第29話




「僕、もっとがんばるよ!」


 そう意気込んだものの。


「まったく……限度というものがございましょう」

「う、うぅ……」


 ルイーゼはベッドに横たわるエミールを見下ろして息をついた。

 昨夜、ルイーゼを連れ去ったあと、エミールは無事に自室へ帰った……はずだったのだが、なにを思ったのか、夜通しで筋トレをしたらしい。

 体力もないくせに無茶なトレーニングをして、筋肉痛と発熱に襲われている。


「僕がんばるもん……がんばるんだから……」

「わかりましたから、いまは寝ていてください」


 エミールは目をグルグル回しながらノックダウンしている。筋肉痛で寝込むとは情けない。この際、自分のことは思いっきり棚あげする。

 やる気に火がついてくれたのは嬉しいが、焦りすぎだ。いつもほどほどにと言っているのに、無茶をする王子である。


「なにか作ってもらいますので、少々お待ちください」


 ルイーゼはそう言い残して、エミールの部屋を出る。

 カゾーランがバリケードごと破壊したせいで、部屋の扉は大破していた。後日、職人が来て直すらしい。今度は外開きで、鍵がかからない扉を注文しておいた。


「お嬢さま、ご用ならジャンが承りますよ」


 ジャンが久しぶりに執事らしいことを言う。だが、ルイーゼはその申し出を断った。


「いいのですわ。少し、野暮用がありますから。あなたは、エミール様の介抱でもしていてください」

「そうでございますか。でも、いまの殿下はジャンをいたぶる気力などございません」

「放置プレイだと思っておきなさい」

「よろしゅうございます! お嬢さま、ジャンは亀甲縛りがようございます!」

「わかりました、亀甲縛りにしましょう」


 そう言って、ルイーゼはジャンを縛りあげておく。これで問題はない。


「きっこーしばりって、なに?」

「とても楽しゅうございますよ、殿下!」


 というエミールとジャンの会話は、無視した。

 ルイーゼは安心して、王宮の回廊を進む。

 念のために、ジャンから木刀も預かっておいた。ドレスに木刀を提げて歩く格好になったが、護身用なので問題ない。少々、奇異の目で見られるが、エミールのおかげで慣れていた。

 やがて、辿りついたのは、いつかの薔薇園だった。

 以前はカゾーランが美しい筋肉を晒して鍛錬に励んでいたが、今日は静かなものだった。噴水の水音が清らかに響いている。


「ここにいらしたのですね、シエル様」


 薔薇園に佇む少年の姿を確認して、ルイーゼは明朗な声で告げた。

 少年――シエルはゆっくりとふり返る。ひとつに結った長い黒髪が揺れ、青空色の瞳に微笑が浮かんだ。


「こんにちは、ルイーゼ嬢」

 シエルはていねいに一礼すると、すぐにルイーゼのもとへ歩み寄った。

 彼は騎士の礼儀に則って片膝をつくと、ルイーゼの指に軽く唇を落とす。ルイーゼはその一連の動作を、少し冷めた目で見据えた。


「どうしましたか? そんな顔をして」


 シエルは不思議そうに首を傾げつつ立ちあがる。


「不可解なのですわ。わたくしには、シエル様の目的がわかりませんので」

「目的ですか。なんのお話でしょう?」


 シエルが近づくので、ルイーゼはあとずさった。だが、すぐに背後の柱に追い詰められてしまう。

 シエルは柱に片手をつき、ルイーゼの退路を断った。

 いわゆる、壁ドンである。

 逃げられない。

 ルイーゼは悟って、気丈にシエルを睨んだ。多少、殺気も出ているかもしれない。


「わたくしに求婚した意図も、エミール様を真珠の間へお連れした意図も、わかりません」

「意図ですか。そうですね。前世でかなわなかった恋の成就を、今世で望んでいるから、というのは、いかがでしょうか? 陛下とあなたが結婚されるのは、困りますから」

「それで筋を通しているおつもりですか?」

「通っていませんか?」


 シエルは、セシリア王妃の生まれ変わりであると告白した。

 たしかに、前世でルイーゼはセシリアと結ばれ損ねた。アホの前世がグズグズしているうちに、横から政略結婚でセシリアをかすめ取られてしまったせいだ。情けない黒歴史である。

 ルイーゼの結婚を阻止するために、シエルがエミールを利用したのも、筋が通っていると言えば、通っている。

 あの場では、シエルが割って入ることは処罰の対象となる可能性もあった。けれども、王子であるエミールならば、処分を免れる。実際、あの件に関してアンリは、まだなにも発言していなかった。

 だが、それには、ある前提が必要なのだ。


「本当に、わたくしの結婚を阻止するためだったのでしょうか?」


 ルイーゼはまっすぐシエルを睨む。

 シエルは、怪訝そうに眉を寄せた。

 ルイーゼは素早く腰に下げた木刀に手をかける。その気配を察知して、シエルは距離をとろうとした。


「甘い、遅い、ヌルイですわ!」


 木刀が風を裂いてうなる。

 シエルは剣を鞘におさめたままガードしようとする。が、ルイーゼのほうが圧倒的に速い。シエルの手から剣を払い落とした。

 次いで、低く構えて刺突。

 シエルは間一髪で顔を逸らして攻撃を避けた。

 木刀の先が長い黒髪をかすめる。

 鋭い一撃にリボンが切れ、結われていた黒髪が背に広がった。


「あなたがわたくしに求婚など、ありえないのですわ。シエル様。だって、あなたは――女性にございましょう?」




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