第15話

 

 

 

 不覚。軟弱者。貧弱貧弱ゥ!


 柔らかいベッドの中で、ルイーゼはあらん限りの罵詈雑言を心中呟いた。

 怪我などはしていない。

 軽い打撲と重度の筋肉痛に見舞われて、立つことすら出来なかったのだ。

 そう、筋肉痛である。筋肉痛。


「乗馬くらいは、たしなんでおけば良かったですわね。運動しなさすぎです……」


 現世では、全く身体を鍛えていなかった。

 品行方正、聡明で儚い深窓の令嬢を演じるために、「野蛮」と思われる行為は尽く避けてきたのだ。

 ものの数分戦闘しただけで、この有様。十歳のときに、公爵家に押し入った強盗を退治したときも、そうであった。凄まじい筋肉痛に襲われて、しばらく熱まで出してしまったくらいだ。

 しかも、今回は


「あり得ませんわ。腹立たしいですわ。由々しきことですわ!」


 独り言が加速していく。

 わたくしが? このわたくしが? (前世で)剣道の全国大会優勝にのぼりつめた、このわたくしが? (前世で)大海賊と呼ばれ、七つの海を恐怖に陥れた、このわたくしが? (前世で)王国最強と謳われ、首狩り騎士として畏れられてきた、このわたくしが?


「あのような雑魚に負けるなど、腸(はらわた)煮えくりかえりますわ! 悔しい悔しい悔しい! ジャン! ジャン!? おいでなさい!」


 叫ぶと、ジャンが入室する。

 ルイーゼは若干痛む身体を起こすと、片手に持った鞭をブンブン振り上げた。


「はあ……はあ……ッ! お嬢さま、よろしゅうございます! 今日は一段と、よろしゅうございますッ!」

「まだ収まりませんわ! もう腹が立ちました。筋トレしてやりますわ! 明日から本気出しますわ!」


 とはいえ、ムキムキになるとドレスが似合わなくなってしまう。せめて、隠れマッチョだろう。美しい深窓の令嬢コースを逸れては、本末転倒だ。

 美容と健康的な意味で、無理のないインナーマッスルを鍛える運動からはじめることとしよう。まずはヨガで女子力アップだ。ただし物理。

 今後の方針を決め、ルイーゼは闘志に燃えた。


「ルイーゼ様、大変です!」


 ジャンを打ちのめしていると、メイドが入室する。


「今、お客様が……」

「お客様? お見舞いかなにかですか? 全てお断りするように言ってあるでしょう」


 筋肉痛で寝込んでいるなどと知られたくはない。適当に風邪を引いたことにしているのだ。


 それに、あのとき王宮に侵入し、二人を襲撃した犯人の首謀者もわかっていない。

 むしろ、襲撃事件の存在自体を隠蔽しているらしい。

 ここ数年は落ち着いているようだが、現国王が即位した頃は暗殺未遂だの毒殺未遂だのは、割と日常茶飯事だった。

 エミールの「外は怖いから出たくない」と言うのも、全く間違っている主張ではない。

 いや、彼のトラウマの原因は、前世の自分なのだけど。


「いえ、それが……カゾーラン伯爵が、王子様を抱えて乗り込んできたのです。あ、いえ、参られまして……使用人では、とても手に負えません」

「え? 誰が、誰を連れて?」

「ですから、カゾーラン伯爵が、王子様を、連れて参ったのです。王子様は失神していらっしゃいますが」


 状況がよくわからない。うん、わからない。

 だいたい、あんな事件があればエミールの性格なら、当然のように引き籠るはずだ。

 今後、どのように調教、いや、教育すれば良いか、ベッドの中で頭を悩ませていたくらいである。まあ、最終的に縄で縛り上げて引きずる作戦がベストだという結論に至ったが。

 また、カゾーランが連れて来たというのも妙だ。

 確かに、現王国最強と思われる男が一緒ならば、エミールが王宮の外へ出ても安全かも知れない。

 しかし、≪天馬の剣≫は王族と王宮の守護を任される騎士の最高役職だ。白昼に易々と王宮を離れる理由など、ないだろう。ルイーゼが覚えている限り、そこまで軽い役職ではなかったはずだ。


「良いでしょう。お会いしましょう。客人を応接の間へお通ししてくださる?」

「お嬢さま、具合はよろしゅうございますか?」

「まだ少し痛みますが、平気です。エミール様にダラしない姿を晒すのは、失礼でしょう」


 ルイーゼは背筋を伸ばし、口角にキュッと力を込める。

 いつもの気品あるシャリエ公爵令嬢ルイーゼの顔になった。筋肉痛も歩けるほどには、回復している。







 支度を済ませて、ルイーゼは応接の間へ向かった。

 エミールは失神していると言うことなので、客間のベッドに寝てもらっている。


 エリック・ド・カゾーラン伯爵。

 文官家系の長男として育ったが、幼き頃より武芸に優れ、若くして近衛騎士に就任。数々の功績が認められ、≪天馬の剣≫の称号を授けられた天才。同時に≪黒竜の剣≫を拝命したクロード・オーバンと並んで若き国王を支えた忠臣だ。クロード・オーバンが謀叛を起こした際には、彼を串刺しにし、鉄槌を下した英雄騎士となった。

 ここまでは、ルイーゼも知っている。まあ、前世でもそれなりの付き合いをしていたと思う。刺殺されたが。


 ですが。


「やっぱり、わたくし、あの方を知らない気がしますわ」


 小さく吐露し、ルイーゼは記憶を辿る。

 ルイーゼが思い出せる記憶のカゾーランは、もっと……いわゆる、優男チャラ男であったと思う。

 婦女子が好みそうな甘いマスクで、無意味に磨いた美貌をひけらかし、目に入る女には漏れなく声をかけていた。剣や槍の腕も優れていたが、どちらかと言うと、策士系。策謀に長けており、どんな苦境も覆してみせた。

 それが、あんな……あんな美しい筋肉のナイスミドルになるだなんて!

 ルイーゼは戦慄した。彼になにがあったのだろう。むしろ、別人ではないかと思える。


「お待たせしました」


 ルイーゼはモヤッとした気持ちを抱えたまま、応接間に入る。

 カゾーランは椅子に腰かけず、扉の脇で絵を眺めていた。

 純白の制服に包まれた肢体は惚れ惚れするほどの筋肉で覆われており、歴戦の戦士そのものであった。若草色の瞳は柔らかではあるが、熊も視線で射殺すほどの眼光を放つ。

 やはり、ルイーゼが覚えているカゾーランとは、似ても似つかない。

 いや、面影はある。髪や目、肌の色などの特徴はあるが……。


「先日は危ないところを助けて頂きまして、ありがとうございます。どうぞ、お掛けください。お茶をお出ししますわ」


 ルイーゼは形式的なあいさつを述べ、カゾーランに座るよう促した。

 しかし、カゾーランは動かず、黙ってルイーゼを見据えていた。その視線は、明らかに若い令嬢に向けるものではない。敵意、いや、殺意のようなものを読み取って、ルイーゼは戦慄した。


「ルイーゼ嬢、一つ、お尋ねしてもよろしいですかな?」


 ドレスの下を冷や汗が流れる。


「先日、貴女が見せた見事な身のこなし。とても、普通のご令嬢とは思えぬものでした。誰に教えを請いましたか?」


 見られていた。あのあと、すぐに彼が助けに入ったので、当然と言えば当然かもしれない。

 確かに、ルイーゼは普通の公爵令嬢とは思えない立ち回りをしてしまった。

 だが、あれは正当防衛だ。エミールを守るために必死で行った結果なのだ。決して、悪の道になど染まっていない。令嬢としての道から逸脱していた気はするが。


「さあ? 必死でしたから……つい?」

「とぼける理由がおありか……このカゾーランが知る限り、あのような剣術を使う者は、フランセールに一人しかいないのですよ、ご令嬢」


 カゾーランの表情が凄味を増す。その威圧感に耐えられず、ルイーゼですら息を呑んでしまう。


「やはり、クロード・オーバンは生きているのですな?」

「……は?」


 凄味たっぷりで放たれた言葉に、ルイーゼは口をあんぐりと開けてしまう。

 いやいやいやいや、クロード・オーバン死んでいますけれど。

 わたくし、生まれ変わりですし。第一、串刺しにしたのは、あなたでしょう!?


 なんだか、会話が噛み合っていない気がして、ルイーゼはただただ混乱するしかなかった。



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