第18話
一刻もすると、目を覚ましたエミールがジャンに連れられてきた。
「う、う……ルイーゼぇ……怖かったよぉ」
未だに蒼い顔をしながら、エミールは涙を浮かべていた。まったく、軟弱者にもほどがある。
ルイーゼは一発、ジャンの腹部を鞭打っておいた。「よろしゅうございますッ!」と言いながら蹲るところまで、もはやテンプレだ。
「エミール様、落ち着いてくださいませ」
「だって、酷いんだから……いきなり抱えられて部屋から連れていかれて、そのまま馬に乗せられて……日除けの仮面も目隠しも、手錠もつける暇なくて……う、うぅ……」
カゾーランは、だいぶ強引にエミールを連れ去ったらしい。
批難の目を向けると、カゾーランも、ちょうどルイーゼに物申したいようだった。
「目隠しや手錠などと……どのような教育をしておるのだ」
「あ、はい。ごめんなさい。そこに関しては、言い訳させて頂きますが、決して、あなたが考えているような目的があるわけではありませんわ。断じて!」
サラッと爆弾を落としたエミールを恨んで、ルイーゼはベシィンッとジャンに鞭を振り降ろしておいた。ついでに、蹲ったジャンの背に靴のヒールをグリグリ押し付ける。
「はあッ……はあ、お嬢さま、よろしゅうございますッ!」
こちらに関しては、カゾーランからの文句は入らなかった。健全な行為なので、当然である。
「だいたい、どうして部屋の扉を開けてしまったのですか。いつものエミール様なら、引き籠ってしまいそうですのに」
割と酷い評価だと思うが、率直に述べてみる。すると、エミールはもじもじと服の裾を弄り、視線を逸らしてしまった。
「なんか、寂しくて」
エミールはポツンと言うと、手に持っていたものをルイーゼの前に差し出す。
紙きれのようだった。便箋に見えるので、手紙だろうか。
しかし、強く握りしめていたせいか、手紙はクシャクシャのヨレヨレ。手汗でインクが滲み、とても読める代物ではなくなっていた。見ると、エミールの右手はしっかりとインク汚れで黒くなっている。
「これは?」
「あ、あの、あのね、ルイーゼ。手紙を書いたんだけど……いや、本当は、手紙をカゾーラン伯爵に届けてって頼んだんだけど、その……なんか、直接伝えた方が、いいって言われて……怖かったけど、ぼ、僕も、その方が、いいかなって、今は思ってたり、して……いやでも、外には出たくなかったんだよ。怖いし。でも、でもっ、む、無理やり連れてこられたし」
エミールは身体を小刻みに震わせて、ソファの上で膝を抱えてしまった。
「う、馬って怖いね。すごく揺れるし、首がガクガクして、舌噛んじゃった……外の道は、王宮と違って広くて、すごいね。人がたくさんいて、なんだか、楽しそうにしてた。あとね、初めて河も渡ったよ。あれが、セーナ河、かな? この辺で意識なくなったから、あまり覚えてないけど、キラキラ反射して、きれいだった、かな」
エミールは自分が見た外の景色を伝えようと、必死になっていた。
会話のセオリーとして、伝えたいことがあれば、まずは先に告げる方が効果的だ。これでは、「朝起きて~」からはじまる幼児の絵日記だろう。
けれども、ルイーゼは黙ってエミールの話を聞いてあいづちを打った。
「やっぱり、外は怖いよ。でも、ルイーゼの言う通り、とてもきれいだと、思う」
エミールはビクビクとした動作で顔をあげ、ルイーゼを見る。揺れ動くサファイアの瞳は真剣で、彼の必死さが伝わってきた。
「ルイーゼがいなくて、寂しかった。ずっと独りだったから、こんなの初めてで……病気してるって聞いて、とても心配で……僕のためにあんなことにまで巻き込まれて、もう、来てくれないんじゃないかって、不安になって」
「エミール様……」
「ごめん。ルイーゼのこと、母上に似てるって言ってしまって。嬉しく、ないよね。だって、ルイーゼはルイーゼなのに、勝手に、僕が重ねるのは、おかしいよね」
「そのようなことは」
ルイーゼはエミールの言葉を否定しようとした。だが、否定出来なかった。
相手のことを他人と重ねてしまっていたのは、ルイーゼだって同じではないか。
勝手に前世の記憶をもとに、エミールとセシリア王妃を重ねていた。そして、それをエミールの教育係を続ける理由にしていたのだ。
「外に出るのは、怖いよ。でも、ルイーゼがいないのは、もっと……イヤだ。寂しい」
胸が痛んだ。
そんなことを言われなくても、ルイーゼはちゃんとエミールのところへ戻ってくるのに。明日から、またいつも通りに教育を再開するというのに。
「強引だし、怖いし、泣きたくなるけど……でも、僕はルイーゼじゃなきゃ、ダメだと思う。ルイーゼが教育係じゃないと、頑張れない気がするんだ……ルイーゼ、僕の教育係、続けて、くれますか?」
馬鹿な王子様ですこと。そんなことを言われなくても、わたくしは、ずっとあなたの教育係ですのに。こんなところまで来なくても、こちらから出向いてみせましたのに。
ルイーゼは苦言を呑みこんで、微笑を作ってみせた。
――冷たいのですね。少しは、わたくしのワガママも聞いてくださらない?
記憶が呼び起こされる。前世の記憶だ。セシリア王妃が懐妊し、祝の宴が開かれる最中だった。
――もしも、この子が男の子だったら、是非、あなたに教育係をお願いしたいのですよ、クロード。
――……俺ですか? 慣例では、ご婦人のはずでしょうに。
――良いのです。礼儀作法は、わたくしでも教えることが出来ます。それよりも、この子には強くなって欲しいのです。誰よりも強く、賢く……この子が守りたいと思ったものを守れる強さを、教えて欲しいの。
このあとのことを、ルイーゼは覚えている。
やがて、王妃の子が生まれ、エミール・アルフォンス・ド・フランセールと名付けられた。
そして、王子が健やかに育った暁には、必ず自分が教育を施すと誓った。
だが、果たせなかった。
「ルイーゼ?」
エミールが不安そうに、回答を促す。ルイーゼは固まりかけていた思考を元に戻して笑う。
背筋を伸ばし、ソファから立ち上がった。そして、向かいに座っていたエミールの手を両手で握る。
「ご心配なさらず、エミール様。わたくしは、どこにも行きませんわ」
前世で果たすはずだった教育係が再び現世で巡ってきて、ルイーゼは、なんとなく、エミールを捨て置けなくなっていた。
どこかで責任のようなものを感じて、引き受けざるを得ない気持ちになっていたのだ。
だが、その気持ちは捨てようと思う。
前世など、ルイーゼには関係がないのだ。わざわざ義理を通す方が馬鹿げている。
「これからも、しっかり教育致しますので、ご覚悟をお決めください。わたくしに、エミール様の教育係をお断りする理由はございませんよ」
震えるエミールの手をしっかり握り、ルイーゼは強く強く微笑んだ。
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