第26話

 

 

 

 シャリエ家の面々に見送られ、ルイーゼは王宮へと繰り出した。

 国王陛下の私的な晩餐に呼ばれてしまった。この窮地を乗り切るか否かで、ルイーゼの未来は大きく変わるだろう。


「こちらだ」


 晩餐の間へは、カゾーランが案内してくれた。

 王宮では食事の場所が定まっていない。その日の天気や主の気分、または給仕係の意見でテーブルの位置が変わる。

 この日は小雨が降り、少々肌寒い。よって、外の見えない真珠の間で晩餐が行われるようだ。

 そう聞かされていたので、ルイーゼはわざと、白壁の部屋にはそぐわぬ真っ赤なドレスを纏っていった。

 私的な晩餐には似つかわしくない華美な装いだ。こってりと大きな宝石の嵌まった指輪や、少々濃い夜会向けの化粧も施した。場を弁えない女は、まず印象が悪くなる。


 徹底的に嫌われるのですわよ!

 ルイーゼは決意し、真珠の間へと踏み込んだ。


「こんばんは、陛下。お招き頂きまして、光栄にございますわ」


 ルイーゼはあいさつしながら、スカートの裾をつまんだ。


「良い、顔をあげなさい」


 部屋の奥から掛けられる声に、ルイーゼは応じる。

 あまり仰々しくないスッキリとした丸テーブル。純白のクロスの上には既に銀食器が用意されており、甘い芳香の蜜蝋が灯っていた。

 長い脚を組み、王宮の主たる国王アンリ三世がルイーゼを待っていた。

 ブルネットの髪やスッと通った鼻筋、やや垂れた目尻などはエミールとよく似ている。

 優美に笑みを描いた口元にはやや年齢を感じるものの、青年のように思えた。濃紺の衣装が落ち着いており、白を基調とした真珠の間に、よく合っている。


「てっきり、応じてくれぬと思っていたよ。座ってくれたまえ」


 アンリはルイーゼに着席を促して笑った。ルイーゼは礼をとって微笑んだ。

 と、危うく、癖で敢えて粗相を犯すというプランを忘れるところであった。ルイーゼは我に返って、静かに意気込む。

 よし、ここは!


「あ、あ~れ~」


 ルイーゼは踵の高い靴に足を取られ、そのままヨロヨロとバランスを崩してしまう。

 勿論、振りである。この程度の靴に耐えられず転ぶなど、社交界では失笑ものだ。ベタな手段だが、出会い頭には適当だろう。


「おっと」


 だが、くずおれるルイーゼの身体を、アンリが素早く支えてしまう。予期せず腕の中に抱きすくめられる形になり、ルイーゼは困惑した。

 な、なんだか、「イイカンジ」では、ございませんか?

 日本にいた頃に見た漫画のような場面になってしまい、物凄く気まずくなる。ドキドキというよりも、ヒヤヒヤという気持ちであるが。


「ご、ご令嬢。そ、そんな粗相をするなど、な、なんてはしたない方なんだー!」


 事前に打ち合わせしていた侍従長が棒読みでルイーゼを罵るセリフを読み上げる。物凄く緊張していることがわかり、もう演技だとバレバレの域だ。


「こら、爺。そう申すな。公爵令嬢は緊張しているのだろう。良い、許す」


 なんだか、懐の広さ加減が余計に「イイカンジ」感を助長していますけど!? むしろ、緊張しているのは侍従長様なのですけどね!

 部屋の隅で玉砕した侍従長が座り込んでしまう。

 年老いた侍従長には、これが精一杯の演技であったのだろう。燃えカスのようになった老人に対して、ルイーゼは心中で労いの言葉をかけた。


 まだまだですわ。プランB発動です。


「ありがとうございます、国王陛下」


 ルイーゼはアンリから離れながら、用意していた表情を意識的に作った。

 唇は出来るだけ妖艶に笑みを描く。しかし、眼は獲物を射抜く矢のように鋭く、冷たい氷を意識した。泣く子も黙らせる自信のある殺気を発し、ルイーゼは禍々しい笑声を漏らしてみせた。

 海賊時代に女子供を蹂躙しながら、こんな顔を浮かべていた。現世のルイーゼは、これをゲス顔と呼ぶ。

 さあ、これでどうだ。これでも、まだこんな女を嫁にしたいと思うのですか!


「……そんなに見られると、照れてしまうではないか」


 予想に反してアンリは顔を赤らめて、視線を逸らしてしまった。


「セシリアも、本気で怒るとそんな顔をしていたな……私はなにか、怒らせることをしたか?」


 いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。

 王妃様はこんな顔しませんでしたよ。確かに、怒るとビックリするほど怖かった気もしますが、ここまで禍々しくなかったと思いますけれど。思い出補正にもほどがあるのでは!?


「わ、わたくし、そんなに王妃様に似ているのでしょうか?」


 前にもエミールに同じ質問をした気がするが、今度は別の意味で聞きたくなってしまった。どちらかと言うと、王妃様の名誉のために。


「似ておる。仕草や表情、立ち振る舞いが、そこはかとなく」


 エミールと似たような答えだった。

 エミールはまだ幼かったので雰囲気でしか感じていなかっただろうが、アンリの記憶は鮮明なはずだ。ルイーゼは意識したことがないので、困惑するばかりである。


「そうですか」


 ルイーゼを見つめるアンリの眼に熱のようなものを感じる。懐かしむような、慈しむような。愛しくて仕方のない者を見つめる視線だった。


「婚約者を探していると聞いた」


 覚えがある。セシリア王妃を見つめるときのアンリは、いつもこんな顔をしていた。

 ああ、そうか。ルイーゼは納得した。

 アンリは完全にルイーゼを亡き王妃と重ねているのだ。エミールの教育係に指名したのも、後妻にすると言い出したのも、そのためだ。生まれ変わりだと信じているという話も、満更ではないと思う。

 彼の眼差しは、決してルイーゼを見ているわけではない。


 では、王妃様が絶対にしなかったことをすればいいのですね。


「陛下、その前にお話しておきたいことがございますの」


 ルイーゼは閃いたとばかりに顔を上げた。そして、部屋の隅に立たせていたジャンを呼びつける。

 護衛のために立っていたカゾーランが嫌な予感を察知して、顔を歪めていた。


「陛下。実は、わたくし……密かな趣味があるのですわ」


 ルイーゼはドレスの中から、スッと鞭を取り出して笑った。

 鞭をしならせるルイーゼの前に、ジャンがサッと跪く。それを確認してから、ルイーゼは躊躇なく鞭を振り上げた。


「よろしゅうございます、お嬢さまッ!」


 ベシィンッと、晩餐の場には似つかわしくない音が鳴り響く。

 ジャンが蹲るが、ルイーゼは構わずに肩や背に、二発三発と鞭を振り降ろした。ついでに、垂れ下がった頭を踵で踏みつけ、高らかな笑声をあげる。


「おーほっほっほっほっ! わたくし、こうやって殿方を打つのが趣味なのですわ。ああ、楽しい! ふふふふ、あーはっはっはっはっ!」

「はあ、はあ……ッ! お嬢さま、今日は大変よろしゅうございます! 久々のマトモなお仕置き、ジャンは嬉しゅうございますよッ!」


 いつもより大きな声で笑いながら、ルイーゼはジャンを打ち続けた。

 部屋の隅で侍従長が魂の抜けた殻のように放心している。カゾーランも冷や冷やとした表情で見つめていた。

 だが、周囲の反応など関係ない。アンリがショックで結婚を諦めてくれればいいのだ。


 これは流石にドン引きにございましょう!


 いくら健全な行為とは言え、この場には似つかわしくない。国王の前で、いきなり従者を鞭打つ令嬢など前代未聞のはずだ。

 ルイーゼは勝ち誇った笑みで、アンリの顔を確認した。

 が、しかし。


「……羨ましいではないか」


 打ちのめされるジャンを見て、恍惚の眼差しを向けるアンリ。その視線は、先ほどまでのものとは、少し違う。


「へ、陛下?」


 素早く身を屈め、ジャンの隣に並んでしまうアンリ。その姿を見て、ルイーゼは思わず鞭を振る手を止めた。


「羨ましいではないか! さあ、私にも!」

「え、ちょ、そ、それは……というか、なんなのですか、このパターンは!」


 カゾーランはむしろ国王に斬りかかる勢いで望めば嫌われると言っていたが、まさか、国王自ら鞭に打たれにくる展開は想定外だ。

 部屋の隅で侍従長が泡を吐き、カゾーランはすっかり表情の失せたスーパー悟り状態だった。


「よろしゅうございます、お嬢さま。このジャンに、もっと!」

「羨ましいではないか、今度は私を打つが良い!」


 わけのわからないことを訴える国王と執事を前に、ルイーゼは鞭の行き場を失くしてしまった。

 

 

 

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