第14話
眩しい陽射しを受けて、その少女は笑っていた。
エミールを守るために勇敢に戦ってくれた。それなのに、エミールはなにも出来ないまま蹲って、ただただ震えているだけだった。
自分よりも幼い少女が、必死で守ってくれるのを、見ているだけ。
ほらね、やっぱり。外は怖いところだった。
ずっと、部屋の中にいれば、安心だし安全なのに。みんな、どうして外を平気で歩けるんだろう?
エミールは自問しながら、ベッドの中に潜り込んだ。ここが一番温かくて心地良い。そのまま眠りに落ちれば、独りで過ごしていたって、少しも寂しくない。
寂しくない。
寂しい? 僕は、今まで、寂しいと思っていたことなんて、あったっけ?
「ルイーゼ」
今になって、エミールは初めて、自分が「寂しい」ことを自覚した。これまでの人生で、独りを寂しいと思ったことはない。むしろ、誰かと一緒にいるのは怖くて堪らないと思っていた。
それなのに、今の自分は「寂しい」のだと思う。
毎日のように押し掛けて、強引に窓を開けたり、掃除をしたり、挙句の果てには前髪まで切って……そして、外の世界に連れ出した。
エミールの生活をかき乱す少女がいないという事実が寂しくて堪らない。怖いし、煩わしい存在だというのに。
あれから四日もルイーゼの顔を見ていなかった。聞けば、風邪をこじらせて療養中だという。先日、エミールを守ったときに怪我でもしてしまったのかもしれない。
部屋の外に出るからだ。外は危険なのに。
だから、自分は悪くない。
そんな思考に至ろうとしていることに気づいて、エミールは首を横に振った。ああ、違う違う。そうじゃない。
あんな女の子に守られて、僕はなにをしていたんだ?
震えあがるばかりで、なにもしなかった。執事のように走って人を呼ぶことさえ出来なかった。ルイーゼが危なくても、指一本動かせなかった。
ただ、じっと見ていただけ。
ルイーゼは、あのとき笑っていた。
目を閉じる直前の一瞬、エミールを見て微笑んでいたと思う。どうして、あんな表情をしていたのか、エミールにはわからなかった。あんなに怖い目に遭っていたのに、何故、彼女は笑ったのだろう?
この際、ルイーゼが令嬢にはあるまじき動きをしていたことは措く。彼女が規格外なのは、今までにも証明されている。
いや、もしかすると、外は危ないので、令嬢でもあのくらい戦えないと生きていけないのだろうか。そう言えば、以前に教育係をしていたアンティープ夫人は、ハンティングもたしなむと言っていた。
貴婦人も武人のように鍛えるのが常識……だったりしないよね? そうだったら、やっぱり、外怖すぎる! 無理だ!
引き籠り生活が長すぎて、なにが常識なのか、よくわからない。
「う……」
エミールは落ち着かなくなり、むくりとベッドから起き上がる。そして、おもむろに書き物机へと向かった。
なにを書けばいいのかわからないが、ルイーゼに手紙をしたためることにした。
とにかく、なにかを伝えたかった。
まじないグッズが片づけられてしまった部屋は広すぎて、なんだか落ち着かないこと。話し相手がいないと、寂しいと感じてしまっていること。あれから、一度だけ窓を開けてみたということ。
外はやはり怖かったということ。けれども、――、
けれども、また、ルイーゼと一緒に歩いてみたいということ。
外は怖い。もう二度と、あんな危ない目にも遭いたくない。
だが、ルイーゼの教えてくれた外の世界に、強く惹かれている自分がいる。いつか、もっと広い景色を見たいと望む自分がいた。
――そんな世界に生きていらっしゃるのに、ご自分の部屋にこもられてばかりでは、勿体ないとは思いませんか?
「よし」
エミールは今の気持ちを書き散らかした手紙を折り畳み、勢いよく立ちあがった。なんだか、いつもより力が湧いてくる気がする。
これを、外にいる者に預けよう。
先日、謎の襲撃があって以来、近衛騎士がいつも部屋の外に立ってくれているのだ。実行犯は捕えたらしいが、主犯については口を割らないと、父の侍従が教えてくれた。
話しかけやすい人なら、いいなぁ。そんなことを思いながら、エミールは、そっと、部屋の扉を開けた。
「む? 殿下、どうかしましたかな?」
ほんの少しだけ扉を開けると、外に大柄の男が立っていた。
純白の制服の胸に、飛び立つ天馬の刺繍が光っている。よく鍛えられた肉体は、服の上からでもよくわかった。短く刈った赤毛や、若草色の瞳は柔らかな色彩に見えるが、放つ空気は歴戦の勇士のそれだ。「豪傑」が人の形をして歩いている、そんな人物。
王族の守護騎士≪天馬の剣≫の任を与えられた英雄騎士エリック・ド・カゾーランがそこに立っていた。
思わぬ人物に出くわしてしまい、エミールは「ひぃっ」と喉を鳴らす。そして、そのままドアノブを引いて扉を閉める。
「む、殿下。何用ですかな? どうぞ、このカゾーランにお申し付けください」
カゾーランは太い声で言いつつ、エミールが扉を閉めるのを阻止した。
「な、ななななんでもないですッ! ご、ごめんなさいっ!」
「左様にございますか? しかし……殿下、大きくなられましたな! 久々にお目にかかれて、カゾーランは感激致しておりますぞ!」
なんでもないと言ったはずなのに、カゾーランは一人で盛り上がって、扉をこじ開けてしまった。若草色の瞳をキラキラと輝かせ、目尻には涙まで浮かんでいる。
「おや、殿下。なにをお持ちですかな?」
「え、え、ええべ、べ、別に!?」
エミールは握っていた手紙を後ろへ隠す。
だが、カゾーランは「むむむぅ」と唸ってエミールを凝視しはじめてしまう。
ついにエミールは観念して、手紙をカゾーランに押し付けた。
「あ、あの……手紙を、書いたんだ……ルイーゼに、いや、その、シャリエ公爵の屋敷に、届けて、くれない?」
手がガクガクと震えてしまう。緊張で力が入りすぎているせいか、先ほど書いたばかりの手紙はグシャリと折れ曲がり、手汗でインクも若干滲んでいる。
「ふむ、恋文ですかな?」
「こ、こいぶ、恋文!? ち、ちひ、ちちちぃがうよっ!」
「おおおお、殿下。内に秘めた想いを告白なさるのですね。さぞ、勇気のいることでしょう。カゾーラン、感激致しましたぞ!」
「だ、だから、ちが、ちがうっ!」
よくわからないが、カゾーランの涙腺に訴えるものがあったらしい。
エミールが否定する言葉も聞かず、カゾーランは滂沱の涙を流しはじめる。あまりに豪快な男泣きに、エミールは顔を引き攣らせた。
「と、とにかく、シャリエ公の令嬢に、渡し――きゃっ!?」
話している途中に、身体がフワリと浮き上がる。エミールは思わず声を裏返して、婦人のような声を上げてしまう。
「結構ですぞ、殿下。しかし、男児たるもの、言いたいことは直接伝えるもの! すぐに、シャリエ公のお屋敷へ参りましょう。なに、ご安心ください。このカゾーランがお供致しますゆえ!」
「え、え、ええええ!?」
鋼のように硬い筋肉に担がれて、エミールは甲高い悲鳴を上げた。必死に抵抗を試みるが、エミールを抱える筋肉は少しも揺るがない。
「行きますぞ、殿下。しっかり捕まってくだされ!」
「むしろ、逃がして!? ちょ、放してってば!?」
エミールの言葉など聞かずに、カゾーランはそのまま王宮の回廊をひた走ってしまう。
「やっぱり、外なんて怖くてイヤだぁぁぁあああっ!!」
こうして、引き籠り姫は初めて王宮の外に出るのであった。
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