第16話

 

 

 

「ぬんっ!」


 唐突に繰り出される拳の一撃を、ルイーゼは辛うじてかわした。剣で薙いだが如き風が発生し、一撃の威力の大きさを示す。


「い、いきなり、なんなのですかっ!? 刺されて死ぬどころか、今の当たっていたら、顔が潰されて死んでいましたわよ!?」


 思わず突っ込むルイーゼをカゾーランが見下ろした。予測していなかった死亡フラグを回避したとはいえ、まだまだ安心は出来そうにない。


「やはり、普通の令嬢ではありませぬな」

「普通です普通です! とっても、普通ですわ!」


 どうやら、試されていたようだ。実際、あんなものを避けられる令嬢などいないだろう。ボロを出してしまったと気づき、ルイーゼは焦った。


「奴が……クロードが生きておるのでしょう! やはり、死んではおらんかったか。ルイーゼ嬢の身のこなし、間違いなくクロードの戦い方と似ておる」

「いやいやいや、死にましたって! きっちり死んでいますわよ! 確実に死んでいますから、濡れ衣です! 偶然の一致ですわ!」


 調子に乗って受け身をとりつつ、鞭で居合の構えまでとってしまったのが、ダメだったのかしら。迂闊ですわ。でも、本能的に動いてしまうのですもの!


 流石に、前世の記憶が云々と言っても、信じてもらえる自信がない。

 しかし、「実は生きていて教えてもらったのです」と話を合わせたところで、ややこしくなりそうだ。かと言って、誤魔化せる自信もない。

 どうして、カゾーランが王宮を離れてわざわざやって来たのかと思っていたが、こういうことか。彼は疑念を晴らすために、ルイーゼに会いに来たのだ。


「も、黙秘権を行使しますわ!」


 ルイーゼは高らかに主張して、部屋の外へ出ようとする。

 外にはジャンや使用人がいる。いくらなんでも、こんな話を人前でも続けるようなことはしないだろう。

 だが、すかさずカゾーランが扉の前に回り込む。

 退路を断たれ、ルイーゼは追い込まれてしまった。


「さあ、ルイーゼ嬢。話して頂こう」

「…………」

「あのとき、クロードはどこへ消えたのか。あれだけの傷を負ったまま転落したというのに、満足に動けたとも思えぬ。如何にして、あの場から影も形もなく消えてしまったのか――」

「ストップですわ! なにを仰っているのか、意味がわかりません。わたくし、ちゃんと死にましたわよ!?」


 前世で死ななければ、今こうしてルイーゼは生まれていない。

 ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエという令嬢が、前世の記憶を持って生まれることなど、あり得ないのだ。


 しかし、つい口を挟んでしまったが、ルイーゼは自らの失言に気づく。


「――わたくし、だと?」


 やってしまった。つい、口を滑らせてしまった。

 ルイーゼは急いで自らの唇を両手で塞ぐ。これ以上、喋るとどんなボロが出るかわからない。

 だいたい、「転生した」などという話を、易々と信じてもらえるわけがないのだ。黙秘権を行使すれば、大丈夫……だと思いたい。


「ご令嬢、今、わたくしと言ったか!?」


 ルイーゼは無言のまま首をブンブン横に振った。

 現状では、正面からカゾーランに向かって行っても、勝てる気がしない。そこまで過激な動きなど、現世の身体では出来ない。今手元にある鞭では、この筋肉装甲を崩すことすら難しいだろう。


 どうしましょう、どうしましょう!?

 もしも、クロード・オーバンがわたくしの前世だと知られたら……これは、最大のバッドエンドフラグですわ。前世のわたくし、この国では大悪党ですもの。ただで済むわけがございません!


 ルイーゼは刻一刻と迫りくるバッドエンドに怯え、打開策を見つけることが出来なかった。


「まさか……ルイーゼ嬢、貴女は」


 カゾーランがルイーゼの顔を凝視し、瞳を揺らしている。戸惑っているのだろうか。それとも、意味がわからないのだろうか。少し、涙ぐんでいるようにも見えた。


「貴女も転生者なのですか?」

「…………は?」


 今、なんて?


 カゾーランは鍛え抜かれた身体を微かに震わせ、膝を折る。ルイーゼと目線の高さが合い、気まずくなってしまった。


「このカゾーラン、長い間、転生を繰り返しておったが、同胞に出会えたのは、初めてである!」


 うおおおおおおん。と、雄叫びのような声を上げて、カゾーランはルイーゼの身体を抱きあげてしまう。

 ルイーゼは避けることすら出来ず、鋼鉄のような筋肉にがっちりホールドされた。


 なに? え? なんですの? この展開、意味がわかりませんわ!?


 カゾーランはルイーゼを抱き締めたまま大号泣している。女々しさを感じない見事な泣きっぷりである。エミールにも見習ってほしい。


「そうか、ご令嬢。貴女はクロードか!」

「え、え? あ、あー……あ、はい?」


 なんかもう意味わからなさ過ぎて、割とどうでもいい。面倒くさい。どうにでもなれ! ルイーゼは呆気にとられて、つい肯定してしまう。

 すると、カゾーランがルイーゼを抱き締める強さがいっそう強くなる。筋肉は大いに結構だが、潰されて死ぬのではないかと、ルイーゼは内心冷や冷やした。


「そうか、そうか。クロードか! クロード、久しいな!」

「離してくださいません? 男の名前を呼びながらマッチョが大号泣だなんて、絵面がよろしくなくてよ!?」


 ルイーゼはつい鞭でカゾーランの背を数度叩いてしまう。


「む。マッサージかな? 気持ちがいいですな!」

「ひ弱で悪かったですわね」


 鍛え抜かれた筋肉には、ルイーゼ程度の鞭では効かないようだ。ルイーゼは悔しくなりつつ、力の緩んだカゾーランの腕から飛び降りた。


「と、言いますか。なんですか、あなた転生者なのですか? 寝耳に水ですけれど」

「実は、な。隠しておったが、このカゾーラン。転生歴三回のベテラン転生者ぞ」

「ふっ、笑わせてくれますわ。わたくし、転生歴七回ですのよ。あなたは、まだまだ中堅レベルではございませんか」

「なんと! これは恐れ入った」


 うん、だいぶ意味がわからない。

 状況を整理するために、ルイーゼとカゾーランはお互いの状況を告白することにした。


「つまり、わたくしたちは転生を繰り返した同志というわけですわね。理由は不明。前の人生が終わったら、転生している、と。共通項は、こんなところですか。わたくしは異世界転生を経験済みですが、あなたには、まだないのですね」

「うむ。だいたい、その通りである」

「で……わたくし、ずっとお聞きしたくて、堪らないことがありますの。あなた、十五年前と比べて、見た目が変わりすぎではありませんか?」

「む。よくぞ聞いてくれた!」


 言うが早く、カゾーランは立ち上がる。そして、純白の制服を脱ぎ棄てて、鍛えられた筋肉を惜しげもなく晒した。

 令嬢の前で服を脱ぎ捨てる伯爵の図は、明らかに失礼な気がするが、筋肉が美しいので許した。


「最初の人生は、一介の町娘であった。戦争に巻き込まれて死んでしまってな。二回目の人生は、騎士階級の三女に生まれた。前世の二の舞になるまいと剣術を覚えたのだが、病死してしまった。三回目の人生も、また女人であった。今度こそは、強く逞しい女子(おなご)を目指したが、悪徳領主に盾ついたせいで返り討ちにあってしまったのだ。婦女子の身では、いくら鍛えても限界があってな……」


 なるほど。刺されて死ぬ人生を繰り返しているのは、ルイーゼだけのようだ。


「こうして巡ってきた人生は、ようやっと、男! すぐに鍛えてフランセール一の騎士となったが……慢心出来ぬと思ってな。あれから十五年間、鍛え続けた結果が、これよ、見よ!」


 ムキッと盛り上がる力こぶ。

 もはや、筋肉と言うよりは、鎧である。惚れ惚れする。ルイーゼも、前世であれくらい鍛えてみたかったものだ。羨ましい。


「つまり、最初から脳筋志望だったわけですわね。その割には、昔はたいそうの女好きのようでしたが」

「女子だった頃の名残で、ついな。若い頃は婦女子と話している方が落ち着いてしまって……だが、このカゾーラン、今は煩悩を振り払っておる。漢(おとこ)にしか興味はない」

「それはそれで問題発言ですわよ」


 まあ、確かに、ルイーゼも昔は男と話すことを好んでいたので、わかる。メイドではなく、執事を側仕えに置いたのもそのせいだ。

 こうして話していると、なるほど。彼はルイーゼの知っているカゾーランだと感じはじめていた。話の内容や見た目は違うが、会話の間合いや空気は昔のままだ。


「して、クロードよ。今度は、こちらから聞きたいことがあるのだが」

「なんでしょう。あと、細かいことかもしれませんが、前世の名前で呼ばないでくださる?」


 前世の記憶は持っているが、ルイーゼはルイーゼだ。もうクロード・オーバンではない。

 根源の考え方や価値観は共有するものがあるが、人格も生き方も違う別人だ。前世の名で呼ばれても、普通に困る。同じ転生者なら、わかるはずだ。

 カゾーランは短く「すまんな」と断り、咳払いした。そして、まっすぐにルイーゼを見つめ返す。


「では、聞こう。ルイーゼ嬢。ずっと謎であったのだが……クロードは、何故なにゆえ、あのような謀叛を起こしたのだ?」

「え、それは、あれですわ。当然、――あら?」


 言葉を紡ぎかけて、ルイーゼは口ごもってしまう。

 話しにくい。そういうわけではない。


 言葉が浮かんでこないのだ。


 王国の秘宝、人魚の宝珠マーメイドロワイヤルを奪ったクロード・オーバン。そして、改心を訴えたセシリア王妃の首を落とした首狩り騎士。≪天馬の剣≫カゾーランに槍で串刺しにされて、最期を迎えた。

 フランセールの歴史では、そう教えられている。


 だが、わからないのだ。


 前世の自分が、どうして、そんなことをしたのか、全く思い出せなかった。



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