第30話
初めてダンスを踊ったときから、ルイーゼは気がついていた。
だいぶ鍛えているが、シエルの身体は男のものではない。引き籠りのエミールでさえ、骨格や肉のつき方は男のそれだとわかる。
だが、シエルは全体的に丸くて華奢だ。触れるまではわからなかったが、ダンスで密着すれば一目瞭然だった。
詐欺師のころに男装は十分に研究した。男装の女性を見抜くなど、ルイーゼには容易い。
「それに、どうしても違和感があるのです。あなた、王妃様の生まれ変わりなどと言っておりますが、本当にそうなのでしょうか?」
「疑い深いのですね……たしかに、僕――いいえ、わたしは女です。でも、前世の記憶を持っているのは確かですよ?」
「そうでしょうか? たとえば、前世のわたくしがダンスを苦手としていた件ですが、おそらく、王妃様しか知らなかったでしょう。しかし、引っかかるのです」
「……どういうことですか?」
シエルは怪訝そうに表情をしかめた。一方、ルイーゼはニヤリとしたたかな笑みで返す。
シエルは、あのとき、明らかに流れていたワルツを示して「クロード・オーバンはダンスが苦手だった」と言った。
だが、それはありえないのだ。
「わたくし、いいえ、わたくしの前世が苦手だったダンスは一曲だけ。ロレリアに伝わる民謡舞踏ですわ」
得意というわけではないが、前世での身体能力は非常に高かった。一般的なダンスは、基本を押さえれば楽に踊れたのだ。
「あれは、社交界で踊るダンスではなかったのです。王妃様には、よく誘われましたが、完璧に踊りこなす人間は、ほとんどいらっしゃいませんでした。圧倒的なセンスが必要でしたから。根暗だったので、壁際でぼっちを満喫している機会が多く、勝手に苦手だと勘違いしている人はいたかもしれませんが……少なくとも、王妃様は下手だとは思っていなかったはずです」
つまり、シエルは、なんらかの手段で、前世のルイーゼが「ダンスを苦手としていた」、「いつもセシリアの足を踏んでいた」という断片的な情報のみを知っていたのだ。
だがそれは、セシリアの目線ではない。
「はあ……やっぱり、少々無理がありましたか。まあ、ちょっとした悪戯のつもりでしたから、いいんですけど」
シエルは自らの失言を突きつけられ、観念したように肩をすくめた。
「あなたの言う通り。わたしは、セシリア様の生まれ変わりではありません」
やはり。ルイーゼの憶測は当たっていたようだ。
「わたしの名は、ミーディア。双子の兄シエルと入れ替わって、ここにいます。そして、わたしの前世の名前は、ドロテです」
その名を聞いて、ルイーゼは表情を固まらせる。
眉間にしわを寄せ、ものすごく不細工な顔をしていると思う。
「………………誰のことだったか、まったく思い出せないのですけど」
ドロテ……ドロテ……誰の名前だったかしら。
前世でつきあいのあった女性は限られる。覚えていないということは、ない。と、思うのだが、思い出せない。
ルイーゼが目を泳がせていると、シエル、いや、ミーディアが嘆かわしそうに項垂れた。
「そうですよね。でしょうね。やっぱりね! 思い出せるはず、ありませんよね。わたしの前世は……あなたの馬なのですから!」
「え?」
え? いま、なんて?
「う、うま?」
「はい、馬です」
馬の生まれ変わりですか!?
ルイーゼは叫び出しそうになるのを必死で抑えた。
目の前で病んだような薄暗い笑みを浮かべるミーディアを見ていると、叫んで確認するのが申し訳なくなったのだ。
「馬ですよ、馬。あなたの馬! でも、あなたは前世でわたしの名を一度も呼んでくれなかった。セシリア様がドロテと名づけてくださったのに、忘れていたんですねっ!」
「わ、わたくしの!? と、言いますと……えーっと、どのような馬だったかしら。王妃様が名づけたということは、ロレリア侯爵がくださった馬? 黒くて気性が荒かったことくらいしか、覚えていないのですが……」
「やっぱり。やっぱりですかっ。全然覚えていてくれてないっ! わたしが毛並みの美しい最高の牝(ひん)馬(ば)だったことも、気に留めなかったのでしょう! ほかの騎士様たちは、みんな愛馬に名を与えて大事にしていました。わたしは、馬界では最高の美(び)牝(じよ)だったのに……主人に愛されない馬など、馬界の面汚し。わたしは馬仲間から馬鹿にされていました。あなたのせいで! わたしはご主人様のために、せっせとがんばっていたのに!」
ミーディアは泣きそうになりながら、ルイーゼをキツイ視線で睨んだ。
まるで、親の仇かなにかのようだ。ルイーゼにとって前世は他人ごとだが、彼女は大いに引きずるタイプらしい。
カゾーランもそうだが、みんな面倒な性質をしている。
「だから、王妃様のふりをして、わたくしを困らせようと?」
「そうです。それで、食いついたところで、種明かししようと思っていました。ちょっとした悪戯をしたって、いいじゃありませんかっ! 馬目線から見たって、ご主人様は王妃様にデレデレでしたからね! そのくせ、グズグズしているから、セシリア様を陛下にとられてしまんですっ!」
「あああああああああ! もうその黒歴史の話はやめてくださいッ。恋愛脳の腑抜けた前世なんて、恥ずかしすぎます」
今度はルイーゼが頭を抱えてしまう。馬に自分の黒歴史を突きつけられる展開など、羞恥プレイどころ話ではない。
「カゾーラン伯爵と一緒に、賊からあなたを救出したとき、ピンと来ました。それで、折りにつけて伯爵との会話を盗み聞きし続けていたら、大当たりです。早速、悪戯を思いつきました」
前世はいじめっ子だったが、いじめられたことはない。
いまさらになってブーメランされた気分で、ルイーゼは頭が痛かった。
「……あら? 待ってください。その言い草ですと、わたくしの存在に気づく前から、男のふりをして近衛騎士にまぎれていたということになりますわよね」
言われて、ミーディアは目を逸らした。
ルイーゼに悪戯する意図はわかった。だが、ミーディアがシエルとなって、王宮に出入りする理由が不明だ。
「そ、それは……えーっと……」
ふと、もうひとつの疑問を思い起こす。
彼女が、どうしてルイーゼとアンリの晩餐会に介入したのか、だ。
単にルイーゼを自分のほうへふり向かせたいだけだったのだろうか。本人いわく、ちょっとした悪戯だったというのに?
それは考えにくい。
「まさか、あなた……わたくしではなく、国王様の結婚を阻止しようとしていたのでは?」
問われて、ミーディアは盛大に顔を背けた。そして、恥ずかしそうに頬を赤らめてしまった。
まさか、ねえ?
ルイーゼがやや冷めた目で見つめると、ミーディアはうっとりとした顔で頬に手を当てた。
「だって、陛下って馬目線で見ても素敵でしょう?」
まさしく、恋する牝馬。ではなく、恋する乙女。そんな表情で笑うミーディア。
「わたし、物心ついたころから、自分には前世の記憶があるのだと気づきました」
馬であった前世。
主人に気に入られようと、どこへでも駆けた。賢く立ち回ろうと、必死だった。
でも、主人に名前さえ呼ばれないまま終わった。戦場で怪我をして、アッサリと手放されてしまった。戦場を駆ける主にとって、走れない馬は用済みだ。
そんな人生。
「前世のわたし、かわいそうです……」
「耳が痛い話ですわね」
「まあ、そんな前世も役に立っているんですけど……」
ミーディアの兄・シエルが見習い近衛騎士に叙任され、王宮へ通うようになった。
だが、シエルは日に日に元気を失くしていった。
――僕には、向いていないんだよ。
シエルは責任感の強い少年であった。
彼は疑っていたのだ。自分が能力ではなく、家の権力で見習いになったという事実を。
シエルには才能があり、圧倒的に真面目だった。そして、見習いとはいえ、若くして近衛騎士となったプレッシャーも感じていたのだ。
ミーディアは信じていた。
けして、シエルが権力だけで選ばれたのではないということを。
しかし、シエルの苦悩を、ミーディアは無碍にできなかった。
――じゃあ、わたしと入れ替わる? 気分転換もいいよ。
ほんの出来心だった。子供みたいな、ささやかな遊び。
権力に固執した両親に対する、ちょっとした反抗だ。
そのつもりだった。
シエルは女装してミーディアに。
ミーディアは男装して王宮勤務に。
少し遊んで憂さ晴らしをしたら、また元通りに生活しよう。
二人で、そう決めた。
「幸い、わたしには前世で修羅場を幾度も潜った記憶があります。シエルと一緒に剣術の稽古もしていたので、腕に自信もありました」
ミーディアの話を聞いて、ルイーゼは腕組みをする。
彼女が男装している事情は、わかった。
「でも、そのうち……お互いの生活が気に入ってしまって……」
シエルは剣の腕も立つが、もともと、刺繍など令嬢の趣味も好きであった。おまけに、言動が男前なせいか、ミーディアの代わりに茶会に出席するたび、自分のファンを増やしているらしい。もちろん、周囲の令嬢たちは、シエルのことを女性だと思っている。
これが結構楽しいようだ。
一方のミーディアは、
「で、あなたのほうは……近衛騎士にまぎれているうちに、国王様に入れ込んでしまった、と?」
「はいっ。だって、陛下ってば、馬目線から見ても素敵な方でしょう?」
「馬目線など、理解できませんけれどね!」
さきほどまでの凛とした少年の態度は演技だったのか。
ミーディアは再びとろけるような表情になり、物思いに耽っていた。
ルイーゼがあまり好きではない顔だ。
恋愛脳のお花畑だ。虫唾が走る。
しかし、ジャンを置いてきてしまったので、ストレス発散ができない。
ルイーゼは過去七回の前世を持っている。
だが、正直なところ、真面目に恋愛というものを経験したのは七回目の前世だけなのだ。むしろ、七番目の自分は、どういう頭の構造で、そのような非合理的な感情に流されてしまったのか、理解に苦しむ。
男女の仲など、駆け引きの一種でしかない。
利害の一致以外に、なにが必要なのだろう。そんなものに取り憑かれたところで、身を滅ぼすだけではないか。キャバ嬢や詐欺師をしていたころは、脳内お花畑馬鹿を相手に商売していたので、余計にそう思ってしまう。
理解できませんわ。
一方的に想いを寄せるミーディアも、死んだ妻に焦がれるアンリも、自分の前世も、ルイーゼには理解できない。
愚者に思えてならなかった。
「他人の恋だの愛だのに口を出すつもりはございませんが……いくら、あなたたち双子が似ていても、一年後や二年後には、同じようにいかなくてよ?」
双子と言えど、成長すれば男女の差は顕著になるだろう。
いまのように気軽に入れ替わって、男装や女装ができるとは思えない。十五歳のいまがギリギリ賞味期限だ。
そんなことは、ミーディアだってわかっているはずだ。
「わかっていますっ。でも、いまのわたしにできるのは、これくらいしか……」
ミーディアは膝を抱えて座り込み、地面に「の」の字を書きはじめる。うっとりしたり、落ち込んだり、気分に波があるようだ。
そういえば、前世で乗っていた馬も、気分屋だった。ついでに、撫でた相手の髪の毛をムシャムシャ噛むくせもあった。
「わたし、前世ではいい扱いを受けなかったけれど、ご主人様のことは、とっても好きだったんですよ。セシリア様だって、いつも撫でてくれて……ご主人様と結婚できていたら、わたし、いつでもセシリア様に頬ずりしてもらえたのに。セシリア様を背中に乗せて走れたのに。セシリア様の髪の毛ムシャムシャできたのに」
「それ、遠まわしに、わたくしへの当てつけですわよね。むしろ、王妃様のほうが好きだった言い草ですわよね!」
「馬目線でも、セシリア様は素敵な方でした」
「否定しないのですわね」
頻りに馬目線を強調する男装の少女は、拳をグッと握って力説した。
もはや、恋愛脳がどうこうの域を超えて、意味がわからない。馬脳?
「だから、そんなセシリア様をご主人様から奪いとった男が、本当はどんな人物なのか見てやろうと思ったんですよ。前世では、少し撫でてもらったきりで、そのあと、あまり拝見する機会がなかったもので」
ミーディアは切なそうな表情で、空を見あげた。彼女の瞳の色と同じ蒼穹を、雲がゆっくりと流れていく。
「玉座での堂々たるお姿はさることながら、たまに見せる身勝手な振る舞いが愛らしくて……暇があれば、エミール殿下の自室へ踏み込もうと意気込んでは、こっそりとあきらめて帰っていく姿のなんて情けないことか。でも、いいんです。とても、可愛らしいから。ふふ、たまに寝言を言いながら、ベッドから落ちたり、顔を洗い忘れて侍従長様に注意されたりする陛下だって、知っているんですから。窓の外にはりつくのも上手くなったし、屋根裏生活にも慣れました」
「それって、ストーカーしていますわよね。思いっきり、ストーカーですわよね! と言いますか、それどこが魅力的なんですか!?」
「すとーかー?」
「つきまとっている、ということです」
「失礼ですね。わたしは兄の代わりとはいえ、近衛騎士見習いとして、ここにいるのですよ。陛下を随時見守るのは、健全な行為だと思いますが」
「職権乱用ですわよ、それ!」
ルイーゼの指摘に、ミーディアは眉を寄せた。
恋は盲目と言えばいいのか。それとも、馬目線では、そこまでするのが常識なのか。もしかして、前世の自分も、こんな風に見張られていたのだろうか。
「馬目線では限界がありました。人目線って素晴らしいですね」
「その願望はあったのですわね!?」
ミーディアの笑みが恐ろしく思えてくる。
この前世馬、いや、ストーカーは危険だ。
「陛下を見守り続けるうちに、自分の前世がいかに不当なものだったかを思い知りました。そして、気がついたら、ふつふつとあなたに悪戯してみたい気持ちがわいてきてしまって……」
「それで、あの求婚ですか」
「はい。でも、それは割とどうでもいいんですっ。本当にちょっとした出来心ですから。とにかく、わたしは陛下のおそばにいたいんです。なんとかしてください、元ご主人様」
「悪戯で求婚までしてきたのに、都合のいいときだけ頼らないでくださいます?」
ルイーゼが拒絶すると、ミーディアは冷めきったジト目で睨みつけてきた。こうなったのは、お前のせいだと言わんばかりに。
たしかに、ルイーゼは前世で愛馬に情を注がなかった。だからと言って無茶だ。
けれども、このままアンリの問題を放置するのも、はばかれた。
彼はルイーゼをセシリアの生まれ変わりだと思い込み、重ねている。年甲斐もなく十五の令嬢に結婚を申し込むほどに。
昨夜はエミールのおかげで逃げられたが、問題が先送りになっただけである。
どこかで修復する必要があるだろう。
「仕方がありませんわ……言っておきますが、あなたのためではなくてよ。わたくしの、ハッピーエンドに向けたプランのひとつとお考えください」
一肌脱ぐしかありませんわね。
ルイーゼは深い溜め息をついた。
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