第7話

 年老いた侍従長が息を漏らした。

 王子の新しい教育係となった少女についてだ。


「大丈夫なのでしょうか? いくら適任者がいないと言っても、未婚の令嬢に任せるなど、無謀ではありませんか?」


 不安を訴える侍従長。

 対して、部屋の主であり、フランセールの国王でもある男が優雅な微笑を浮かべた。


「さあな。誰に頼んでも無理なら、もう無理ということなのだろう。だが、聞けば、すでに部屋の掃除にも成功しているそうではないか。そんな教育係など、いままで誰もいなかった。やはり、私の目は正しいな」


 豊かなブルネットの髪に白い肌、細身で若干頼りなさそうに見える長い四肢。

 エミール王子とよく似た容姿、しかし、まったく異なる空気をまとった男性――第十七代フランセール国王アンリ三世は、おもむろに姿勢を崩した。

 齢四十を過ぎた国王。

 しかし、表情は青年のような覇気があり、顔立ちも、十は若く感じられる。

 衰えを知らぬ国王は、まるで、フランセールの発展を象徴するかのような存在だ。国民からの人気も厚く、賢王と慕う者も多い。


「少なくとも、私はシャリエ公の令嬢を気に入っているぞ」

「お言葉ですが、陛下が気に入るかどうかは、あまり関係がないと思うのですが」

「そうかな? とても聡明で美しい娘ではないか。私がもう少し若かったら、後妻にしたいくらいだよ」

「ご冗談を。聡明で美しい? 理由はそちらではないのでしょう?」

「察しがいいな。どう思う?」


 年老いた侍従長は苦笑いを浮かべた。


「……あの令嬢が亡くなられた王妃様にどことなく似ていることは、否定しませんが」


 令嬢ルイーゼは、評判のいい娘だ。

 見目麗しく、聡明だが知識をひけらかさない。男を立てる慎ましやかさも持った才色兼備。

 あと三年もすれば、さらに磨きがかかるだろう。

 その仕草や動作、口調には懐かしい雰囲気がある。十五年前に亡くなった王妃セシリアを思い起こすものがあった。

 まるで、セシリア王妃を模倣しているかのような立ち振る舞いだ。もっとも、ルイーゼは十五歳で、セシリア王妃が亡くなった日に生まれたという話だ。模倣はありえない。


「そうだろう、そうであろう? 雰囲気がセシリアにそっくりではないか? セシリアの生まれ変わりではないのか? そうだ、きっとそうだ。違いあるまい。私がセシリアを間違うはずがないからな! 彼女が死んだ日に生まれた娘なのだろう? エミールも好みだと思うぞ! むしろ、私の好みだ!」

「陛下、威厳が消し飛んでおりますよ。あと、そのような話を不用意にするのは、感心いたしません……お慎みください」

「おっと、すまぬ。セシリアのことを考えると、つい」


 侍従長の指摘で、アンリは緩みまくった顔を引き締めた。

 これでも、アンリは若くして王位に就いて以来、数々の修羅場を経験している。そのたびに、持ち前の政治手腕と外交で乗り切ってきた。

 しかしながら、性格には多少難あり。

 十五年も前に死んだ王妃を溺愛しすぎていて、言動が行き過ぎてしまう。後妻もとらず、男やもめを貫いているため、子供はエミール一人である。

 王妃の忘れ形見を散々甘やかした結果が、「引き籠り姫」誕生に繋がったとも揶揄されていた。今回、ルイーゼを教育係に抜擢したのも、その一環である。

 若々しく、民衆からも人気のある賢王唯一の欠点だった。


「陛下。ひとつ、よろしいでしょうか?」


 侍従長が釘を刺すようにたずねる。


「まさか、その変態じみたお顔でルイーゼ嬢を毎日観察したいがために、適当に殿下の教育係に指名したわけではございませんよね?」

「なにか不都合でもあるか?」

「…………」

「ん? 爺? なぜ、黙っておる?」

「陛下ぁぁぁぁあああっ!」


 侍従長は血管が破裂しそうな大声を出した。悲鳴と言うよりも、泣き声に近い。

 アンリは悪戯っぽく笑うと、両手で耳を覆ってみせた。


「そうだ、よいことを考えたぞ。これから、抜き打ちで我が子の様子を見にいこうではないか。どのような教育が行われているのか、大変に興味がある」

「陛下! またそのようなお戯れを。お待ちください!」

「待たぬ。もう決めたのだ。次の謁見は午後だろう?」

「目を通していただきたい書類があります!」

「もう見たよ。興味深かったが、予算を見直すよう返信しておいてくれ」

「いつの間に……ああ、陛下!」


 アンリは言うが早いか、玉座から軽やかに立ちあがる。年寄りなど放っておいて、そそくさと玉座の間をあとにした。

 セシリアは、まことに美しい王妃だった。

 聡明で麗しく、それでいて、したたかな部分があって、誰にでも好かれる完璧な国母。

 特に喜怒哀楽に揺れるサファイアの瞳が魅力的で、アンリはいつも彼女の表情に見惚れていたものだ。乙女のような可憐さがあるのもいい。

 あんなことさえなければ、いまも自分の隣で支えていてくれただろう。エミールも、部屋に引き籠らなかったはずだ。

 国王アンリ三世は、国民から慕われる賢王かもしれない。だが、父親としては失格だ。自覚はある。エミールがあんな風になるまで、放置していたのは、父であるアンリだ。

 恐ろしかった。

 亡くなった妻の面影を持つ息子と向きあい、現実の世界へ引っ張り出す勇気がなかったのだ。

 もしかすると、アンリ自身、息子を部屋に閉じ込めたいと思っているのかもしれない。セシリアに似た自分の子が、手の届くところにいてくれて安心する自分もいるのだ。

 十五年前に死んだ妻の二の舞になるくらいならば――。


「お嬢さま! よろしゅうございます! よろしゅうございますよ!」

「そんな、ありえませんわ。ありえません! わたくしのブリッ子が通じないなど……アレで落ちない男は、いなくてよ!」

「お嬢さま……ッ!」


 息子の部屋に近づくと、中から意味のわからない会話が聞こえてきた。

 エミールの声はしない。

 間に挟まれるベシィンッとか、バシィンッとかいう音が気になって仕方がなかった。

 アンリは、不審に思いながら部屋を覗く。


「こ、これは……!」


 そこは、エミールの部屋とは思えなかった。

 明るい陽射しがあふれている。不気味な石像や、意味不明な儀式の残骸はどこにも見当たらない。

 その部屋の片隅で、青い顔で失神しているのは、エミールだ。

 だが、さらに異様な光景がそこにはあった。


「おーっほっほっほっ。あら、やだ。意外と愉しいですわ!」

「お嬢さまの気が晴れたようで、ジャンは嬉しゅうございます!」

「まだ許していなくてよ。わたくしのブリッ子が通じないなど、ありえませんわ! どれほどの男を、あれで貢がせてきたか、わかっているのかしら!? この節穴!」


 ベシィンッ! 半裸の男の背に、革の鞭が降ろされる。

 男を足蹴にして高笑いをあげているのは、まぎれもなく、シャリエ公爵令嬢ルイーゼだった。

 意味がわからない衝撃がアンリに奔る。

 息子が気絶する部屋で、なんということだろう!

 これは、なにごとかと必死で己に問いながらも、抑えきれない未知の感情がわいた。

 とりあえず、黙って部屋の扉を閉めておく。


「陛下! お戻りくださいませ。公務の続きをいたしますよ!」


 やがて、年寄りの侍従長がアンリに追いついてくる。彼は息を切らせながら、放心状態のアンリの腕を引いた。


「…………爺よ」

「なんでございましょう、陛下」

「私はエミールが羨ましいぞ」

「……はい?」


 息子の部屋での光景を思い起こしながら、アンリは恍惚の表情を浮かべていた。


 その姿は、まさに変態的ななにかだったと、その日、王を目撃した者は口をそろえて証言したという。



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