第68話 フローレンスの苦悩(12)

 一陣の風がシュア渓谷を吹き抜けた。

 砂埃が舞い、僕は咄嗟に目を細め顔を腕で覆った。

 フローの纏うゆったりとしたローブが、風を受けバタバタと音を鳴らすが、フローはそんな事を気にする素振りは見せない。

「話は済んだみてぇだな。」

 どこからともなくトゥラデルが姿を現した。

 どうやら、僕とフローが話している間にベヒモスが襲ってこないように牽制をしていてくれたようだ。

「フロー、強くなりたいっていう気持ちは分かるけど、今は君に何かができるっていう状況じゃない。ここは僕に任せてくれないか?」

 フローと同じように魔法の力のの弱さで苦労した僕には、彼女の気持ちは痛いほどよく分かる。

 しかし、気の持ちようでいきなり強くなるわけではない。

 ここは大人しく下がっていてもらうほうが、良策であると言わざるを得ない。

 相手は上位精霊、これから僕が繰り出す『王家の秘術』でさえ通用するか分からないのだ。

「ロゼライトさん、違うんです。」

 フローが、魔法を発動しようとした僕を右手で制した。

「そもそも、上位精霊の試練は精霊を倒すことが目的なのでしょうか?」

「何を言っているんだ?そんな事、当たり前じゃないか?」

 そこまで言って、僕は自分の言葉に違和感を覚えた。

「気づきましたか?上位精霊は「力を示せ」と言っているだけで、「倒せ」とは言っていない。」

 そこまで言うとフローは右手に火の魔法を、そして左手に水の魔法を発動した。

「合成魔法なら、僕もさっき使ったぞ。」

 魔法を合成することで力を示したことになるのであれば、さっき僕が土と闇の魔法で作った大剣をベヒモスが見たときに認められたはずだ。

「合成魔法とは、2つの魔法を合わせて全く違う魔法を生み出す事。」

 通常であれば打ち消し合うはずの火と水の魔法が、フローの胸のあたりで渦を巻き新たな輝きを見せる。

「相反する2つの力が合わさるとき、魔法は新たな力を得る。」

 徐々に収束した光は、掌ほどの大きさの白球となり、フローの周りに浮遊した。

「それが魔人の真の力です。」

 魔人とは、相反する加護精霊の力を体内に留めることのできる能力を持った人間。

 その能力故の魔法が、合成魔法ということなのか。

 僕が今まで合成魔法だと思って使っていた魔法は、ひとつの魔法を別の魔法で強化しただけだったというわけだ。

 笑っているのであろうか。ベヒモスの顔が不自然に歪んだ。

「制する者よ。その力、我に示せ!」

 ベヒモスがフローを正面に見据えて咆哮を上げた。

「行けー!」

 光球がベヒモスに向かって飛び立つ。

 ベヒモスの目が光ると同時に、ベヒモスの周りに分厚い石の壁が出現し、フローの魔法の行く手を遮る。

 合成魔法がどれほどのものか分からないが、これではベヒモスに力を示す事なく、フローの魔法は遮られてしまうだろう。

 衝突する光球と壁。

 光が、弾けた。

 世界が真っ白になってしまったのではないかと思うほどの強い光を見て一瞬視力を失った僕は、次の瞬間、信じられない光景に目を疑った。

 ベヒモスが作った石の壁が、直径5メートル程の半球状に抉り取られていたのだ。

 まるで空間ごと消滅させたような痕跡。

 もしもこの魔法の使用者の魔力が大きかったらと考え、僕は背筋が寒くなるのを感じた。

「よくぞ会得した。これが究極の破壊魔法だ。」

 ベヒモスの声が頭に響き、周囲に付与されていた重力がもとに戻った。

 地面に倒れることを余儀なくされていた、ソフィアとバッシュ、それにアクアディールが立ち上がる。

 3人とも怪我をしている様子はない。

 ベヒモスが手加減してくれていたということだろう。

「『制する者』、そして『愛されし者』よ。」

 ベヒモスが巨体を揺らしながら、 僕たちの方へと歩いてきた。

「ベヒモスの加護を授ける。これにより、お前たちはノームの力を使いこなすことができるだろう。」

 やった!

 ベヒモスの加護を手に入れたということは、火だけでなく土の魔法も完璧に抑えることができるということだ。

 それは僕は闇の魔法を術士、つまりテレーズ王女と同等に使えるようになり、フローは水と風の魔法を導師と同じように使えるという事を意味する。

「それでは『制する者』、そして『愛されし者』よ。来たるべき日に向けて研鑽を怠ること無きよう。」

 ベヒモスがそう言うと、周囲の空間が歪み、一瞬にしてベヒモスの巨体が渦に飲み込まれるように消えた。

「『来たるべき日』?」

 僕はベヒモスが残した謎の言葉を反芻し、僕はフローと顔を合わせた。

「フローレンス王女!お怪我はありませんか?」

 駆け寄ってきたのはアクアディールだ。

「私の不甲斐なさのため、危ない目に合わせてしまい、申し訳ありません。」

 フローの前で片膝をつき、深々と頭を下げるアクアディール。

「全くだ。危険を察知する力をもうちょっと養ったほうが良いな。」

 フローの横からトゥラデルが余計なことを言う。

「お前には言っていない。大体、分かっていたなら我々に声をかけるとかできなかったのか?!」

 王女の前だというのに、トゥラデルに食って掛かるアクアディール。

 そのうち「やりの餌食にしてやる」とか言いそうな勢いだ。

「はっはっはっ、参ったね。惨敗、惨敗。」

 完膚なきまでにやられたというのに、清々しい表情で歩いてきたのはバッシュだ。

「ちょっとは反省したらどう?もうちょっとで全滅だったのよ?」

「良いじゃないか。誰一人大きな怪我はしなかったんだから。」

 バッシュの話を聞き、ソフィアが大袈裟に溜息をついた。

「トゥラデルとやら、協力に感謝する。」

 近くまで歩いてきたソフィアが、トゥラデルに右手を差し出した。

「別に協力したとは思っていねぇよ。俺はただ嬢ちゃんの依頼をこなしただけだ。」

 握手に応じないトゥラデルの反応を見て、ソフィアが肩を竦めた。

「でも、良かったじゃないですか。ベヒモスの試練、達成ですよ。早く帰ってカーネリアン王に報告しましょう!」

 これからは魔法の力が弱いということでフローが後ろ指さされる事も無くなるし、二人の姉に対するコンプレックスも小さくなるだろう。

 それどころか、合成魔法という魔人唯一の力を手に入れたフローの成長は底が知れない。

「僕も、もっと頑張らなくちゃな。」

 気がついたら、僕とフローの間に大きな実力の差ができてましたなどということの無いように、僕はこれからも変わらず力を付けていかなければならない。

 それと、気になるのはベヒモスの残していった『来たるべき日』という謎の言葉だ。

「ロゼライトさん、どうしました?」

 長く物思いに耽っていたのか、フローが首をかしげて僕の顔を覗き込んできた。

「いや、なんでもないよ。」

 僕はフローの手を取って走った。

 分からない事は考えても仕方がない。

 まずはフローと一緒に自分達のできることを、ひとつひとつ増やしていくことにしよう。

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