第2話




 窓を開けるときは、慎重に、ゆっくりと。

 なにが起こってもいいように、万全の備えをしないと。


 もしかすると、悪戯な妖精たちが足元を走るかもしれないし、壁から闇の生き物が襲ってくるかもしれない。

 ひょっとしたら、暴れ牛の群れが乗り込んでくるかもしれない。窓の外で待ち伏せていた竜が火を噴く可能性だってある。

 夜な夜な首を狩っては生き血を啜る『首狩り騎士』の亡霊が襲ってきてもおかしくはない!

 日光にも気をつけないと。聞いたところによると、長い間、陽に当たると、肌が黒く焼け焦げてしまうらしい。

 とにかく、なにがあっても大丈夫なように、万全の対策が必要なのだ。


 外は恐ろしい。


 なぜ、みんな平気で出歩くことができるのだろう。


 そう思いながら、薄暗い部屋の主――エミールは、ほんのちょっぴり窓枠を押した。

 太陽のまぶしさを我慢しながら、恐る恐る、窓の外を覗き見る。

 わずかに流れ込んだ清涼な風が、エミールの野暮ったいブルネットの髪を揺らして通りすぎていく。

 白い肌を、一筋の光が照らした。

 サファイアのような瞳で、外の景色をとらえる。

 見慣れた王宮の景色。ときどき覗き見るに留まる景色。

 庭の向こうには門と、王都が見える。

 蹄の音がして、エミールは視線を落とした。


「あ……」


 馬車の人物が、ちょうど降りるところだった。そして、ふとエミールの部屋を見あげていた。

 おそらく、偶然だ。

 だが、エミールには、その偶然が恐ろしく感じられて、とっさに窓をバタバタッと閉めてしまった。

 あわただしくベッドに逃げ込む。

 引き籠り姫。

 みんな、エミールのことを、こう呼んでいる。

 極度の人見知りと、外界恐怖症のせいか、エミールはほとんど自室から出ず、人前にも姿を現さない。

 外が怖い。ただそれだけ。

 過去――幼いころ、目にした光景がトラウマとなり頭から離れない。

 ほんの少しの気まぐれで外を覗いても、人と目があっただけで逃げてしまう臆病な自分。

 エミールは、先ほど目があった人物を思い出し、顔を枕に沈める。

 どこかの令嬢だと思う。

 深い海のように蒼い瞳が印象的であった。まるで、光を受けて揺れる波間のよう。かなり落ち着いており、王宮を前にしても少しも臆する様子はなかった。

 思わず、溜め息が出た。

 陰鬱で引き籠りのエミールとは正反対。

 できればこうあってほしいと、周囲がエミールに望む姿だ。エミールよりも幼そうに見えたのに、令嬢はとても立派だった。


「あんな風に……」


 あんな風になれたら――もしも、あんな風になれたら、「引き籠り姫」とは言われなくなるだろうか?

 ほんの一瞬だけ、頭をよぎった願望。

 しかし、それは無理だ。

 ずっとずっと、無理だったじゃないか。

 まぶしすぎる陽射しを背に立ち、笑っていた「悪魔」の姿が、いまでも目に浮かぶ。


「せめて、みんな王子って呼んでくれないかなぁ……」


 高望みせず、本当に小さな願望を口にしながら、引き籠り姫――エミール・アルフォンス・ド・フランセール王子は深い深い溜め息を吐いた。



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