第13話
咲き乱れる
ルイーゼはエミールと向かい合って座り、白磁のティーカップに唇をつけた。優雅に見えるよう、動作で自らを引き立てていく。
その様を見て、エミールがボーッとした表情を浮かべているのに気がついた。
あら、わたくしに見惚れているのかしら? 無理もありませんわ。これでも、なかなかの美貌を持って生まれたと自負しておりますから。
「ねえ、ルイーゼ」
「なんでしょう、殿下」
「あの、さ……その……」
エミールは少し恥ずかしそうにしながら、もじもじと俯いてしまった。
十九の男なら、もっとキリッと出来ないものかと思うが、許すことにする。それを調教、いや、教育していくのがルイーゼの役目だ。
ルイーゼはエミールの言葉を待ち、ティーカップをソーサーに戻した。陶器をテーブルに置くときは、小指をクッション代わりにすると、音を立てずに済む。これも、貴婦人になるためのたしなみだ。
「ルイーゼ、その。殿下って、言うの……やめてくれない?」
「え? はあ……では、エミール様とお呼びすることにしましょう」
「いや、そうじゃなくて。その、一回でいいから……ごめん、やっぱり、いいや」
なんでしょう、この反応。はっ! まさか!? ルイーゼの中に一つの可能性が浮かんでしまう。
エミールはルイーゼに恋愛感情を抱いているのではないか。それで、こんなにもじもじしたり、おかしな挙動をしているのではないか。いや、元からおかしな言動をしていたが。
まさか? そんな? でも、こうなってしまえば、将来は王妃様コースですわね。そして、王となった殿下を操って、好きなように政治を……いえいえ、野心は抱いてはいけません。野心はダメ、絶対!
「なんでも、おっしゃってください。エミール様は頑張ってここまで来たのですから、少しくらいはワガママお聞きしますよ。部屋へ帰る以外は!」
優しく促すと、エミールはサファイアの瞳でチラチラとルイーゼを見る。そして、意を決したように口を開いた。
「ルイーゼは……母上に似てる、気がする……だから、その。ちょっとでいいから……一回でいいから、エミールって呼んで欲しい」
「え?」
なんだか、アッサリと恋愛感情説を否定されて、ルイーゼは脱力する。だが、同時に不可解を覚えてしまう。
エミールの言う「母上」とは、十五年前に亡くなったセシリア王妃のことだ。
彼が四歳のときに亡くなった実の母。
その存在に焦がれることは、そう悪いことでもない。マザコンのような気もするが、彼の境遇を考えれば、不思議でもなかった。
問題は、そこではない。
わたくしと王妃様が似ている?
まさか。そんなはずは……前世の記憶を引っ張り出してみるが、自分ではよくわからない。
全く意識したことがなかった。驚くほど自覚がなくて、ルイーゼは寝耳に水の状態であった。
「わたくし、そんなに王妃様に似ているのですか?」
「そう言われると、自信ないけど……雰囲気とか? 仕草が、なんとなく……小さい頃の話だから、全然覚えていないけど」
駄目だ。全く身に覚えがない。
無意識に真似ていたと言うことだろうか。少なくとも、ルイーゼは意識してセシリア王妃を真似ようと思ったことは一度もない。
セシリア王妃は現国王アンリ三世を支えた才女として、今も国民に語られている。十七歳の若さで即位してしまった王のために献身した、淑女の鑑だ。既にフランセールの歴史書には、彼女の名前が載っている。
十五年前に、首狩り騎士クロード・オーバンによって殺害され――ルイーゼは他人事のように思考していたが、違和感を覚える。
あら? そういえば、前世のわたくし――。
「……これは……殺気!?」
だが、刹那、ルイーゼは只ならぬ気配を察知する。
考える間もなく、身体が動いていた。
ちゃぶ台返しならぬ、テーブル返し。ルイーゼは力一杯に丸テーブルを横倒しにしていた。
ちょうどジャンが紅茶を注ごうとしており、浮き上がったティーカップが顔に直撃。「よろしゅうございますッ!」という言葉と共に、仰け反った。
ルイーゼは執事のことなど放置して、怯えているエミールの手を掴んで引き寄せる。
半瞬遅れて、木製のテーブルに三本の投擲用ナイフが刺さった。テーブルを盾にしなければ、当たっていたかもしれない。危ない。ナイフが刺さって死ぬフラグだったか。
「な、なに!? ルイーゼ、これ、なにがあったの!?」
「お黙りください、エミール様。しばしお待ちを、わたくしがお守り致しますわ」
「え? え? えええええ?」
言いながら、ルイーゼは馬用の鞭を構える。武器になりそうなものは、これしかない。こんなことなら、エミールが用意した謎の槍も持ってくればよかった。
襲撃の意図はわからないが、恐らく、エミールを狙っていたのだろう。
昔は日常的に国王の命が狙われていたが、最近の王宮は至極平和だったので、油断していた。
「ジャン、わたくしが合図したら、走って助けを呼んできてください」
「お嬢さまを置いてなど……」
「行かなければ、お仕置きしますわよ」
「そのようなこと、出来ません!」
「……言うことを聞いたら、亀甲縛りで庭の木に一晩中吊るして差し上げますわ」
「よろしゅうございます。このジャン、お嬢さまの忠実なる僕(しもべ)にございます」
いろいろ突っ込みたいが、この場はこれでよしとする。
エミールが蒼い顔で怯えながらも、「きっこーしばり? それ楽しいの?」と首を傾げているが、無視だ。無視。少しは大人の世界を知ってもいい年頃だろう。
相手は二人、か。
「ジャン、お行きなさい!」
ルイーゼはテーブルの向こうの気配を感じ取り、静かに命じた。
ジャンは素直に走って、その場を後にする。
同時に、ルイーゼも地を蹴った。
先ほどまで座っていた椅子を踏み台に飛びあがり、遠心力と反動を使って自らの身体を素早く回転させる。
「セイヤァァァアアアッ!」
ついつい剣道の癖で気合いが奇声となって発せられてしまう。
ジャンを狙おうとナイフを構えていた男の顔を、ルイーゼの鞭が横薙ぎに殴打した。
「ぐ、がっ……!」
眼への直撃を受けて、ナイフを投擲しようとした男が顔を仰け反らせる。ルイーゼは地面へ着地すると共に、男の脛を蹴り、バランスも崩しておいた。
まずは、一人。
あと一人。
ルイーゼは前世で培った感覚を頼りに、自分の身体を操った。
しかし、ものの数秒動いただけだと言うのに、もう息が上がっている。緊張を高め過ぎた筋肉も、わずかに震えはじめていた。
「普通の令嬢じゃなかったのか!?」
もう一人の刺客が予想外だと声を上げている。
ルイーゼは意に介さず、鞭を両手で握り直す。
自然と、前世の癖で正眼の構えをとっていた。攻防に優れた剣道の基本的な構えである。
最初の前世では剣道の全国大会で優勝経験のあるスポーツ少女だったのだ。この基本が活かされて、海賊になったときも、騎士になったときも役立てることが出来た。
男は長剣を鞘から抜き、容赦なく構えた。
「ヤァァァァアアアッ!」
振り降ろされる剣を避け、ルイーゼは一瞬で前に踏み込む。間合いを詰めつつ、鞭の一撃を放った。
革の鞭が吸い込まれるように、男の胴を捕える。
ルイーゼの攻撃は見事に直撃した。
だが、男は苦悶の表情を浮かべつつ、攻撃を耐える。そして、そのままルイーゼの華奢な身体に蹴りを入れた。
「あ、あッ……!」
駄目だ。
鞭の一撃を体幹に叩き込んだ程度では、ダメージが足りなかったのだ。
鞭は苦痛を与えるには適しているが、棒などと違って骨を折ったり、打撃を与えられるわけではない。刃もついていない。ある程度鍛えていたら、一撃耐えて攻撃に転じることなど容易いのだ。
いくら勘でそれなりに身体が動くからと言っても、ルイーゼの身体は小さくて脆い。鍛えられた男の感覚で戦っても負けは見えている。
蹴られたダメージで身体が悲鳴を上げ、立ち上がることさえ出来なかった。激しく咳込むと、胃液と一緒に口の中に紅茶が戻ってきた。
剣が振り上げられ、銀が煌めくのが見える。
ああ、これから、わたくしは刺されて死ぬのですわ。
不思議と冷静に事態を受け止めていた。もう七回も経験した光景だ。そろそろ慣れた。
どうせ、死ぬのだったら、もっと自由に生きた方が良かったかしら?
所詮、七回も悪党落ちして死んだ魂だ。性根が腐っているのだろう。少し改心してバッドエンドを回避しようとしたところで、無駄だったのかもしれない。
次の人生は、どうしようかしら。
そんなことを考えている間にも、ルイーゼの瞼は重くなっていく。打撲の衝撃で、もう意識を保つのが限界だった。
「ルイーゼ……」
か細い声に呼ばれて視線を向けると、エミールが泣きそうな顔になっていた。彼は震える身体を縮こまらせて、何度もルイーゼの名を呼んでいる。
まったく、男のくせに軟弱な王子ですこと。
ルイーゼはそんなことを思いながら、静かに目を閉じる。
「ぬんっ!」
薙ぐ風を感じる。刃が風を斬る音だ。
しかし、どこにも痛みを感じない。それとも、もう魂が抜けてしまったあとなのだろうか。
「大丈夫ですかな、ご令嬢」
低い声に誘われるように、ルイーゼはゆっくりと、再び瞼を開ける。
眩しい陽射しを受ける銀の槍が眼に刺さった。
刺客の男が呻きを上げている。刃のついていない石突を鳩尾に喰らい、崩れ落ちていく。
「な……なに?」
ルイーゼは動かない身体で、小さく問う。すると、純白の制服を纏った男が、こちらを見下ろした。
若草色の瞳に、柔らかな赤毛。よく鍛えられた筋肉の盛り上がりは、服の上からでもよくわかる。薔薇園で見た肉体美系壮年と同一人物だとわかった。
「ご令嬢、安心なされよ。このエリック・ド・カゾーランが参ったからには、虫一匹逃がしますまい」
男の胸で、飛び立つ天馬の刺繍が輝いている。
はあ……エリック……カゾーラン……。
はあ……ん? エリック? カゾーラン? はあ……はあ?
はあッ!? カゾーランですって!?
ルイーゼは薄れゆく意識の中で、もう一度、その名を確認するように叫んだ。声には出来なかったが、とにかく、心中で叫んだ。
わたくし、この方に見覚えがありませんけど!?
わたくしの知っているカゾーランと、全然顔が違いますけど!?
前世の自分を串刺しにした男の顔を今一度確かめながら、ルイーゼはそのまま意識を手放した。
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