第6話

 

 

 

 彼の名前は、エミール。


 通称、「引き籠り姫」。属性は根暗。職業、王子様。スキルは引き籠りで、レベルマックス状態。

 呼び名の通り、部屋に引き籠る根暗で、何故だか外の世界を極度に恐れている。

 これでも、一応はこのフランセール王国第一王位継承者。つまりは、王子様である。

 しかし、お世辞にも十九歳の王子には見えない。「姫」と呼ばれているのも納得の女々しさである。


「はい、殿下。よく出来ましたわ。では、もう一回言ってみましょうか」


 ルイーゼは少しわざとらしい言い回しで、エミールを褒めてみる。すると、エミールはこの世の終わりを見たような表情で、悲鳴を上げはじめた。

 ただ、外は怖くないという文章を音読させているだけなのに。


「も、も、もう一回!?」

「そうですよ。何度も口に出しているうちに、そのうち、外が怖くなくなるかもしれません。一種の暗示ですわ。効果は薄いと思いますが」

「や、やだやだ。無理、むり! 僕、信じてないことなんて何度も言えない!」

「百回を過ぎれば、少しは信じてきますわよ。たぶん」

「ひゃ、ヒャッカイ!?」


 たったあれだけの言葉を口にするだけで、ここまで絶望されては先が思いやられる。ルイーゼは頭を抱えたくなったが、困っていても仕方がない。


 エミールは、ルイーゼの問いに対して、「外には出たい」と答えたのだ。それならば、全力で調教……いや、教育しなければならない。


 今のところ、かなり手ぬるい方法しか使っていない。

 先ほど、枕を投げられたときは少々驚いたが、叩き潰してやった。掃除が大変かもしれないが、まあ、いい。


 そんなことよりも、現世では全く身体を鍛えていない。あの程度の動き一つで、軽い筋肉痛になりそうな気がして困った。普通に避ければよかったと、後悔している。

 直近二回の前世が普通に脳筋だったせいか、現世でも反射的に動いてしまうことがあるのだ。

 だが、所詮はか弱い令嬢の身体。少し動いただけで、翌日動けないほどの筋肉痛に見舞われることがある。


 正直な話、自信はない。

 要するに根性を叩き直せばいいのだが、教育係を任されるなど初めてだし、相手は思った以上の妄想癖を持った強敵ときた。ほんの短い三カ条を言わせるだけで、この有様だ。

 断るという選択肢もあったし、逃げ出しても良かった。何人もの貴婦人を潰した王子だ。逃げても誰も咎めないだろう。


 この王子を見ていると、女々しすぎて虫唾が走る。

 海賊だった前世の血が騒いで「ブッた斬れ」と言っている気がした。いじめっ子だった最初の前世で出会っていたら、確実に不登校になるまでいじめ抜いただろう。


 ――冷たいのですね。少しは、わたくしのワガママも聞いてくださらない?

 ――もしも、この子が男の子だったら、是非、あなたに……――。


 余計な記憶がズルズル引っ張り出されてきて、ルイーゼは一人で首を横に振った。

 今は関係ありません。その記憶は関係ありません。あー、ベテラン転生者って、面倒くさいですわ。

 思考を切り替えるが、憂鬱は晴れない。


「早く言わないと、カーテン開けますわよ?」


 ルイーゼは悪戯っぽく笑い、おもむろにカーテンを揺らしてみせる。ゆらゆらと伸び縮みする光の中で、エミールが肩を震わせた。

 豊かでしなやかなブルネットの髪は王族の血筋を引く証だろう。歴代の国王は、だいたい同じ髪質だと聞いている。

 ほとんど陽に当たらない生活をしているせいか、肌は陶器のように白く、手足も男のものとは思えないほど細い。何も知らない者が見れば、男装の少女のようにも見えるだろう。


「や、や、やめっ……ルイーゼ、お願いだから、カーテンから手を放して。お、お願いだッ」


 エミールは唇をガタガタと鳴らしながら、一歩ずつ後ろへ退いていく。

 その様が少し面白くて、ルイーゼはつい意地悪心をくすぐられてしまった。


「殿下。外の風は、とっても気持ちがいいですよ」

「ルイーゼ、お願いだから、落ち着いて!」

「いや、殿下が落ち着いてくださいな」


 ルイーゼは冷たい窓に手をかけ、一気に外へ押し出す。

 開け放たれた窓から入り込む柔らかな日射しと、爽やかな風。薄暗くて淀んだ部屋の空気を浄化する大地の恵みを受けて、ルイーゼは大きく深呼吸をした。

 こんなに気持ちの良いものを怖がるなんて、エミールは不幸な少年だと思う。


「殿下?」


 おかしい。予想していたはずの悲鳴が聞こえない。

 ルイーゼは嫌な予感がして、ゆーっくりと部屋の中を顧みる。


 案の定。


 あまりのショックに気を失って倒れているエミールの姿があった。


「はあ……」


 男のくせに、ひ弱いにも限度というものがある。

 引き籠りだからと言って、許されるものでもない。だいたい、どうして、こんな風になるまで国王は彼を放っておいたのだろう。

 全く、腹立たしい。苛立ちが募ってきた。早く屋敷へ帰って、壁でも蹴って発散させたい。いいや、それでは足りない!


「…………」


 視線を感じて、ルイーゼは振り返る。ジャンが心配そうな、それでいて、真剣な表情で部屋の様子を覗き見ていた。


「なんですか?」


 ジャンの視線に気づいてしまい、ルイーゼは苦笑いした。

 すると、ジャンはササッと音もなく部屋の中へ入り、ルイーゼの前に跪く。


「お嬢さま、このジャンにお任せください」


 ジャンは自信満々に言うと、懐からなにかを取り出す。

 それが馬用の短い鞭だと気づいて、ルイーゼは流石に辟易した。


「いや、どんな手段を使ってでも、と言いましたけれど! 王子を鞭打つつもりは、ございませんわよ!? 流石に、王族虐待して刺されてエンドルートは嫌ですわ!」

「刺されるとか、エンドルートとか、なんのことを仰っているのか、このジャンにはわかりかねますが……違いますよ、お嬢さま」


 取り乱すルイーゼに対して、ジャンがスッと身を乗り出す。

 そして、あろうことか、自分の服を脱ぎはじめてしまう。

 執事にしては、よく鍛えられた滑らかな肌が晒されて、ルイーゼは思わず口を両手で覆った。


 なんということだろう。


「……見事な僧帽筋ですこと。上腕も、なかなか。良い剣士になれそう……ではなくて、どうして、そこで脱ぐのですかっ!」


 エミールが失神しているので良いが、いきなり主の前で服を脱ぐ従者など見たことがない。前世で読んだ小説や漫画の類でも、なかなか見ない展開である。


「このジャンを痛めつけてくださいませ! それで、お嬢さまの気が晴れるのでしたら、いくらでも、この身を捧げます!」


 ジャンは気迫たっぷりの声で言うと、ルイーゼに鞭を握るよう迫った。


 確かに、ルイーゼはストレス発散に部屋でこっそり人形を殴っている。

 エミールの教育係に任命された日から頻度が増しているのも確かだ。ついに昨日、愛用の人形が壊れてしまったのも事実。


「だからと言って、人間で代用など致しませんからっ! そのようなことをしてしまったら、わたくしの、ほのぼの日常系ハッピーエンドプランが崩れてしまいます! 悪の道には染まりません!」

「主が従者に折檻など、珍しくもございません! 悪の道? いいえ、むしろ、健全にございましょう! よろしゅうございますよ!」

「どこがです!?」


 ルイーゼは迫りくる執事をかわすように、一歩二歩後ろへ下がる。

 動きに合わせて、持たされていた鞭の先がピロンピロンとしなるように跳ねた。

 あら、やだ。この革の重量感は丁度いいですわね。馬になど、現世では乗ったことがないので忘れていましたけれど、確かに、思いっきり振ると気持ちが良さそうですわ……いやいや、わたくしはなにを考えているのでしょう!?

 ルイーゼは誘惑のような思考を遠ざけた。


「もうっ、ジャンったら~。わたくし、こんなもの怖くて持てな~い。いやん。キャピッ」


 いつものようにブリッ子で誤魔化しながら、ルイーゼは身体をぷりぷりと横に振ってみせた。今日は、「キャピッ」も口に出して大奮発だ。

 だが、その様をジャンが冷ややかな視線で見上げる。


「お嬢さま……いつ言おうかと思っておりましたが、その猫かぶりは似合っておりませんよ」


「え」


 似合って……ない? え? え?


 似合っていない、ですって?


 ルイーゼは執事の率直な言葉に固まったまま、動くことが出来なかった。

 

 

 

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