第34話




 賊は再起不能の者も含めて、全員確保された。

 事前にカゾーランから知らされていたように、刺客を放ったのは王弟フランクだった。

 手筈通り、アンリはフランクを確保させるよう、兵に命じた。しかし、フランクはすでに屋敷にはおらず、翌朝、セーナ河に殺害された状態で浮かんでいたという。

 王族の不始末。しかも、実弟である。

 アンリはしばらく面倒な雑務に追われることとなった。


「そなたは、どう考える」


 報告書の束を無造作に投げ出し、アンリは息をついた。

 ここ数年、平和な生活を満喫していたせいか、久方ぶりの案件でもあった。


「アルヴィオスが絡んでいるのではないかと」


 口を開いたカゾーランからは、予測していた答えが返ってきた。


「やはり、そう考えるのが自然かな。面倒だぞ、これは」


 海を渡った隣国――アルヴィオス王国。

 もともとはフランセール人の海賊が渡り、築いた島国だ。

 そのため、別名は『海賊王国』と呼ばれている。近隣諸国では最大規模の艦隊を持ち、海上戦では負けを知らぬ無敵国家だ。


「このタイミングで、使者を変更すると言っている。妙ではないか」


 事件は内々に揉み消している。偶然かもしれないが、時期が重なっているのが気になった。

 こちらの内情を漏らす者がいたのだ。それがフランクであった可能性はある。


「フランクを始末したのはアルヴィオス人か」

「まだ早計かと。しかし、フランク殿下の後ろ盾だった可能性は否めませぬ」


 これまで、目立たない日陰者だった王弟が突然の謀叛を企てた。

 頭が痛い。


「どうしましたかな、陛下?」


 自分では気がつかなかったが、アンリは思いのほか、悩ましい溜め息をついていたようだ。心配そうな顔をするカゾーランを前に、アンリは頭を抱えて項垂れた。


「くれぐれも内密にしてくれよ、カゾーラン。実は、その変更されたアルヴィオスの使者だが、まずい要求を――」


 アンリが言いかけたとき、扉をノックする音。

 誰にでも聞かせる話ではない。

 アンリは仕方なく中断して、「入りたまえ」とうながした。


「お茶のご用意ができました、アンリ様」


 アンリ様。

 十五年も前に亡くなった王妃と同じ呼び方でアンリを呼んだのは、黒髪の少女だった。


 ミーディア・アメリア・ド・カスリール。


 カスリール侯爵の令嬢で、近衛騎士に双子の兄がいる。兄シエルと似た青空色の瞳に、ミーディアは上品な笑みを浮かべた。

 アンリは、とっさにミーディアから顔を逸らし、「そこへ」と書き物机の端を指差す。カゾーランが意味深な顔でアンリとミーディアを交互に見ているが、素知らぬふりをしてやった。

 先日の件で、シエルは目覚ましい働きを見せた。

 見習い騎士の身でありながら、アンリとエミールを襲撃者から守り抜いたのだ。あとからカゾーラン親子が駆けつけたとはいえ、アンリは彼に褒美を出すことにした。

 シエルを見習いから、正式に近衛騎士に任命したのだ。


 そして、シエルは私的に、もうひとつ報償を要求した。


 自分の妹であるミーディアをアンリの側仕えにすることだ。

 そのこと自体は造作もない。王族がそばに置く従者は、ほとんどが貴族だ。カスリール家ほどの名門の娘なら、問題はない。


 だが――。


「では、カゾーランは失礼いたしましょう」


 なんの空気を読んだのか知らないが、カゾーランが退室してしまう。

 アンリは思わず「ま、待て!」と声をかけるが、なぜだか聞こえないふりをされてしまった。


「アンリ様、いかがしましたか?」


 甘い香りの紅茶を注ぎながら、ミーディアが声をかける。不意に目があってしまい、アンリはブルネットの髪をグシャリとつかんで俯いた。

 

 ――実は、僕の妹は前世の記憶があると言っているのですよ。

 

 彼女の兄シエルは、妹を側仕えにしてほしい理由を、こう語っていた。

 

 ――僕も信じられません。でも、ミーディアは頻りに、陛下の夢を見ると言うのです。そして、自分は亡き王妃様の生まれ変わりかもしれないと言って、夜な夜な泣いています。信じられない話でしょうが、僕は妹の心を少しでも救ってあげたいのです。

 

 そのような話を聞かされて、平常心でいられるわけがなかろう!

 直感的に、アンリはシャリエ公爵の令嬢をセシリアの生まれ変わりだと信じた。別に確証があったわけではない。しかし、自らセシリアの生まれ変わりであると名乗る少女が、目の前に現れた。

 完全に信じているわけではないが、落ち着けと言うのが無理な話だ。


「アンリ様、お加減が悪いのですか? 顔が赤いです」

「あ、そ、そうなのか? 今日は暑いからな!」

「わたしには、少し肌寒いくらいです」


 雨がしとしと降る窓の外を見つめ、ミーディアは自分の腕をさすって温める動作をした。

 アンリはぎこちなく紅茶のカップを手に、「ああ、そうだな。今日は寒いな」と言い直す。

 こんな少女を直視できないなど、恥ずかしい話だ。

 シャリエ公爵令嬢のほうが仕草や雰囲気は、似ている。

 だが、ミーディアの言動の端々にも、セシリアの面影を感じるのだ。


「もう、アンリ様ったら。こっちを見てください」


 不意に、ミーディアが視線を逸らし続けるアンリの肩を叩いた。少し遠慮がちだが、たしかに、この少女はアンリを叩いた。

 セシリアも、きっとこのタイミングで殴っただろうか。と、思ってしまった。

 アンリがセシリアの気分を害する行為をすれば、すぐに殴ってもいい。そんな約束を交わした過去を思い出しながら、アンリはミーディアを見あげた。


「これからも――」

「なんですか?」


 首を傾げるミーディアから視線を逸らしながら、アンリは小さくつぶやいた。


「遠慮なく、殴ってくれても……構わないぞ」


 ミーディアはしばらく目を見開いていたが、やがて、優しく笑う。


「はい、アンリ様」


 やはり、この少女はセシリアの生まれ変わりなのだろうか。そんな淡い幻想を抱きながら、アンリは甘い香りの紅茶を啜った。

 

 ――考えることを放棄していては、いつか身を滅ぼしますわよ。

 

 ふと、シャリエの令嬢の言葉を思い起こす。

 ほとんど同じ言葉を、アンリはセシリアから言われたことがある。

 あれは偶然か、それとも、ミーディアから伝え聞いていたのだろうか。

 少しばかり、引っかかる気がした。


「ん? なにをしておる?」


 アンリはミーディアがうしろを向き、なにかを必死にメモしている姿に気づく。

 ミーディアは慌ててメモ帳を隠し、誤魔化すように笑った。


「いえ、少々観察日記……ではなく、アンリ様のお仕えする心構えを記していたのです」

「そうか。別に気にせずともよいぞ」


 勉強熱心な少女だ。そのようなところが健気に思えて、アンリは自然に笑みをこぼした。

 まあ、些事を考えるのはやめるとしよう。

 問題は山積みなのだから。しばらくの間は、いらぬことにうつつを抜かしている暇はない。

 机の隅に追いやられた書簡。

 アルヴィオス王国からの親書には、こう書かれていた。


 ――是非、我が国のギルバート王子と、貴国のエミール王子の親睦を深めんことを、切に希望したく存じます。


  *  *  *


「いッ……う、ぅ……不甲斐ないですわ」


 ロボットみたいにぎこちない動作で歩きながら、ルイーゼはようやくエミールのかたわらに腰をおろした。

 筋肉痛だ。情けない。

 カゾーランに追いかけ回されたせいで、余計な体力と筋肉を使ってしまった。あとで平謝りされたが、物足りない。鞭でシバきたかったが、その余裕すらなかった。


「ねえ、ルイーゼ」


 身体の痛みにヒィヒィ呻くルイーゼの隣で、エミールがつぶやく。

 ルイーゼはカクカクした動きで首を回した。前のように王宮通いをやめるという選択肢もあったが、それはプライドが許さなかった。


「シエル……ううん、ミーディアは、本当にあれでよかったのかなぁ?」


 巻き込んでしまったので、エミールには、いちおうの概要を伝えてある。

 もちろん、ルイーゼが転生者であることや、ミーディアの前世が本当は馬である事実は、面倒なので伏せていた。

 ルイーゼにしたのと同じように、ミーディアがアンリに対してセシリアの生まれ変わりであると騙ったのは予想外だった。

 だが、それが一番効果的だとも思う。

 アンリがルイーゼとの結婚をやめると言ったので、こちらにも得はあった。


「なにか気になりますか?」

「なんだか……生まれ変わりとか、嘘なんてついても、よかったのかなぁって」

「よろしいのではありませんか? わたくしも、陛下と結婚せずに済みそうですし」

「で、でも、嘘なんでしょ? 嘘はダメって、ルイーゼも言ってたよね?」


 そうだ。ミーディアは嘘をついている。

 その嘘に加担して、ルイーゼもセシリアの仕草や言葉遣いを教えた。カゾーランも一枚噛んでいる。


「結局のところ、これからを育むのは、あの方たちですもの」


 ルイーゼに、恋愛のよさはわからない。

 非合理的で余計な感情だ。

 けれども、他人の恋路を邪魔するほど嫌悪しているわけでもなかった。

 ルイーゼは過去を引きずるアンリを見て怒りを覚えた。しかし、ミーディアは逆にそれでいいと思っているのだ。好きにさせればいい。


「そういうもの?」

「そういうものでも、いいのですわ。物事すべてに正解が用意されているわけではございません」


 エミールはまだ少し納得いっていないようだったが、「ルイーゼが父上と結婚して死んじゃうより、マシ……かな?」と謎の納得をしていた。

 誤解を解くのも面倒だった。


「あ、あのさ、ルイーゼ……僕のこと、た、助けてくれて、ありがと」


 エミールはキラキラとした表情で、ルイーゼに羨望のまなざしを向けている。


「かっこよかったよ」

「それは、どうもです」


 まるで、ヒーローアニメを見る幼稚園児のようだ。


「もし、僕が生まれ変わったら、ルイーゼみたいに、な、なりたいな!」


 そう言われて、ルイーゼは困ってしまう。

 エミールはルイーゼが七回も刺されて死んだとは思っていない。しかも、直近の前世は彼のトラウマを産み出した張本人、首狩り騎士である。

 このことを知ったら、エミールの表情はどう変わるだろう。

 蔑む? 怯える? 嫌うだろうか?

 気にするのも馬鹿馬鹿しい。

 けれども、知られたときを思うと、一抹の不安を覚えてしまう。


「生まれ変わる前に、しっかり立派な王子様になってくださいませ」

「う、うん……わかってるよ」


 エミールはコクコク小刻みにうなずいた。

 どうにかしようという気は、あるらしい。それだけでも、進歩というところか。


「それに、生まれ変わらずとも、今世をハッピーエンドで終えられれば、それでいいのですわ」


 おそらく、ルイーゼのように何度も転生する者は稀だろう。それならば、一度の人生を無駄なく幸せに過ごす生き方をすべきだ。

 ルイーゼだって、次も転生するとは限らない。突然、この人生で終わりを迎えるかもしれない。

 なにひとつ、確証はない。


「ルイーゼは、いま、幸せなの?」


 エミールが問う。

 ルイーゼは少し口を尖らせ、数秒考え込んだ。


「……まだ十五ですもの。よくわかりませんわ」


 とりあえず、刺されて死ななければいいのだ。

 まだ十五の人生では、こう答えるしかなかった。





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