第2章 引き籠り、向き合う!
第19話
一に筋トレ、二に筋トレ、三、四がなくて、五に筋トレ。
とにかく、少々動いた程度では動じない筋肉が必要だ。
ルイーゼは少しずつだが、身体を鍛えることにした。
勿論、いきなり無理をして筋肉痛を繰り返す愚を犯したりはしない。身体づくりのいろは心得ているつもりだ。
食事にプロテイン摂取は欠かせないので、卵やささみの食事を調理係に要求しておく。
筋肉疲労を軽減する食品として、豚レバーも食すことにした。だが、豚レバーに関しては、「そ、そのようなものをお食べになって、ルイーゼ様は悪魔でも崇拝されているのですか!?」と目を剥かれてしまう。
フランセールでは
「お嬢さま、ご注文の品が届きました。しかし、ジャンは鞭の方が好みにございます」
「ありがとうございます。勘違いされては困りますけれど、これはお仕置き用ではなくてよ?」
ジャンから注文の品を受け取りながら、ルイーゼは釘を刺した。ジャンは寂しげに「左様でございますか。寂しゅうございます」と言って下がってしまう。この執事、最近露骨すぎる気がしてならない。
「さて。やはり少し重い気がしますが、剣よりはマシですわね」
ルイーゼは手にした武器を、試しに数回振ってみた。
最初は難儀したが、そのうち、ブォンと風を斬る音がする。
木刀だ。
細かく注文をつけた甲斐あって、出来は上々。繊細な反り返りや握りの良さまで、日本にいたときに使っていたものを再現させることが出来た。ルイーゼの背丈に合わせて、小振りに作ってある点も気に入っている。
今のルイーゼでは、普通の剣は扱えない。
木刀を振り回すくらいがちょうどいいのだ。出来るだけ硬く、軽い素材を選んだので、思いっきり振れば相手の骨を折ることも可能だろう。
鞭で戦うには限界がある。鞭は振ると大きくしなるので、動作してから攻撃が届くまで大幅に遅れが出て読まれやすい。
また、皮膚へのダメージは大きいかもしれないが、相手が戦士級の場合は打撃を与えて骨を折ることの方が重要だ。
戦闘とは、如何に相手の動きを封じることが出来るかが重要になるのだから。
「さて、参りますわよ。今日もエミール様を教育しなくては」
今日はどんなメニューがよろしいかしら。ルイーゼはそんなことを考えながら、王宮に向かう馬車に乗り込んだ。
「ルイーゼ!」
いつものようにエミールの部屋を開けると、嬉しそうな声が聞こえる。ほどなくして、中からエミールが顔を見せた。
「ルイーゼ。み、見て、これ全部一人で達成したよ!」
褒めて褒めて、と言いたげにエミールはルイーゼの前に立った。
彼は昨日ルイーゼが渡した紙を胸の前で広げ、ニッコリと笑顔を作る。やはり女々しさが残るが、その顔に怯えの色は薄まっており、小動物のような愛くるしさ感じた。
エミールが持っているのは、彼のために作った筋トレのメニューであった。とりあえず、筋力がないことを配慮して、ルイーゼと似たものを実践させている。
「あら、エミール様。よくがんばりましたわね」
ルイーゼは嬉しそうに笑うエミールの頭を軽く撫でる。エミールは嬉しそうに目を細め、くすぐったそうに笑った。
うん、すっかり懐いております。調教は上手くいっているようですわね。
「ぼ、僕も。早く……ルイーゼみたいに強くなって、外を平気で歩けるようになる……!」
エミールはもじもじと、しかし、意気込んで、両手の拳をギュッと握りしめた。その姿が健気で、つい母性本能をくすぐられる婦人もいるのではないか。
どうして、ここまで飼いならすことが出来たのか。
なんということはない。外への興味を持ちはじめたエミールに対してルイーゼは一言、
「外へ出られるのでしたら、やはり、それなりに強くならなくてはいけませんわ」
と、吹き込んだ。そして、まるで、それが常識であるかのように振舞ってみせたのだ。
商人であった五番目の前世では、時々使った基本話術だ。無知な相手に「隣町の誰々様は、これくらいの値をつけてくださいましたよ!」と言えば、相手は「この商品の相場は、これくらいなのだ」と思い込む。
計画通りですわ!
ルイーゼは腹黒い笑みを隠しつつ、エミールが腕立て伏せする様子を見守った。と言っても、今は一回か二回ごとに息をあげて、床に腹をつけてしまうほど軟弱な出来だが。
やはり、彼は王子だ。それなりに鍛えていても損はないだろう。
それに、「このくらいの目標を達成しておけば、外に出ても平気ですよ」という指標があれば、本人も安心するはずだ。
相変わらず、部屋の中での引き籠りは続いているが、目標があるので全然違う。そのうち、走り込みも行いたいと思う。
「宜しい、宜しいですとも。このカゾーラン、筋肉信者が増えて感激しておりますぞ!」
どこから湧いてきたのか、カゾーランが勝手に号泣していた。
未だにエミールの部屋には護衛がつけられているので、様子を見に来たのだろう。見張りを担当していた騎士がドン引きしているが、カゾーランの視界には入らないらしい。
「殿下、基礎が整いましたら、このカゾーランが稽古をつけて差し上げましょうぞ」
「え、や、やだ。ルイーゼがいい」
立派すぎる大胸筋を張ったカゾーランの申し出を、エミールはあっさり拒否した。
カゾーランはショックを受けたようで、露骨に表情を固まらせて、ルイーゼに視線を向けてきた。
「しかし、ルイーゼ嬢の剣筋はクセがありすぎますぞ!」
「だって、ルイーゼの方がかっこいい」
「な、なんですとっ!? このカゾーランの磨き抜かれた筋肉に不満がお有りか!?」
筋肉の話では、ないと思う。
エミールは無邪気な子供のようにサラッと流し、ルイーゼの傍に擦り寄る。それを見て、カゾーランがますます表情を硬直させた。
ルイーゼは苦笑いして、助け船を出してやることにした。
「エミール様、そう言って頂けるのは嬉しいのですが……マナー作法、社交界での礼儀一式、ダンスに読み書き、わたくしがエミール様に教えなくてはならないことは、たくさんありますの。今は筋トレもしておりますが、そのうち、剣の稽古はカゾーラン伯爵にお願いするつもりでしたわ」
「え、どうして? ぼ、僕、全部頑張るのに……」
「日中のうちに全てを叩きこむのは、難しいのですわ。これから、気候も暑くなって参ります。運動は夕方にされるのがよろしいと思いますわ。そうなると、わたくし、お屋敷へ帰らなくてはなりませんから」
エミールは子供のようにむくれていたが、やがて、「わかった……」と呟いた。
我ながら、本当によく手懐けたと自画自賛したいくらいだ。
「わかりましたら、今日は歴史のお勉強を致しましょう。筋トレのしすぎは、身体に良くありませんわ」
ルイーゼは優しく笑い、テーブルに教科書を広げた。エミールは素直に言うことを聞き、席に着く。
最初の頃では、考えられなかった。まるで、普通の教育係と王子のような穏やかな光景である。
† † † † † † †
けしからん。
実にけしからん。由々しき事態だ。けしからーん!
「けしからん!」
太い血管の一本や二本、ブチ切れそうな勢いで叫ぶのは、ギヨーム・アントワープ・ド・シャリエ公爵。シャリエ家の当主であり、ルイーゼの父である公爵様である。
シャリエ公爵は激怒していた。烈火のごとく怒り、狂おしいほどの感情に苛まれている。
「まあまあ、あなたったら。良いではありませんか。ルイーゼも、もう年頃なのですから」
憤怒するシャリエ公爵をたしなめるのは、妻であるシャリエ夫人だ。夫人は膝の上に乗った愛玩用の白猫を撫でながら、のほほんとした笑みを浮かべている。
「年頃だから、けしからんのだろう! どこの令嬢が夜中に屋敷の外を走り回ったり、珍妙なポーズで静止したり、奇声を上げながら素振りをするというのだ!」
「ふふふ、きっと恋ですわよ」
「適当なことを申すな!」
「あら、バレました?」
腸を煮えくり返らせながら、王宮の方を見つめる公爵。その姿を、妻である夫人は至極穏やかに、かつ適当な態度で「まあまあ」と言うのだった。
「わしのルイーゼになにがあったというのだ。ルイーゼは天使だぞ!? このシャリエ家の宝なのだ! それが、王宮に通いはじめたと思ったら、毎日筋トレざんまい。パパと食事をしても、ささみや豚の肝ばかり食しておる! きっと、毒されたのだ。あの引き籠り姫のせいで、頭がおかしくなったのだー!」
「そうかしら。ほら、十歳のときに、盗賊からこの家を守ったこともあったじゃありませんか。三年前は、誘拐されそうになって、逆に賊を引きずって帰ってきたりもしたし。あの子は、割と前から、あんな感じではなかったかしら?」
「それでも、パパのルイーゼは天使なのだ! 今まで、そんな奇行に走ることなどなかった。反抗期というヤツではないか!?」
「そうかしら」
「そうに違いない!」
親馬鹿丸出しで叫び倒すシャリエ公爵を、夫人は生温かい目で見守っていた。そして、次に発せられるシャリエ公爵の思いつきについても、事なかれ主義を発動させる。
「そうだ。婿をとろうではないか。ルイーゼを、結婚させよう。そうすれば、少しは大人しくしてくれるはずだ。なるほど、我ながら名案だな!」
一人で盛り上がって、目ぼしい貴公子たちに「婿養子募集!」の手紙を書きはじめた公爵を、夫人は生温かい目で見守り続けた。
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