第3話




「お嬢さま」

「な、なぁに? ジャン。また怖い顔をしているとでも、言いたいのかしら?」


 ルイーゼは甘ったるい声を出しながら、頬を両手で覆ってみせた。瞳もうるうるのキャピキャピだ。

 二番目の前世で培ったブリッ子術である。

 男に転生している間は使う機会がなかったが、今世は美貌を持って生まれて、本当によかった。うっかり粗相をしても、たいてい、これで誤魔化せるのだ。


「いえ……不安そうにされていると思ったのですが、案外、普通でしたので。よろしゅうございます」

「普通の顔まで指摘しなくて、よろしくてよ」

「はい。ですが……エミール殿下はかなりのくせ者とうかがっております。もしも」


 ジャンは改まって、胸に手を当てた。


「もしも、ストレスがたまるようでしたら、このジャンをお使いください」

「は、はあ……」


 意味がわからない。


「お嬢さまがストレス発散に、部屋で人形をお殴りになっているのを、このジャンがよく存じておりま――」

「ジャンったら、なにを言っているのかしらぁ! お人形を? 殴る? わたくしが? そんな野蛮な行為、したことがありませんわぁ。まあ、こわ~い」


 見られていましたのね!

 七番目の前世、騎士であったころの習慣で、ストレスがたまると、物に当たってしまうのだ。当時は憂さ晴らしに戦地で好きなだけ生首を狩りまくっていたのだが……今世では、かなわない。代わりに、人形を殴って発散しているのだ。とても健全で平和的な解決方法だと自負している。


「それにしても、なぜ、わたくしが……」


 どうして、ルイーゼが「引き籠り姫」ことエミール王子の教育係になったのだろう。自分でも、よくわからなかった。

 たしかに、ルイーゼは品行方正な令嬢として知られている。そうなるように、完璧に立ち振る舞っているからだ。

 だが、まだ十五歳で、結婚もしていない。社交界で目立ちはじめたのも、ごく最近である。

 エミールは十九歳で、年上でもあるのだ。

 どう考えても、相応しいとは思えなかった。

 聞くところによると、国王アンリ三世が直々にルイーゼを見初めて、息子の教育係に抜擢したらしい。理由は不明。

 先ほど謁見した国王は「大丈夫だ、きっとエミールも気に入るだろうよ」とかなんとか言っていたが、どうだか。

 これまでに、十人もの貴婦人がさじを投げた王子の相手など、できる気がしない。もう適任者がいなくなって、国王も自棄になっているのだろう。

 とりあえず、ほかの貴婦人たちにならって、ルイーゼも適当な頃合いで役目を降りよう。

 そんな決意をした。


 それに――できれば、もう王族とはかかわりたくない。


 こうして、王宮にいるだけでも、古傷を抉られるのだ。エントランスには、目立つように、国王夫妻の肖像画が飾られている。

 ルイーゼの中で蓄積される前世の記憶という引き出しが開く。

 普通に生活していて、前世の細かい記憶を思い出す機会は少ない。

 思想に絡んでいたり、叩きこむようにくり返した学習や鍛錬の内容はよく覚えているが、そのほかは日常に大きくかかわらない。

 前世の記憶は映画を眺めるようなものだ。

 他人の人生を傍観者として再生している。

 人格や生き方もそれぞれ違う人間だ。

 だが、やはりきっかけがあると、細部まで思い出す。残念なことに、それは、いまのルイーゼにとって、まったく喜ばしくない。

 

 ――わたくしは、あなたの手と剣を愛していますよ。


 ここにいると、喜ばしくない記憶ばかり、よみがえるのだ。

 エントランスから、外のバルコニーへ続く扉が見える。ルイーゼは、宴の際はこの場所が会場になることを思い出した。

 そこで自分がどう過ごしていたかも。

 こういうことを思い出してしまうのは、よくない。とても、よくないのだ。

 そんなことを、悶々と考えながら、案内人を待っていた。


「こちらが、エミール殿下のお部屋でございます」

「ありがとうございます」


 案内された部屋の前に立ち、ルイーゼは深呼吸した。ジャンは、部屋の外に待たせる。

 まずは、あいさつ。


「失礼いたします、殿下。今日からお仕えする、ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエと申します」


 軽くノックをして、扉の向こうの反応をうかがう。

 王宮の者の話では、勝手に開けるとエミール王子は怯えて、部屋の隅に隠れてしまうらしい。

 軟弱者のクズである。

 おっと、口を滑らせては困る思考はしないほうがいいですわ。うっかり漏れたら、大変。と、ルイーゼは頭をブンブン横にふった。


「…………殿下、いらっしゃいますか?」


 いつまで経っても返事がないので、ルイーゼは痺れを切らせてもう一度、声をかける。


「………………」


 返事はない。ただの屍のようだ。

 しかし、やがて、ドアノブがカチャリと回る。が、ほどなくして、ノブは回転をやめてしまった。

 いや、違う。

 ガチャガチャと、小刻みに震えて回しては戻し、戻しては回しをくり返しているのだ。つられるように、扉もガタガタと揺れている。

 ポルターガイストですか。夜中に見たら、ホラーですね。

 ルイーゼは少し冷めた気持ちで、その現象を見守った。

 しばらくすると、扉がゆっくり、ゆーっくりと開く。

 薄暗い部屋から現れたのは、波打つブルネットの髪に、白くて不健康そうな肌。前髪が長くて面立ちは、よく見えないが、先ほど謁見した国王の特徴を受け継ぐ人物だということがわかった。

 部屋の主――エミールは怯えた猫のようにルイーゼを凝視していた。

 動物をいじめている気分になる。まだなにもしていないのに。


「今日から殿下のお相手をさせていただきます、ルイーゼと申します」


 野良猫に餌をやるように、ルイーゼはできるだけ優しく語りかけてみる。

 だが。

 エミールは怯えた表情で、白い頬に大粒の涙をボロりとこぼしてしまった。


「え、で、殿下?」


 ルイーゼには、なにが起こったのかわからない。

 念のために、扉の横でひかえるジャンを見るが、「大丈夫です、穏やかな顔です。よろしゅうございますよ、お嬢さま」と小声で言ってくれた。別に、ルイーゼから殺気が漏れていたわけではないらしい。よかった。


「……きれい……」

「え?」


 一言つぶやいて、エミールは扉を閉めようとする。

 ルイーゼは反射的に、それを阻止した。


「殿下、どうかしましたか!」

「い、や、イヤ。無理ムリむり! こんな、キラキラした人が目の前にいたら、溶けちゃうよ! ま、まぶしいから……近づかないで……や、やめ、やややめて!」

「はあっ!?」


 いきなり、猛烈な勢いで拒絶されて、ルイーゼは混乱する。とりあえず、意味不明な言いがかりをつけられていることだけは、わかった。


「エミール殿下、どうしたのですか。落ち着いてくださいませ!」

「きゃあっ、来ないで!」


 きゃあっ?

 あれれ~? おかしいぞ~? エミール殿下ってぇ、男性だった、はずぅ。たしかに、王子様の……はず。はーずーでーすーわーよーねー?

 ルイーゼは、そんな基本情報を頭の中で再確認していた。




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