第27話
どうしよう。
父上と結婚したら、ルイーゼが死んでしまう!
気絶してしまってよくわからないが、そうらしい。どういうことなのかという疑問と同時に、言葉そのものが頭をグルグル周回している。
もしかすると、シエルと結婚出来ないと言っていたのは、父と結婚するつもりだから?
ルイーゼは口では違うと言っているが、結構な野心家だ。本人は否定しているけれど、時々、禍々しい悪魔のような笑みで、いろんなものを狙っているのだ。しばらく一緒にいるせいか、エミールにはわかるようになっていた。
しかし、ルイーゼはまだ十五。結婚適齢期の令嬢だが、四十を過ぎた国王の妃に選ばれる年齢だろうか。
「あ」
嫌な予感がする。
このままだと、エミールはルイーゼを「母上」と呼ばなくてはならない。
四つも年下なのに。教育係ですら違和感があるのに。今度は母上!
「え……うーん?」
おかしい。例え、「世間ではこういうものですよ」と教えられたとしても、どうも納得がいかない。
というよりも、母上と呼ぶのは抵抗がありすぎる。胸の中で引っ掛かるというか、なにかが燻ぶって居心地が悪い。胸が痛くて、なんだか悲しくなってくる。
ルイーゼがシエルに結婚を申し込まれているときと、似た感覚だ。怖くもないのに、泣きたくなってくる。
ルイーゼはエミールの母に似ている。
家族になるのは嬉しいし、そうすれば、もっと傍にいられることもわかる。ルイーゼが王宮に住んでくれたら、きっと、楽しいだろう。教育係だって、たぶん、続けてくれる。
エミールが損をすることはない。むしろ、喜ばしいはずだ。
それなのに、泣きたくなってしまうのは、どうして?
「うぅ……」
エミールは弱々しく唸りながら、部屋の扉に近づいた。
ルイーゼが蹴りをお見舞いし、カゾーランが
外界と室内を隔てる唯一の盾だというのに、満身創痍である。
触るだけでギィギィ音を立てて、扉は簡単に開いてしまった。
「お待ちしておりましたよ、殿下」
部屋の前に立っていたのは、思いもよらない人物だった。
エミールはとっさに扉の陰に隠れようとする。しかし、限界だったのか、扉がガッターンと大きな音を立てて倒れてしまう。
「さあ、陛下のところへ参りましょう」
怯えるエミールの前に手を差し伸べたのは、シエル・クレマン・ド・カスリール――見習いの近衛騎士で、ルイーゼに結婚を申し込んだ少年であった。
† † † † † † †
この惨状を、どう収拾すればいいのかしら。
ルイーゼはすっかり表情が抜け落ちたまま、会食の席についた。
部屋の隅からは侍従長の「陛下が……陛下が……陛下ぁぁあああっ!」という悲痛の叫びが響き、カゾーランは一周回って悟りを開いた釈迦のような境地に至っている。
ジャンは「もっと、打ってくださってよろしゅうございますのに!」と物欲しげに叫び、目の前ではアンリが「くっ……羨ましいではないか。何故、私にはなにもないのだ!」と文句を言いながら着席している。
この状況を収める力など、わたくしにはありませんわ。
七回もの前世がありながら、なんと情けない。七人とも大事なときに使えない前世ですわね。
ルイーゼは乾いた笑みしか浮かべられなかった。前世で幾度も修羅場に遭遇してきたが、流石に、これは酷い。まさに地獄絵図。混乱した戦場よりも酷い。どうしてこうなった!
だいたい、ロリコンに加えてドMも暴露した、目の前の国王様が全ての元凶なのだが。
「あの、陛下……」
「なんだ、打ってくれるのか」
「ち、違います!」
ルイーゼが即座に否定すると、アンリは口惜しそうに頬杖をつく。だが、まじまじとルイーゼを見据える視線は外さなかった。
「セシリアは容赦なく打ってくれたのだがなぁ」
「王妃様って、そんなキャラでしたっけ!?」
知らない。そんな王妃様、知らない。え、この夫婦、わたくしに隠れてなにを? いえ、正確には前世の話ですけれど。それとも、また記憶にないだけでしょうか。
いやいやいや、涼しげな顔で爆弾発言は何度も落とされましたが、日常的に打つだなんて、そんな……あら? まさか、あれは言葉攻めだったのかしら? 実は甚振られていたのかしら。
ダメですわ。混乱して、もうなにを信じればいいのか、わかりません!
「ああ、そういえば、いつもこっそり蹴られておりましたなぁ」
どうして、あなたは知っているのですかっ! サラッと昔を思い出すセリフを吐くカゾーランに、ルイーゼは批難の視線を向けた。どうやら、またアホの前世が知らなかっただけのようだ。ああ、本当に使えない恋愛脳のダメ前世!
「そ、それは真か、カゾーラン殿……ああ、陛下……そんなに前から……」
侍従長も知らない仲間だった。年寄りには刺激が強すぎたらしく、泡を吐きながら痙攣している。ルイーゼはなにも悪くないが、なんだか、申し訳なくなってくる。
「いや~ん。もうっ、陛下ったらぁ。そんな顔で見つめられたらぁ、ルイーゼ困っちゃう~。キャピッ☆キャピピーンッ☆」
もうなんでもいい。苦し紛れに必殺ブリッ子を繰り出してみた。
大変不本意だが、ジャンやユーグに言わせれば、気持ち悪いらしい。最近、自信を失くしているのだ。もしかすると、これが通じるのは日本の男だけなのかもしれない。
実際、死にかけだった侍従長が生気を取り戻し、親指を立ててグッジョブサインを出している。カゾーランに至っては、「それだ、それでいけ!」とばかりに熱い視線まで送ってくれていた。嬉しくない! フランセール人は見る目がない!
「ふむ、気持ち悪さが良い味を出しているのではないか? 一種の言葉攻めのようではないか。間接的に罵られている気分になるな。悪くはないぞ」
ダメだコイツ、早くなんとかしないと。
アンリには、逆の意味で効果抜群に働いているようだ。
一方、ルイーゼとしては、喜んでいいのか悪いのか全くわからない。自尊心が深く傷ついた。落とし文句が気持ち悪い言葉攻めの一種扱いとは、なにごとか。むしろ、言葉攻めの意味が本来の用途とも違う気がする。
生気を取り戻していた侍従長は再び屍のように動かなくなり、カゾーランは開き直って仏の笑みだ。後光が差している気がする。そのまま、瀕死の侍従長を極楽まで導いてくれるだろう。
ジャンのみが「陛下、尊敬致します! ジャンは、まだその境地には至っておりませんでした! よろしゅうございます!」とアンリを賛美していた。
「公爵令嬢」
周囲の惨状が目に入っているのか、いないのか。全ての元凶アンリは真剣な表情で、ルイーゼに向き直る。
アンリは席を立つと、長い脚でゆっくりとルイーゼの前まで移動した。
「その……私は、だいぶ歳も離れている。だが、そなたには苦労させぬつもりだし、出来る限りの条件は飲もう。エミールも懐いているという話だし、きっと、喜ぶはずだ」
アンリの告白を聞き、ルイーゼは身を硬直させた。そんなルイーゼの手を、アンリはおもむろに握る。
熱を帯びた視線を向けられ、ルイーゼは閉口した。
やはり、彼が見ている者はルイーゼではない。
同時に、アンリが焦がれて取り憑かれている幻想を見せているのは、自分だとも自覚する。
意識はしていないが、セシリアに似たルイーゼの存在。記憶にないとはいえ、彼からセシリアを奪った前世の自分。
「年甲斐もないと思われるかもしれないが、私は本気で――」
「陛下は私にエミール様を一流の殿方に仕立てる仕事をお与えになりました。そう認識しておりましたが、間違っておりましたか?」
アンリの声を遮って、ルイーゼは言葉を紡いだ。
幻想を見せているのがルイーゼだと言うのなら、その幻想を砕く役目もルイーゼにあるのではないか。
ルイーゼは立ち上がり、気丈にアンリの手を解いた。
「今、陛下がなさろうとしている行為は、エミール様を蔑ろにしていると感じますわ。わたくしに、エミール様の代わりの御子を産めと?」
「……そのようなことは」
「周りは、そうは感じておりません。新しい妻を迎えるということは、そういうことではありませんか? 王子を産むことは、王妃に課せられる使命なのですから」
実際、侍従長とカゾーラン以外の臣下はそう考えているのだ。
アンリにその気がなくとも、周囲は必ずルイーゼに王子を望む。
そして、エミールを疎むだろう。そんなこともわからない愚王ではないはずだ。
「それとも、陛下はエミール様を疎んじて居られるのですか? 十五年、エミール様をあのような状態で放置してきたのは、間違いなく、陛下の責任でございましょう」
言葉で刃を設え、突きつける。
「陛下はいつまで、エミール様からお逃げになるおつもりですか。エミール様はとても素直な方です。どうしようもない軟弱者で、逃げ癖も直りません。でも、あの方なりに、外の世界を見ようとなさっています。無理だ無理だと泣きながら、亀のように歩いております」
結婚を回避するために嫌われようとしているのではない。単純に、目の前の国王に腹が立ったのだと自覚する。無性に腹立たしくて仕方がない。鞭打った程度では、おさまりそうになかった。
「わたくしも貴族です。お望みとあらば、どんな結婚も覚悟しております。ですが、エミール様を蔑ろにするようなことがあれば、わたくしは陛下を許しません。現世と言わず来世でも、その次の来世でも、この怒りを引きずって生きてやりますわ」
殺気を発するわけでもなく、ただ純粋な憤りを言葉で表現した。
眼前にある問題を直視せず、先送りにして逃げている。外が怖くて引き籠ってしまったエミールと同じ。エミールの後ろ向きな女々しさは、きっと、この親に似たのだと思う。
まったく、面倒くさい親子ですこと。
「現実から逃げ、考えることを放棄していては、いつか身を滅ぼしますわよ」
刹那、アンリの表情が変わる。
俄かには信じ難いと言いたげに震える表情に、ルイーゼは眉を寄せた。意図していたものと、違う反応をしている気がする。なにか、おかしなことを言っただろうか。
「……どうして、その言葉を」
が、アンリがなにかを言うより早く、真珠の間の扉が開いた。
突然、両開きの扉が開け放たれたことで、一同の視線が入口に集まった。料理が運ばれてきたのではない。
「……エミール様?」
扉の前に立っていたのは、エミールだった。
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