第20話

 

 


 

 なんということでしょう。

 ルイーゼは、父シャリエ公爵の勝手極まる決定に憤りを覚える。いや、激怒した。


「嫌ですわ。今、わたくしが教育係を辞めたら、エミール様は間違いなくクズになりますわ!」

「十年以上も引き籠っている王子だぞ? もう既にクズであろう!」

「それは否定しませんが、どんなクズでも改心のときが来るのですわ! 今、エミール様は前向きなのです。少し!」

「そんなもの、ゴロツキが子猫を助けたくらいで良い人扱いされる、三流小説のような理屈ではないか!」

「否定は出来ませんが、わたくし、まだ結婚しませんわ。放っておいてくださいまし!」


 満場一致で第一王位継承者をクズ認定する親子の罵り合いは続いた。その様子を眺めて、シャリエ夫人は笑みを湛えつつ、退屈そうに欠伸を噛みしめる。


「お母様も、なんとか言ってくださいまし!」

「そうねぇ。きっと、恋ですわ」

「適当ですわよね、それ」

「うふふ」


 いつも適当な穏便主義者には頼れない。最初からわかっていたことだが、ルイーゼは深い息を吐く。


「でもね、ルイーゼ。あなたもう十五じゃないの。そろそろ、婚約者の一人や二人、確保しておかなくては行き遅れてしまうわよ?」

「二人目はいらないと思いますが?」

「あら、そうね。まあ、大丈夫よ、ルイーゼは若いから」


 どこまで適当なのだろう、この母親。ルイーゼは自分の顔から表情が消失していくのを感じる。


 だが、そうだ。ルイーゼは十五歳。並みの令嬢ならば、既に婚約者がいるか、結婚する頃合いだろう。


 婚約者……婚約者、ですか。


 ルイーゼは思案したが、適当な相手が思いつかない。

 社交界ではそれなりに目立つし、多くの貴公子がルイーゼに声をかける。しかし、特に親しかったり、懇意にしている相手はいない。

 適度な距離を保って、適当に印象がよくなるよう心がけているに過ぎなかった。

 実際、シャリエ公爵がルイーゼの婿募集を触れまわったことで、名乗り出る貴公子は山ほどいた。だが、そのどれも、あまりピンとこない。権力や財力だけを考えれば、何人か候補はいるが……。

 ルイーゼは貴族の令嬢に生まれた。別に政治的思惑や持参金目当てに結婚相手を選んでもいいのだが、どうも釈然としない。イマイチ決め手に欠けると言ったところか。


 ――ぼ、僕も。早く……ルイーゼみたいに強くなって、外を平気で歩けるようになる……!


 急に、笑いながらルイーゼに語りかけるエミールの顔が浮かぶ。ルイーゼは思考を振り払うように、首を横に振った。

 そうだ。今、エミールを見捨てると、彼は間違いなく引き籠りに戻ってしまう。

 カゾーランには少し懐いたようだが、ルイーゼがいないと、怖がって逃げるらしい。筋トレも続いてはいるが、それでも自主的に外へ踏み出す勇気は出ない状況だ。


 なんとしてでも、教育係は続けなくては。

 ルイーゼは、この役目を引き受けると決めたのだ。


「あ……」


 ひらめいた?

 ルイーゼはある考えに思い至り、強かな笑みを浮かべた。そして、うるさく「結婚しろ! そして、大人しくしてくれ!」と叫ぶシャリエ公爵を無視して、屋敷を飛び出した。


「きっと、恋ですわ」


 シャリエ夫人が、のほほんとお茶を啜った。






「ということで、カゾーラン伯爵。是非、婚約の許可をくださいな!」


 ルイーゼは王宮へ着くと、真っ先にカゾーランの執務室を訪れた。そして、整理整頓の行き届いた書き物机にダンッと両手を叩きつける。

 あまりの気迫に圧倒されたのか、カゾーランは目を通した書類に判を押し損じてしまう。


「は、はて……? このカゾーラン、妻も息子も既にいるのだが……」


 カゾーランは気恥ずかしそうに若草色の瞳を逸らしてしまった。そこで、ルイーゼはようやく、自分の言葉が足りていなかったことに気づく。


「違いますわよ。あなたのご子息と婚約したいのですわ、伯爵」

「なんと。ユーグと?」


 ルイーゼの考えた策は、こうだ。

 誰でもいい。適当な相手と「婚約だけ」してしまうのだ。そして、エミールが独り立ち出来る頃になったら、さっさと解消して婚活に勤しむ。

 カゾーランの息子なら、その辺りの事情も理解してくれそうだし、最悪、結婚することになっても悪い話ではない。


「構いはせぬが……ユーグがなんと言うか」

「父親なら、自分の子くらい黙らせなさいな」


 父親の言うことを聞かずに小細工を施そうとしている自分のことは、棚に放り投げる。

 しかし、カゾーランは「ぬう」と低く唸り、腕を組んで黙ってしまった。なにか不都合でもあるのか、ルイーゼは煮え切らない態度に、少々苛立つ。ジャンが近寄るより早く鞭を手にし、ベシィンッと一振りした。


「お嬢さま、不意打ちもよろしゅ――」

「さっさと答えてくださいまし」


 ジャンの言葉を最後まで聞かず、ルイーゼはカゾーランにも鞭の先を向ける。

 背後で「空気のような扱いも、よろしゅうございます。背後にそっと寄り添うのも、執事の美学」とか聞こえるが、空気扱いしてほしいらしいので、無視だ。


「せがれは、ちと特殊でな」

「ええい、勿体ぶらずに婚約させなさいっ!」


 ルイーゼは困った顔をしたカゾーランの肩に二、三度鞭を叩きつけてやる。ジャンが後ろで、「このジャンにもお願いします!」と叫んでいるが、相手をするのが面倒くさい。


「ルイーゼ嬢。多少はマシな筋力がついたようだな、カゾーランは感激したぞ。さあ、もっと、強くなったお主の力を見せつけよ!」


 主人公に最終試練を与える師匠のようなセリフを言っているように見えるが、意訳すると、「もっと打ってください」に聞こえてしまうのは、何故だろう。最近、なにかに毒されている気がしてならない。


 そうこうしているうちに、トントンッと、扉をノックする音が聞こえる。

 程なくして、扉が開き、入室する人物があった。

 近衛騎士の制服に身を包んだ青年だった。歳はエミールと同じくらいか、もう少し上。一つに結われた長い赤毛が揺れ、若草色の瞳が優美な笑みを描いていた。


「父上、報告書を持って参りました」


 歌うように美しい清涼な声で言い、青年は一礼する。

 鍛えられた肢体は長くしなやかで、非常に均整がとれている。身のこなしは貴族らしく精錬されており、整った甘いマスクは婦女子が好みそうな顔であった。

 この顔には、見覚えがある。エリック・ド・カゾーランの若い頃に、そっくりだ。間違いない。

 彼がユーグ・ド・カゾーランなのだと、ルイーゼは確信した。

 因みに、ユーグの名をつけたのは、前世の自分であることは、完全なる余談だ。


「むう、ユーグか。タイミングが良いのか、悪いのか……」

「あなたがユーグ様ですわね。お願いしたいことがございます」


 あいまいな顔をするカゾーランをおいて、ルイーゼはユーグに迫った。不思議そうにするユーグの前に立ち、ルイーゼは気迫を込めて言葉を放つ。


「わたくし、ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエと申します。あなたに、お願いしたいことがあるのですわ」

「シャリエ……ああ、シャリエ公爵のご令嬢。私になにか?」


 ユーグは人好きのしそうな笑みで問う。ルイーゼの気迫に只ならぬものを感じたのだろうか。数歩後すさって距離を置いているようだが、気にしない。


「飽くまでも、一時的に、でございますが。わたくしと、婚約して頂けないでしょうか。一時的に、ですけど! エミール様のため――」


「は? 女と結婚? そんなの無理に決まってんでしょ?」


 は?

 ん? 今なんて?


 ルイーゼは文字通り、目が点になった。


「私が女と婚約? 父上、このクソアマは寝言を言っているのかしら? 馬鹿?」


 カゾーランが項垂れながら、「口が悪いぞ、息子よ……」と言っている。

 ユーグは一つに結った髪を、優美な動作で振り払い、胸に手を当ててこう宣言した。


「このユーグ・ド・カゾーラン。おとこにしか興味はないから。品のない雌豚ちゃんは男に生まれ変わってから、出直していらっしゃい!」


 う、うわー……。

 ルイーゼは背筋が凍るのを感じた。久々に鳥肌が立って、ゾワッとしてしまう。


「ルイーゼ嬢。諦めよ……我が息子は、まあ、その。いわゆる、女嫌いなのだ」

「いやいやいや、これ、完全にホモ宣言ですわよね。ゲイですわよね! むしろ、オネェですわよね!」

「断じて違う。違うぞ、ルイーゼ嬢。ただ、昔の自分のように軟派な男にせぬよう、日ごろから女に興味を持ってはならぬと教えておったら……」

「完全に、育て方を間違えましたわね。いろいろと。性的に興味がないのはともかく、コレ、完全にオネェ化していますもの!」

「ぐぬぬ」


 きっぱりと言い放つと、珍しくカゾーランがゴツイ筋肉の盛り上がる身体を小さく丸めた。間違えた自覚は、あるらしい。

 しかし、こうなると、完全に宛てが外れてしまった。

 大人しく、結婚するしかないのかしら? ルイーゼは途方に暮れ、溜息を吐いた。

 

 

 

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