせいか、こんな表情を見るのは久しぶりだと気づく。純真無垢な表情を向けられて、思わず怯んでしまった。


「ダンスだけ、ですわ。まだ言葉遣いがダメダメです。立ち振る舞いもイマイチ。自信と度胸が明らかに不足していますわ。それに、人前でそれだけ踊れるかも、疑問です」

「う、ぅ……」


 エミールは極度の外界恐怖症の引き籠りだ。人と話すことも緊張するし、華やかな会場にも長時間居られない。今と同じように踊れる保証もなかった。いや、無理だ。


「ということで、エミール様。ここに、招待状がございます」


 ルイーゼは落ち込むエミールの前に一通の封筒を差し出した。エミールは戸惑っていたが、恐る恐る、ルイーゼの手から封筒を受け取る。

 仮面舞踏会の招待状だった。

 ミーディアも覗き込んで、息を呑んでいる。


「こ、これって……」


 エミールが冷や汗を滝のように流し、ガタガタと震えはじめる。首を横に必死で振るが、ルイーゼは笑顔で無視した。


「度胸試しですわ。大丈夫、カゾーラン伯爵にも話をつけておりますので、倒れても運んでくれます」

「そ、そういう問題じゃ、なくて……!」


 エミールはミーディアに助けを求めようとしているのか、視線を泳がせた。


「そうですね。殿下、お付き合いしますよ」

「え、ええっ!?」


 当てが外れたようだ。ミーディアも、エミールには場馴れする必要性を感じているらしい。教育方針が一致してよかった。


「大丈夫ですわよ、仮面舞踏会ですもの」

「そうですね。殿下のお顔は見えませんし、相手の顔も見えません。全員、馬のようなものだと思って接すればいいんです」

「う、馬!? や、やだよ。高くて怖いもん」

「あら、聞き捨てならない言葉です。馬目線で許せません。馬を馬鹿にしていますか?」


 ミーディアが口を曲げる。「うまめせん?」と、エミールが不思議がっていたので、ルイーゼが代わりに咳払いして誤魔化した。


「む、無理だよぉ……」

「エミール様」


 泣きそうになるエミールに、ルイーゼはズイッと立ち上がりながら顔を近づけた。エミールが驚いて、大袈裟に仰け反って尻餅をついてしまう。


「今後、無理という言葉は禁止致しますわ」

「へ? え……む、む――」

「禁止です」


 ルイーゼは逃げようとするエミールの胸倉を掴んでやった。

 エミールは目に溜めていた涙をボロボロとこぼしながら、もごもごと「む、むむうむうううむ」と、口ごもっている。「無理」と言わない努力をしているらしい。少しは根性が据わったか。


「では、エミール様。楽しみにしておりますわ」


 ルイーゼはエミールに約束を取りつけて、今日のところは帰ることにする。エミールは蒼い顔でブルブルと震えていた。


「ル、ルイーゼ」

「なんでしょう」


 エミールが呼び止めるので、ルイーゼは何気なく振り返る。すると、エミールは立ち上がり、袖口で涙をゴシゴシ拭って顔をこすった。


「僕、がんばってみる……!」


 弱々しいが、しっかりした声音でエミールはルイーゼを見た。自信なく涙に揺れる眼は情けないが、まっすぐにルイーゼを見ている。


 射抜かれている気がした。


 殺気や覇気は一切ない。女々しくて弱々しい軟弱者の視線だ。それなのに、射抜かれていると感じ、ルイーゼは困惑した。

 前世の記憶と重なるサファイアの瞳。母親であるセシリア王妃によく似た眼なのだと気づいて、ルイーゼはエミールから顔を背けてしまう。

 強かで底が読めず、それでいて純朴で無邪気な表情。心を読まれている気がして、怖くなる。そんな過去が思い出された。

 エミールにそんなスキルはない。ないはずだ。

 それなのに、糸で引っ張られたように、惹きつけられるのが不思議で堪らない。


「は、早く一人前に、なりたいから……ま、待ってて欲しい」


 エミールは顔を真っ赤にしながら声を窄めていく。

 だが、ルイーゼはわからなくなった。

 エミールは確実に成長している。亀のように、ノロノロと。ルイーゼの手から離れ、自立していこうとしている。まだまだ先の話だと思うが、いつかはルイーゼの元から離れていく。

 わからない。面白くない。

 なにが面白くないのか、わからない。それが気に食わなくて、ルイーゼはジャンの脛を蹴りつける。そのまま転倒したジャンの足を掴み、逆エビ固めを決めてやった。


「よろしゅうございますっっ、よろしゅうございますよッ!」


 よろしくない。

 全然、よろしくなかった。




 † † † † † † †




 そして、仮面舞踏会当日。

 ルイーゼは会場であるサングリア公爵邸に到着した。王宮からエミールを連行、いや、移動させる役目はカゾーランとミーディアに任せて、一足先に待っていることにしたのだ。

 一応の準備は万全だ。サングリア公爵、つまり、侍従長の邸宅には私兵も多い。カゾーランやミーディアがいるし、ルイーゼも近くにいるつもりだ。エミールになにかあれば、すぐに対処出来る。勿論、倒れてもフォロー体制万全だ。


 ルイーゼは目元を覆う仮面をつけて、邸宅の中へと進む。

 今日は、あまり目立たないようにネイビーブルーのドレスだ。だが、真珠を星のように散りばめた衣裳となっており、地味さはない。髪と耳も大きな星を模した銀飾りで彩っている。


 ルイーゼは壁の花を決めながら、エミールたちの到着を待った。

 エミールは、しっかり踊ることが出来るだろうか。緊張して泣き出すのではないか。歩けなくなったら、カゾーランに回収してもらうしかないか。相手役のミーディアが上手くやると思うが、とにかく心配だった。


 そんなことを考えているうちに、目立つ男の姿を認める。カゾーランだ。今日は以前のようにダサいロングローブなど着ていない。白を基調とし、銀の装飾をあしらった上品な衣装である。

 フルフェイスの仮面をつけているが、筋肉と体格のお陰で、誰が見てもカゾーランであるとわかった。王宮主催の夜会以外では目にしない人物の登場に、若干の注目が集まる。少し目立ちすぎか。


「……は?」


 しかし、カゾーランに続くように入ってきた二人を見て、ルイーゼは目を点にしてしまった。


「な、なんですか? あれは」

「なにかの催しなのかしら?」

「シッ、見てはいけませんわ」

「どこの方なのかしら……?」


 周囲の貴婦人たちがざわめいていた。

 無理もない。

 カゾーランの後ろに続いた小柄な男女――エミールとミーディアの恰好が、どう考えてもおかしかったのだ。

 おかしい? いや、違う。異質。異常だった。


 二人とも、服装は悪くない。エミールは鮮やかな青色の衣装で、とても似合っていると思う。ミーディアも若い令嬢らしく桃色の可愛らしいドレスだ。


 問題は、仮面である。


「また、あんなものを……」


 ルイーゼは頭を抱えた。

 エミールはなんとも形容し難いエキゾチックな仮面をかぶっていた。たぶん、いつもの呪いグッズの類だろう。白塗りの仮面に赤く禍々しい模様が入っており、フサフサの鬣のような毛で頭部が覆われている。

 恐らく、あれが一番落ち着くと主張したに違いない。エミールは軟弱者の引き籠りだが、やや頑固な面がある。


 意味がわからないのは、ミーディアも同じだった。

 馬の被り物のような仮面をつけている。そんなに前世馬を主張したいのか。日本に生きていた頃の前世では、お祭りの定番アイテムであったが、フランセールであんなものを見るとは思わなかった。

 エミールの仮面があまりにも浮いてしまうので、合わせたのかもしれないが……どう考えても、センスがおかしい。どれだけ馬が好きなのだ。


 大丈夫なのだろうか。ルイーゼは先行きが不安すぎて、眩暈がした。

 しかし、目立ち過ぎているが、誰もアレをエミールだとは思っていないようだ。

 当然だ。引き籠って久しい王子が、こんなところで、あんな目立つ格好をして現れるとは誰も思わない。


「もしかして、効果ありですか?」


 ルイーゼは苦笑いしながら、緊張した様子で右手右足、左手左足が同時に前へ出る王子を眺めるのだった。

 

 

 

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