第33話


 

 

 想定外だった。

 まさか、不審者の振りをして襲撃しようとしたら、本物の襲撃者が現れるなんて!


「状況が変わりましたわ。ジャン、念のためにカゾーラン伯爵を呼んできなさい」


 今回、カゾーランが出てきてはミーディアが目立たないので、離れてくれているように頼んでいたのだ。それが仇になったか。


 ジャンに指示を出すなり、ルイーゼはすぐに物陰から飛び出した。

 怪しいニンジャスタイルのままだったが、動きやすいので、このままでいいだろう。

 ユーグは流石に本職の近衛騎士なので、ニンジャスタイルの上から真紅の制服を羽織った。


 ニンジャ風に背負っていた木刀を抜いて跳躍する。そして、襲撃者の一人を背後から襲った。

 頸に横薙ぎの一閃を受けて、男は呆気なく倒れる。感覚的に、頸椎が折れたとわかるが、本物の不審者なので構うものか。なんとなく、前世からの本能が騒いで、好戦的になっている気がした。


「お待たせしましたわ、エミール様」


 ルイーゼはそう言って笑い、エミールとアンリの前に立つ。

 エミールは虚ろな視線でルイーゼを確認したあとに、糸が切れるように意識を失ってしまった。


「そ、そなたは……」


 アンリがエミールを抱いたまま、ルイーゼに警戒の視線を向けてきた。そういえば、ニンジャスタイルのままだ。


「ドーモ。コクオウヘーカ=サマ。正義のニンジャです」


 ルイーゼは誤魔化すように顔を隠し、木刀を振りかざす。一応、口調も某ニンジャ殺しっぽくしてみたので、問題ないだろう。


 そんなことをしている間に、エミールが殴り飛ばした刺客が起き上がる。流石に、脇腹に石を喰らった程度では、ノックアウトされなかったらしい。


「ヤァァァアアッ!」


 ルイーゼは気合を入れながら、間合いを詰める。

 正眼の構えからの小手が決まり、男が短剣を落としてしまう。続けて、ルイーゼは敵の肩から脇にかけて、袈裟の一撃を繰り出した。鎖骨くらいは折っただろう。


「私の殿下が……可愛い殿下が怪我を……」


 ルイーゼの背後に迫っていた敵を、ユーグが呪いのような呟きと共に斬り捨てる。細身のレイピアを放り投げ、ユーグは赤毛を掻き分けた。


「オルァッ! 私の殿下に怪我させやがって、タダで帰してやると思ってんのか! かかって来いやぁぁぁあああクソ野郎どもッ!」


 怒鳴り散らす姿は、もはや、貴族でもオネェでもない。いや、訂正。これがオネェの本質か。憤怒したユーグは鬼神の如き雄々しい形相で襲撃者を素手で殴り飛ばしていく。


「ちょっと、こっちも目立たせてくださいよ!」


 勝手に襲撃者をタコ殴りにしはじめるユーグに苦言を呈して、ミーディアが剣を振る。

 一人目を倒し、彼女は続けて逃げようとする男の背を斬りつけた。

 ルイーゼと同い年の少女だが、騎士の中に紛れていただけのことはある。発展途上だが、筋の良い使い手だと思った。


 残るは、あと一人。

 そろそろルイーゼは退散してもいいだろう。恐らく、この二人なら問題なく対処する。ニンジャスタイルのままここに居座るのは、少々不都合だ。


「ぬぉぉおおお、陛下、殿下。ご無事ですかなぁぁああ!」


 ジャンが間に合ったのだろう。叫び声をあげながら、カゾーランが走ってきた。

 重戦車のような地鳴りまで聞こえてくる。流石に敵も一人では、この三人を相手にすることは出来ない。ルイーゼは安心して、その場を離れることにした。


「この逆賊めがぁあッ!」


 が、刹那。

 嫌な予感がして、ルイーゼは本能的に身体を翻した。

 風を斬る音が耳に響く。ルイーゼが避けた身体のスレスレを、長槍がかすめる。次いで、そのまま長槍の突きは横薙ぎの攻撃へと転じていた。ルイーゼは危険を察知し、ほぼ条件反射で身を屈めて避ける。


「ちょ、伯爵! 違いますわ、わたくしです!」

「侵入者の言葉に耳を貸すほど、このカゾーラン、甘くはないわッ!」

「やめてくださいっ! 今度こそ、死んでしまいますわ。刺されて死ぬのは、御免ですッ!」


 振り降ろされた槍が地を穿つ。マトモに喰らっていれば、串刺しどころか木端微塵だ。

 前世で何度も手合わせしてカゾーランの癖を記憶しているルイーゼでなければ、避けることなど不可能だっただろう。

 やっと、役に立ちましたわ、前世の記憶!


「やるな、貴様!」


 カゾーランが好戦的な笑みを浮かべて更に槍の突きを放つ。

 一方、ルイーゼは避けるので精一杯だった。この身体では反撃したところで、あの筋肉装甲には敵わない。おまけに、そろそろ体力の限界が来ていた。

 だいたい、初見でルイーゼの動きを前世と似ていると見破ったくせに、どうして、今は見えないのかしら。おかしいでしょう!

 昔からそうだ。カゾーランは感情に流されやすい。

 前世でも、すぐに喧嘩を仕掛けてきたり、泣きだしたり、感激したり、忙しい男だった。


「逃がすか!」


 後退するルイーゼをカゾーランが追う。ルイーゼは息を切らせながら走る。


「よろしゅうございます、お嬢さま。ジャンにお任せを!」


 いつの間にか、駆けつけたジャンがカゾーランとルイーゼの間に割って入る。ルイーゼは面食らって、動きを止めてしまった。いくらなんでも、ジャンではカゾーランの相手は出来ない。


「ジャン、なにを!」


 ジャンは懐から小瓶をカゾーランの足元に向けて投げつけた。地面に叩きつけられた小瓶はパリンッと音を立てて割れ、中に満たされていた液体が飛び散る。


「ぬぉっ!?」


 地に踏み込んだカゾーランが間抜けな声を上げ、身体を傾かせる。ヌメヌメとした液体に足を取られて転倒してしまったのだ。

 その隙に、ルイーゼはジャンと一緒に全力で走った。


「ジャン、あれはなにをしたのかしら?」


 逃げた先で、ルイーゼは息を切らしながら問う。すると、ジャンはシャキーンと爽やかな表情で、予備の小瓶を取り出した。


「ジャンのお手製潤滑剤ローションにございます。お嬢さま。使い道がなくて、持て余しておりました」

「は、はあ……」


 はい。聞かなかったことに致しましょう。

 ルイーゼはご褒美を欲しがっているジャンから目を逸らしつつ、息をついた。


 まあ、想定外だったが、概ね計画通りだ。あとは、ミーディアが上手くやるだろう。

 そういえば、ミーディアは双子の兄が恋煩いして、それをきっかけに入れ替わることにしたと言っていた。だとすれば、兄の方の想い人は、誰なのだろう?


「まあ、いいですわ。わたくしには、関係ありませんもの」


 明日から、確実に筋肉痛だと思いながら、ルイーゼは物陰で一人息をついた。




 † † † † † † †




 こんなはずではなかった!


 フランクは頭皮の汗を拭いながら、先を急いだ。

 カゾーランの奴が罠を張っていた。こちらが動くのを待って、着実に追い込む用意をしていたのだ。屋敷はすぐさま包囲されてしまった。

 命からがら逃げたフランクだが、いつまで逃げられるかわからない。ここは一度、海外へ逃亡して体制を立て直すしかないだろう。

 不本意だが、奴を頼るしかない――突如現れて、フランクに王位簒奪を囁いた得体のしれない男。


「おい、おらぬのか! 姿を見せよ!」


 フランクは闇に向けて叫ぶ。存在感が薄い割に、声だけは大きいと罵られることが多いが、今は気にしていられない。

 闇は冷たい水底のように静寂を守るだけで、なんの反応もない。生ける者がいる気配すらなかった。


「うるさい、喚くな」


 抑揚に乏しい、しかし、確実に不機嫌だとわかる声が響いた。地獄の底から歌う悪鬼の声だ。聞くたびにゾッとして、背筋が凍る。


「カゾーランの奴に一杯食わされた。一先ず、国外へ逃亡したい」


 用件を告げると、闇の中からフッと鼻で笑う気配がした。

 なにがおかしい。

 そう思った瞬間に、首筋に冷たい感覚が落ちる。

 背後から首を掴まれているのだと気づいたときには、遅い。フランクの身体は藁人形のように、軽々と宙に持ち上げられていた。


「機を見誤るなと、忠告したはずだが? だから、貴様は王の器じゃないんだよ。身の丈に合わぬ幻想に取り憑かれた雑魚が。王位に就けば少しはマシな『色』にもなると思ったが、俺の目が節穴だったか。それにすら至れないとはな」


 頸が締めつけられる。

 血が巡らず、頭が破裂しそうな息苦しさを感じた。骨が軋む音が、内側から耳骨を振動させる。


「がっ……あ、くッ」


 フランクは視線だけで、背後の人物を振り返ろうと試みた。


 漆黒の外套から長い髪が落ちるが、闇のせいで色はわからない。代わりに、蒼い輝きが目についた。

 見開かれた男の左眼が波打つような蒼の光を湛えている。瞳が蒼い焔のように光を放ち、波打って見えるのだ。まるで、光を受ける海面のそれ。

 その海に似た蒼には、見覚えがあった。


 ボキリッ。


 だが、フランクが蒼の正体を思い出す前に、不吉な音が響く。




 事切れた玩具を投げ捨てて、男は自らの左眼に触れた。


「……質が悪いな。数ヶ月程度、と言ったところか」


 輝く左眼の蒼に力が宿っていくのを感じる。

 だが、満足いくものではない。「粗悪品」では、このようなものか。


「仮にも王族。もう少し、マシなものだと思っていたのだがなぁ――まあ、良い。アレが順調に育っているなら……もう、十五年前と同じ轍は踏まんよ」


 男は妖艶な笑みを唇に湛え、闇の中へと戻っていく。

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る