第32話

 

 

 

「ちょっと、アレじゃ出ていけないじゃないの。流石に、この空気は壊せないからッ」

「どうすればよろしゅうございますか? 暇つぶしに、ジャンへお仕置きしますか?」

「う、うるさくてよ。少し待ちましょう」


 気まずそうなユーグとジャンに対して、ルイーゼは小声で叱咤する。

 物陰からエミールとアンリの様子をうかがいながら、三人はヒソヒソと声を潜めた。

 それぞれに黒い装束をまとい、どう見ても不審者である。

 ルイーゼとしては、このニンジャスタイルを少しばかり気に入っていたが。


 ルイーゼの考えたシナリオは、こうだった。

 エミールにアンリを連れ出させ、ミーディアに護衛をさせる。そこへ、侵入者に扮したルイーゼたちが颯爽と登場。悪漢の振りをして二人を襲い、それをミーディアに撃退させるのだ。

 当然のように、アンリはミーディアに褒美を出すはずだ。そこへ、ミーディアが「妹」――つまり自身を国王付きの女官にしてほしいと要求すればいい。

 現状、ミーディアがアンリの傍にいるためには、シエルとして男装し続けるしかない。しかし、長くは持たないのだ。なんとか、女の姿で傍に置いてもらう方法を講じなければならない。

 少々無理やりだが、仕方がない。

 カスリール家ほどの名門なら、このような手段を使わなくとも、正式な手段で国王へ口添えすることも出来ると思う。

 だが、ミーディア曰く、双子の入れ替わりはカスリール侯爵の知るところではないらしい。親を頼ることは好ましくないようだ。


「はあ……」


 ルイーゼは、さりげなく溜息と共にジャンの鳩尾を殴りつけた。鞭では、音が鳴って気づかれてしまう。


「よろしゅ……が、ッ」


 いつものように「よろしゅうございます!」と叫ぶ前に、アッパーもお見舞いする。あまり大声を出さないで頂きたい。


 いきなり、前世の愛馬に押しつけられた面倒な役回り。これも身から出た錆だと言えば、仕方がないと思えなくもないが、相手が馬だけに納得がいかない。

 なんだか、親子仲が「イイカンジ」に見えなくもないので、このまま放置して帰ってもいいのではないかと思えてきた。

 あまり期待していなかったが、エミールがアンリと打ち溶ければ、ルイーゼとの結婚を考え直すのではないかという打算もあったのだ。

 この状況では、出ていくに出ていけない。そっとしておきたいところだ。


「ちょっと、アレ不味いんじゃないの!?」


 庭を見張っていたユーグが声を上げる。





 これは、流石に聞いてないよっ!

 エミールは目の前の事態にガタガタと震えて動くことが出来なかった。

 突然、二人の前に現れたのは、黒い装束をまとった男たちだ。以前に襲われたときと似ている。

 違うのは、その数が七人もいるということくらいか。

 ルイーゼが、「まあ、少々手荒な真似になってしまいますが、エミール様はご安心ください」と言っていたのを、今更思い出した。ルイーゼは大事なことを告げずに、エミールを騙したのだ。


 ルイーゼのバカ! 悪魔! 人でなし!

 エミールは叫びたいのを我慢して、尻餅をついてその場に座り込んだ。ルイーゼの仕業だとわかっていても、足が竦んで動けないのだ。

 男の一人が、アンリに向けて剣を振りかざしている。月夜に銀の輝きが妖しく浮き上がった。その瞬間、流石にこれがルイーゼの計画なのか不安になってくる。


「陛下、殿下、お下がりください!」


 ミーディアが前に躍り出て、その一閃を受ける。

 実は女だと聞いていたが、彼女も強いようだ。社交界では、みんな身体を鍛えているというルイーゼの話は本当みたいだ。やっぱり、外怖い。


「立て、エミール」

「え、えっ」


 アンリが腰からスラリと剣を抜き、そのままエミールを引きずるように襟首を掴んだ。

 エミールはバランスを崩しながらも、必死で立ち上がろうとした。だが、足がもつれてしまう。


「エミール!」


 振り降ろされる短剣を剣で受け止めて、アンリが叫んだ。けれども、すぐに力負けし、跳ね飛ばされるように地面に倒れてしまう。

 どうやら、父が自分のことを軟弱者だと言っていたのは、本当のようだ。やっぱり、外怖い。

 ルイーゼの計画だと思ったが、これは違うと感じた。ルイーゼは隠れ野心家で、時々邪悪な悪魔のような眼をする。でも、こんなことを本気でするような人間ではない。

 エミールとルイーゼの付き合いは短いかもしれない。けれども、エミールにとっては、幼い頃育ててくれた母親の次に長く接している少女だ。


「早く、逃げろ。エミール!」


 必死に叫んでいた。手を伸ばして叫ぶ父の姿を、エミールはただ見ていた。

 あのときと、同じ。ルイーゼがエミールを守ってくれたときも、同じだった。なにも出来ないまま座り込んで、震えているだけ。

 どうして、父は自分を守ってくれるのだろう。転んだエミールを置いて先に走れば、アンリは逃げられたかもしれない。

 引き籠りのエミールなどより、ずっと守られるべき立場の人間だ。なにも出来ないエミールよりも、ずっとずっと価値がある。

 みんなエミールを守ってくれる。ルイーゼも、カゾーランも、ミーディアも、アンリも……みんな、こんなエミールを守ってくれる。

 王子だから? こんな引き籠りで、なにも出来ないのに?


 ――では、強くなれ。お前には、その義務があるのだから。


 エミールは、なんの義務も果たしていない。それなのに、いろんなものに守られて、ただ震えているだけ。

 このままじゃ、ダメだ。

 ダメだ。怖がっていたら、ダメだ。


「父上」


 アンリが辛うじて、敵の攻撃を受ける。だが、地を這うように体勢を崩した状態では、満足に動くことすら出来ない。このままでは、すぐにやられてしまう。


 気がついたときには、身体が軽くなっていた。枷が外れたように震えが消え、エミールは知らず知らずのうちに地面を蹴って走っていた。


 怖い。でも、逃げたくない。怖い怖い怖い怖い! でも、でも……!


「父上をいじめるなぁぁぁぁあああッ!」


 立ち上がるときに手にした石を振り回す。人の頭ほどの石を両手で叩き込むように、敵の脇腹に投げつけた。アンリに気を取られていた敵は虚を突かれ、呆気なく倒れる。


「エミール……」

「父上は軟弱者なんだー! さいじゃくのしてんのうなんだー! きっこーしばり、一緒にするんだー!」


 こんなに大声を出したことなど、ないと思う。

 少し石を投げただけで息が上がり、もう倒れそうだ。アンリが後ろで「さいじゃくのしてんのうとは、なんの話だ」と言っているが、ちょっと構っている暇はない。エミールにも、よくわかっていない。


「避けろ!」


 満身創痍で立つエミールの頭を横から殴打する者があった。アンリの声に反応した時点で、エミールは既に頭部に衝撃を受け、吹っ飛ばされているところだった。

 声を上げる間もなく、エミールは芝桜の敷かれた地面に身を投げ出していた。


「エミール!」


 意識が朦朧とする。失神する直前と似たような感覚だ。

 額から流れるのは、血なのかな? 頭から血を流すなんて、僕は死ぬのかな? 不思議と、そんなことを考える余裕があった。

 身体が抱きあげられる。ぎゅうぎゅう締めつけられて、少し痛い。

 耳元で何度も名前を呼ばれるけれど、意識を保っていることが出来そうになかった。


 でも、あったかいなぁ。独りで部屋に籠ってるよりも、ずっとあったかい。涙が出るほど、あったかい。


「お待たせしましたわ、エミール様」


 木の棒をブンブン振る音が聞こえたあと、霞みゆく視界に誰かが舞い降りた。

 振り返った蒼い瞳は、強かに、そして優しく笑っていた。

 

 

 

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