シーン2 屋上で出会った彼
エレベーターが到着する音が響き、私の回想は終わる。
ドアが開き、人のいないとがわかると、エレベーター横の階段を駆け上がる。
屋上に続く扉の施錠が甘く、無理やり押せば扉が開いてしまうのを、クラスメイトたちが
私は華奢な身体をぶつけ、力いっぱいに押し開けてそのまま屋上に飛び出た。
曇天の空から降り注ぐ雨を全身で受けながら、見慣れた町の、見たことない景色を眺める。思わず見とれてしまいそうになるが、振り切って手摺の向こうに乗り越える。
眼下に広がる街を見下ろせば、道には傘の花が個々に咲いている。場所によっては一つ、二つ三つと並んでいる。知らない人たちの、知らない世界がこの街にはある。
一方の私はひとり。ひとりは、怖い。
あの人に見捨てられたいまだからこそ、何もない空っぽな気持ちを抱える自分が怖いのだ。
だが、それ以上に屋上から見下ろす雨の街は、とても恐ろしかった。
眼下に見えるアスファルトの駐車場が遠い。真っ黒な舗装の中にある水たまりが、あんなに小さくも見える。
私が飛び降りるより前に、街が私を引きずり降ろしてくるのではないかという感覚に襲われるほど。
怖い。足が
「怖いクセに“飛んでみたい”なんて矛盾してるよな?」
突如投げかけられた言葉にビクリと身体を震わせ、私は柵の方に身体を引き戻した。
振り返ると、柵の向こうに男が居た。私より少し年上くらいの、女性のように整った顔立ち。驚きと恐怖で顔を強張らせ、ずぶ濡れで乱れた髪の私に、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「あんた、諦めることが好きなんだな」
見透かしたような台詞を薄笑みに乗せる。
「来ないで!」
目一杯叫んでやる。先ほどの恐怖が薄らぎ初め、無礼な男の態度に腹が立っていた。だが、男は顔色ひとつ変える様子はない。
「あぁ、頼まれたってそっちには行かないよ。そんな怖いところ、普通じゃ行かないからさ」
あっけらかんと言い放つと、観察するようにジロジロと見つめてくる。まるで水族館の魚でも見ているようだ。
しばらく無言が続き、ザアザアと雨が屋上に敷かれた灰色の防水シートを叩く音が耳にこびりつく。痺れを切らしたのは私の方だった。
「止めるの? それとも、ただ飛び降りる瞬間を見たいだけ?」
「俺としてはどっちでもいい。あんたが飛び降りれば、あんたの命が潰える瞬間が見れる。人の死はいつだって楽しいショーだ。あんたが飛び降りなければ、俺はあんたと話が出来る。他人の話は嫌いじゃあない。特にそいつの人生の話は、な。そいつの半生の歴史を知るのは、映画を観てるような楽しみがあるからな」
善人なのだろうか? いや、とてもそうは見えない。
突如現れた男と遥か下のコンクリートタイルを交互に見遣る。もう飛び降りる気はすっかり失せてしまった。だが、ここまで来てしまった手前、どんな顔して引き返せばいいのか分からない。
しばらく真下に広がる景色に吸い込まれるように見つめていた時だ。
「なあ、迷ってるなら止めたらどうだ? 飛び降りるなんて、いつだって出来るだろ? ましてや、今日やらなきゃいけない理由もないんだろ?」
完敗だ。男の言う通りだ。だが、同時に安心もした。これで私は柵の向こうに戻れる。
うなだれるように深く頷き、柵を跨いで男の前に立った。
近くで見た彼の顔は、透き通りそうなほど美しい白い肌に整った顔立ちだった。宝塚とかに出てそうな、女性に受けそうな女性顔。そんな言葉が頭に思い浮かぶほど、彼は人形のように美しい造形だった。
雨を避けるために私たちは階下に続く階段に腰掛け、彼に事の経緯を洗いざらい話した。生い立ちからここに立つまでの私の半生。彼は私のことを理解してくれたように、ずっと黙って聞いてくれた。
ひとしきり話を終えると、彼は頷いて、「なるほどな」と呟いた。
「俺はあんたの力にもなれるし、なれないかもしれない。あんたが望めば、もちろん前者だ」
そんな彼の言葉に高揚した。死ぬことなんてどうでもよくなっていた。
彼との会話に気を良くした私は、去っていく彼を追うことに遅れをとった。慌てて追いかけた頃には、彼の姿はマンションのどこにもいなかった。
せめて連絡先くらいは聞きたかったと悔やんだ。だが、なぜか落ち込めない自分がいた。
なぜなら、“彼とはまた会える”。そう思えてならなかったからだ。
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