第76話 蠢く魔(8)

 背中を強く打ちつけた僕は、その衝撃ですぐに立ち上がることができずにいた。

 体中の骨が折れたのではないかと錯覚するほどの痛みに襲われ、僕は歯を食いしばりなんとか意識を保つ。

 人間などいつでも仕留められるとでも思っているのか、ジェノブはこの隙を突くことはせず、余裕の表情で僕が立ち上がるのを待っていた。 

「ロゼライトさん、大丈夫ですか?!今、治療をします。」

 駆け寄ってきたフローが僕に手をかざし、土の魔法を発動させる。

 土の魔法は、対象者の治癒力を高めることによって体の傷を治す事ができる唯一の加護だ。

 しかし土の魔法による治療はあくまで僕の治癒能力を高めることに過ぎず、代償として僕の体力を凄まじい速度で奪っていく。

「ロゼライトさん、もうすぐです。頑張ってください。」

 フローの声が段々と遠ざかるように聞こえるは、僕の意識が遠のいているからだ。

 これは少しでも油断すると意識を失いかねないな。

「フロー、そのままの姿勢で聞いてほしい。」

 僕はフローの耳に自分の顔を近づけて囁いた。

「ジェノブを倒すためには、僕の王家の秘術よりも強い魔法が必要だ。」

 僕に治癒魔法をかけながら、フローが小さく頷く。

 僕の使う王家の秘術は、土の秘術にしろ火の秘術にしろ、闇の加護に分配される魔力の分だけ力が弱くなってしまっている不完全なものだ。

 そのためジェノブのような上位の魔族に対抗するためには、別の手段が必要だと思えた。

「例えば、フローの合成魔法。」

 本来では相容れない正反対の属性を持つ魔法から、新しい魔法を作り出す魔人特有の魔法。

 イフリートの試練やベヒモスの試練の時に見た合成魔法の威力は、僕の知りうるどの魔法よりも強力に見えた。

 しかし僕の言葉を聞いたフローの表情は硬い。

「自信が・・・ありません。」

「何を言っているんだ?試練のときと同じようにやれば、大丈夫だよ。」

 フローは合成魔法を今までに2回も成功させている。しかも初めて試したのにかかわらずだ。

「試練のときは、イフリートもベヒモスも合成魔法の発動を待ってくれました。ジェノブが発動まで待ってくれるとは思えません。」

 しかし、合成魔法以外に僕たちが生き残る術は無いように思えた。

「フロー、いくら時間がかかってもいい。僕が君を守るから、合成魔法を成功させてほしい。」

「でも、それだとロゼライトさんの負担が・・・。」

 僕はフローを抱きしめて言葉を遮り、耳元で「大丈夫」とだけ囁いて立ち上がった。

「作戦会議は終わりましたか?私もあの方を待たせているので、あまり時間がありません。そろそろ終わりにしますよ。」

 ジェノブの両手が広げて、僕を挑発した。

「剣よ!」

 僕は火と土の精霊の力を極限まで弱めて、闇の魔力を開放した。ポケットの中のホムンクルスの卵が闇の魔力に共鳴するかのように大きく振動する。

「これが僕の最大魔力だ。」

 僕の周りには100本近い本数の剣が出現し、その切っ先をジェノブに向ける。

 テレーズ王女のように、闇の王家の秘術が使えればもっと上手に戦えるのであろうが、僕は闇の魔法をそこまで制御することはできない。

「火と水の精霊達、私に力を貸して!」

 視界の端に、フローが両手に別々の魔法を発現させたのが見えた。

 左手に発現させた火の魔法比べて、右手に発現させた水の魔法は明らかに安定していない。

 やはり、上位精霊の試練を受けていない加護精霊の力を完全に制御するのは、簡単なことではないようだ。

「お願い!今だけでいいから、私の言うことを聞いて!」

 フローが焦れば焦るほど、右手に発現した水魔法が揺らぎを大きくする。

「なんと?!そちらは魔人のお嬢さんでしたか。やはり私は運が良いようですね。賢者と魔人の両方を私の手で葬ることができるのですから。」

 ジェノブが赤く長い舌で、口の周りを舐めずり回した。

「アイツを串刺しにしろ!」

 生理的な嫌悪感に耐えきれず、僕は剣にそう指示してからジェノブの左側から回り込むように一気に間合いを詰める。

 いくら上位の魔族だとしても、これだけの剣に体を貫かれればそれなりのダメージは受けるだろう。

 僕は創造した剣のうちの一本を手に持ち、飛んでくる剣を打ち落としていることに集中しているジェノブの脇腹に深く突き刺した。

 右腕に体を突き刺す不快な感触が伝わってきた。

 ジェノブの動きが一瞬止まり、立て続けに飛来した剣がその体を貫く。

「今だフロー!合成魔法だ!」

 僕は両手に持ち替えた剣にさらに力を込めながら、体ごとジェノブにぶつかりジェノブを壁際まで押し込んだ。

 フローが準備していたのは火と水の合成魔法。ベヒモスの作り出した壁さえも消滅させた魔法だ。

 存在そのものを消し去ることができるこの魔法を食らっては、いくら魔族であってもひとたまりもないはずだ。

 あとはフローの合成魔法の発動に合わせて僕が横に飛び退けば、この戦いは終わる。

 建物の一部ごと消してしまうことになるが、そんなことは知ったことではない。

「面白い作戦でしたが、魔人のお嬢さんはまだまだ力不足のようですね。」

 しかし僕の予想に反して聞こえてきたのは、ジェノブの余裕たっぷりの声だった。

 僕は弾けるようにフローを見た。

「お願い、言うことを聞いて!」

 フローの願いとは裏腹に、右手に発動させている水の魔法は今にも暴走しそうなほど不安定だ。

 心が乱れていては、魔力の制御などできるはずがない。

 ましては左右の手に発動させた魔法を、全く同じ魔力に制御するなど、冷静さを欠いた状態でできるものではなかったのだ。

「あなたも、よそ見している余裕などないのですよ。」

 見る見るうちに大きくなったジェノブの掌が僕の頭を掴み、ギリギリと締め上げた。

 ジェノブの全身を貫いていたはずの剣は、いつの間にか地面に落とされている。

 状況から察すると、ジェノブは傷を負ったフリをしていただけだったのだろう。

 僕はまんまと騙されたわけだ。

「――ぐっ!」

 徐々に頭を締め付ける力が大きくなり、僕は言葉にならない悲鳴を上げた。

「ロゼライトさん!・・・きゃあ!」

 走り寄ってきたフローに対して、ジェノブが左手で衝撃波を飛ばした。

「さっきから言っていますが、私も時間がないのです。じっとしていてもらえますか」

 壁に背中を打ち付けたフローは、気を失ったのか、そのまま地面に崩れ落ち、動かなくなってしまった。

「フロー!」

 今すぐにでもフローに駆け寄って無事を確認したい思いだが、もがけばもがくほど頭部に爪が食い込んでいく。

「くそっ!離せ!」

 せめて指一本でも引き剥がすことがでしたならと思うのだが、僕が両手で力を入れてもジェノブの指はびくともしなかった。

 ジェノブの口角がいやらしく上がった。

 こんなところで、僕は終わってしまうのか?

 そもそも、大した実力もないのに魔族と戦おうなどと思った事自体が間違いだったのだ。

 しかし、最後に一矢報いたいと微かに残った魔力を右手に込めた直後、ジェノブが信じられない物を見たかのように目を見開いた。

「あなた、それは一体なんですか?」

 何のことだ?

 ああダメだ。体に力が入らなくなってきた。

 せめて最後に一発・・・。

「それは何かと聞いてるんだ!さっさと答えろ!」

 苛立ちを隠せないジェノブ。

 今にも気絶しそうな中、僕はジェノブの見ている方を確認しようとして視線を移動した。

「そのポケットから出ているものをしまいなさい!」

 ポケットから・・・出ているもの?

 あぁ、ダメだ。

 眼の前が真っ暗になってきた。

 狭まる視界の中、僕が最後に見たのはジェノブに襲いかかる何かの影だった。


「穿て!」

 遠くでシャルロット王女の声が聞こえた気がした。

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