奥様の犠牲フライ(KAC20218)

つとむュー

奥様の犠牲フライ

 妻が作る今日の夕食は、俺の大好きなエビフライだった。

 二人で一緒にテーブルについて、「いただきます」と両手を胸の前で合わせる。

 最初にいただくのは、もちろんエビフライだ。

 尻尾を箸で持ち上げ、大きく開けた口の中にダイビング!

 カリカリの衣にプリッとしたエビの食感が口の中に広がった。

「旨い! 最高だよ、これ」

 と最高の賛辞を送ってみたのだが、妻はちょっぴり不満顔。


「ねえ、野球に犠牲バントってあるじゃない。それって何で犠牲バントって言うか知ってる?」


 俺の無邪気な表情が気に入らなかったのだろうか?

 妻の口から愚痴がこぼれ落ちる。

 せっかく美味しいものを食べてるんだから禅問答はやめて欲しいと思いながら、俺は黙って妻の話を聞く。


「バッターはね、本当はヒットが打ちたいの。でもサインだから仕方なくバントするの。ヒットに憧れるバッターの尊い犠牲の上に成り立っているのが、犠牲バントなのよ」


 言いたいことがなんとなく分かった。

 妻は最初、天ぷらを作ろうと思って食事の準備をしていたのだ。

 それを急に俺がわがままを言って、フライに変えてもらった。きっとそのことを言いたいのだろう。


 すると妻がポンと手を叩く。


「そうだ。犠打は一点というのはどう?」


 一点!?

 うーん、一点か……。


「そうだなぁ……」

「それを了承してくれたら、許してあげるんだけどな」


 急にニコニコしながら俺の表情を伺う妻。

 犠打が一点というのは、食事当番得点制度にとってかなり大きなルール変更だ。


 そのことを語るには、まず我が家の食事当番得点制度について説明する必要があるだろう。



 ◇



 二人目の子供が大学生になって家を出て、急に家計が苦しくなった。

 そりゃ、そうだ。私立大学で自宅外の一人暮らし、それが二人目となればお金はいくらあっても足りることはない。

 ということで、妻も働き始めたのが一年前のことだった。


 共働きということで、夕食は一日置きに交代で作ることになった。

 最新の調理家電も買って、料理が苦手な俺でも美味しく料理できるようになったことも一因だ。

 その時に、野球に準じたルールを決めたのだ。


 美味しかったらシングルヒット。

 すごく美味しかったらツーベースヒット。

 とっても美味しかったらスリーベースヒット。

 めちゃくちゃ美味しかったらホームラン。


 月曜日から土曜日まで、交互に食事を作る。

 すると当番は週に三回やってくる。

 三回ホームランを打つことができれば三点だ。

 が、そこに犠打が加わると、点数計算が複雑になってしまう。


 えっ、その点数で何をするのかって?

 それは日曜日の二人の楽しみに影響する。

 合計点の少ない方が、多い方に奢るのだ。二人で外食に出掛ける時に。



「しょうがないな……、いいよ」


 俺は渋々、犠打一点のルールを受け入れる。

 今日は俺のわがままでフライにしてもらったから、なんとも断りにくい。

 文字通りの犠牲フライの成功に、妻の表情がぱっと明るくなった。


「やった! じゃあ、早速今日から適用ね!」


 妻が作ったエビフライは最高に美味しかった。

 つまり料理はホームランで一点。

 そして犠打の一点が追加されて計二点。


 これが決め手になって、週末の外食は俺が奢ることになった。



 ◇



 翌週。

 月曜日の夕食は、俺の担当だ。

 俺は前日に考えたとっておきの作戦を実行する。


 まずは、夕食のメニューを決める過程について説明しよう。

 夕食のメニューは、食事当番がお昼にラインで提案することになっている。

 それをパートナーが了承すれば、メニュー決定だ。


 この日の俺は、妻が嫌がりそうなメニューを提案した。


『今日の夕食、ラーメンにしようと思うんだけど』


 ――えー、やだ。違うのがいい。

 そんな返事が来るに違いない。

 そしたら「食べたいのになぁ」と言いながら渋々メニューを変える。

 俺は本当にラーメンが食べたいんだから、尊い犠牲を支払うことになる。

 つまり犠打成立。一点獲得だ。


 すると想定外の返事が返ってきた。


『ラーメン? それって夕食じゃないよ。提案し直せ』


 おいおい、それってどういうことだよ。

 犠打さえ認めないってことなのか?


『じゃあ、メニューを変えるけど、犠打成立だよね?』

『バカじゃないの。ラーメンは夕食じゃないって言ってるじゃん。野菜が全然足りてない。バッターボックスにも立ててないよ』


 バッターボックスにもって、言い過ぎじゃね?

 とは言っても、ここで言い争っても埒が明きそうもない。


『じゃあ、うどんにするよ。野菜も沢山入れるから』

『それでよし』


 納得いかないまま、俺は早く帰ってうどんを作る。

 結果はツーベースヒット。犠打は認められなかった。



 ◇



 火曜日。

 今度は妻が夕食を作る番だ。

 昼になるとラインで、衝撃のメニューが送られて来た。


『夕食は長崎ちゃんぽんにするよ』


 な、なんだって!?

 それってラーメンと一緒じゃね?


『昨日、ラーメンはダメだって言ってたよね』

『もちろんラーメンはダメよ、野菜が少ないからね。でも長崎ちゃんぽんならOKよ。野菜たっぷりにするから』


 おいおい、それってずるいよ。

 俺がラーメン食べたいのを知っててそれ言ってるだろ。

 やられた、と思いながら俺は返事をする。


『わかった。長崎ちゃんぽんでよろしく』

『美味しいのを作るから期待しててね!』


 妻が作る長崎ちゃんぽんは美味しかった。

 昨日からずっとラーメンが食べたかったから、結果はホームラン。

 妻の一点先制を許す形になってしまった。



 ◇



 水曜日。

 今度は俺がメニューを提案する番だ。

 俺はもう、ごちゃごちゃと作戦を考えるのをやめた。思惑通りにいかないのが妻だからだ。

 料理は俺が作るんだから、純粋に自分が食べたいものを提案すればいい。

 それでダメ出しされたらラッキー。新ルールの犠打が成立する。


「最近、あまり食べてなくて、今食べたいものってなんだろう……?」


 俺の頭の中に一つのメニューが浮かぶ。

 新型コロナの影響で居酒屋に行くことが減って、食べる機会が減ったそのメニュー。

 そして家ではあまり出されたことがない食べ物が、俺の脳内を占領していた。


『今晩はモツ煮にするよ。大根、人参、玉ねぎも入れるから野菜たっぷりだよ』


 これなら夕食じゃないって言われることはないだろう。

 すると、いきなり不満が返ってきた。


『えー、モツは臭いし、そんな気分じゃない。違うのにして』


 そんな気分じゃないって、ご無体な。

 でも、まあ、お互い様か。

 先週は俺も、天ぷらよりもフライがいいってわがまま言ったもんな。


『じゃあ、豚のスペアリブ煮込みはどう?』

『まあ、それならいいわ』

『ということは、犠打成立だよね?』

『仕方ないわね……』


 やった!

 最新家電で作ったスペアリブ煮込みは美味しくできて、結果はツーベースヒット。

 月曜日のツーベースヒットと合わせて一点、犠打を加えれば計二点だ。

 合計二対一。俺の一点のリードとなった。



 ◇



 木曜日。

 妻は焼き魚とサラダを提案。

 魚は何でも食べれる俺は、即OKした。

 美味しかったから結果はスリーベースヒット。

 それでも合計二対一で、まだ俺がリードしている。


 そして週末の金曜日。

 俺はまたもや居酒屋メニューを提案してみた。


『今晩は牛スジ煮込みにしようと思うんだけど』


 牛スジは西日本ではメジャーな食材だ。

 西日本出身の俺は、時々無性に食べたくなる時がある。

 が、妻の感覚は異なっていた。


『えー、牛スジ? 東日本の人は食べ慣れてないの。だから違うのにして』

 

 仕方がないから俺は別メニューを提案する。


『じゃあ、肉じゃがにするよ。今日も犠打成立だよね』

『仕方ないなぁ、わかったよ……』


 頑張って作った肉じゃがは美味しくできた。

 結果はツーベースヒット。犠打も加わったので合計三点だ。



 週末の土曜日。

 妻はラタトゥユを提案した。

 俺は南仏料理も好きなので即OK。

 美味しかったからスリーベースヒット。

 そして一週間の結果が出た。


 俺:三点+ランナー二塁残塁

 妻:二点+ランナー二塁残塁


 つまり、俺の勝利だ。

 日曜日の夕食は、近所のレストランでイタリア料理をご馳走してもらうことになった。



 ◇



 子供が家にいる時は、二人の生活は子供中心に回っていた。

 妻に食べたいものがあっても、自分を犠牲にして子供が食べたいものを作っていたのだろう。

 犠打、それは尊い犠牲。

 そんな妻のことを、俺はずっと感謝の目で見ていた。


 子供が家を出て、自分が食べたいものをお互いに提案するようになったのが今の状況だ。

 そこで俺はうっすらと感じている。

 犠打が多いのは、もしかして俺の方なんじゃないか――と。


 一年経ってわかったのは、俺が提案するメニューを妻が嫌がることの方が多いということ。

 まあ、それは当たり前なのかもしれない。今まで俺は妻の作った夕食を食べ続けてきたから、彼女が作るものなら何でも食べることができる。

 でも妻は違う。俺が食べたいものを提案されるという経験をあまりしてこなかった。

 今まで気づかなかったが、もしかしたら妻には嫌いな食べ物が沢山あるんじゃないだろうか?

 ずっと知らなかった彼女の好き嫌い。

 結婚して二十年経ってからそのことに気付くなんて、まだまだ未熟というか、人生は日々成長というか。


 そもそも二人とも人間なんだから、どちらかが尊いなんてことはなかったんだ。

 お互い料理を作るようになって分かった食べ物の好き嫌い。

 これからも犠打を放って、どんどん見つけていきたいと俺は思うのだった。




 了

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奥様の犠牲フライ(KAC20218) つとむュー @tsutomyu

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