第67話 フローレンスの苦悩(11)
空気が重くのしかかってくる。
これは比喩表現ではなく、実際に圧縮された空気が僕の周りにも留まっている為だ。
ベヒモスによって重力が付与された範囲は、ベヒモスを中心に直径100メートルに及ぶであろう。
数メートル先にアクアディールが地面に這いつくばっているが、僕は助けに走ることができない。
これ以上ベヒモスに近づいたら、僕まで重力の手に捉えられてしまうからだ。
「剣よ!」
闇の魔法により創造された剣が僕の前に出現し、ベヒモスの方へと切先を向ける。
少し上方、狙いはベヒモスの左目。
「飛べ!」
唸りを上げながら飛び立つ剣。
しかし次の瞬間、闇の剣も重力の手に捉えられて地面へと落下し、数秒後には黒い霧のようになって姿を消した。
ベヒモスがゆっくりとこちらを見て、様子を伺う。
僕のことは敵としてみなしていないのか、ベヒモスがこちらに攻撃してくる素振りは見せない。
ソフィアやバッシュ、そしてアクアディールがいなければ、僕など恐れるに足らないとでも思っているのか?!
「剣よ、土の魔力を纏え!」
僕は土の魔力を合成させた大剣を創造して、ベヒモスの頭上に発射した。
放物線を描き飛んでいく剣。
ベヒモスの魔力範囲が球状であるならば、ベヒモスの真上、上空50メートル程度の位置で剣は重力の手に捉えられるだろう。
僕の考えが正しければ、ベヒモスによって重力を付与された大剣は、自重を大きくし加速度的に落下、ベヒモスの体に深々と突き刺さるはず。
ベヒモスの視線がつまらなそうに大剣を追う。
獣の脳みそでこの後に起こることを予想できるか?!
狙い通りの場所に剣が到着。次の瞬間、地面に引っ張られるように大剣が加速、ベヒモスの背中に落下を始めた。
よしっ!
自分の考えの通りに事が運んだことを確認した僕は、心の中で拳を握り、高揚感に包まれた。
しかし喜び束の間、僕の考えは浅はかであったことを思い知らされた。
僕の放った大剣はベヒモスの体を避け、地面に深々と刺さってしまったのだ。
「ベヒモスの体周辺には、別の方向に重力が働いているのか?!」
シャルロット王女のような光の魔法であれば、重力の干渉を受けないのかもしれないが、僕の使用できる土と闇の魔法ではベヒモスの体に傷をつける方法が思いつかない。
「こうなったら最後の手段だ。」
僕は全身の細胞ひとつひとつに魔力を込めるイメージを頭に描いた。
体全体が仄かに温かくなり、土の魔力が漲っていくのが分かる。
ベヒモスによって付与された重力の中を『王家の秘術』を用いて突っ切り、直接ベヒモスに斬撃を叩き込んでやる。
そう思い、僕は腰から魔剣を抜くと魔石の魔力開放した。
魔剣に込められた魔力はそれほど多くはない。
ベヒモスの重力付与の中で動ける時間は、それほど長くはないだろう。だから魔剣の魔力も一撃だけもてばいい。
最大出力で魔力を開放した魔剣が大きな炎に包まれた。
「いくぞベヒモス!」
腰を落とし、後ろに引いた右足の親指の付け根に力を込め、大地をしっかりと踏みしめた。
覚悟を決め、魔力を開放・・・。
「ロゼライトさん、待って、ください!」
突撃の寸前に僕の前に飛び出してきたのは、息を切らせたフローだった。
「何やってるんだ、フロー!どいてくれ、危ないじゃないか!」
先程までトゥラデルと一緒に安全な所まで避難していたはず。
かなりの距離を走ってきたのだろう。フローは肩で息をして、発する言葉も途切れ途切れだ。
「いいえ、どきません。」
フローが両手を広げ、僕とベヒモスの間に立ち塞がった。
「分かるだろ?ここは危ないんだ。安全な場所で隠れていてくれ。」
僕が必死に言い聞かせても、フローは頑として言うことをきかない。
仕方がない。ここは力づくでもどかさないと・・・。
「私は足手まといですか?」
僕がフローの肩に手を触れた瞬間、俯いたフローが声を発した。
「お姉様と違って、私の魔法の力はとても弱い」
「だから、今はそんな話をしている暇は!」
わからず屋と言わんばかりに、僕はフローの体を押し退けた。
「私だって、みんなの役に立ちたいんです!」
いつも温厚なフローの声とは思えないほど大きな声に、僕の体は一瞬硬直した。
「何言ってるんだ。テレーズ王女やシャルロット王女に負けないぐらい、フローだって頑張ってるじゃないか?」
魔人の魔法の力が弱いことは仕方がないことだ。
しかし、そんな事を差し引いたとしてもフローはみんなの役に立っている。
「でも・・・。」
何かを言いたそうにフローが口籠る。
「でも、ロゼライトさんは私を置いて、どんどん先に行っちゃうじゃないですか!」
僕の両肩をきつく握ったフローが、頭を振りながら叫んだ。
予想だにしなかったフローの言葉で、僕の思考回路はおかしくなってしまったのか、ベヒモスとの戦いのさなかだというのに次の行動に移れずにいた。
「ロゼライトさんは、私と一緒で魔法の力が弱いんじゃなかったんですか?」
独り言のようにフローが呟く。
「なのに、魔界からシャルロットお姉様を助け出して、魔術武道大会では準優勝、さらに王家の秘術を習得。お姉様方にも認められて・・・。」
僕の肩を握るフローの力が一層強くなった。
「私は、ロゼライトさんが一緒なら弱いままでも良かった。一緒に助け合えるなら、それだけで良かったのに。」
突然のフローの告白に、僕は愕然となった。
フローの優しい笑顔の裏側に、そんな感情が隠れていたなんて思いもよらなかったのだ。
しかし、戦いは待ってはくれない。
ベヒモスがこちらに向き直るのを目の端に捉えた僕は、フローの両肩を優しく掴むと、僕の後ろに隠れるように言い聞かせた。
「これで、決める。」
正確には「これで決められなきゃ終わる」だな。
土の魔力が体の隅々まで行き渡るのを感じた僕は、一気に魔力を開放し、土の精霊と一体になるような感覚に身を委ねる。
土の上位精霊というだけあって、ベヒモスは僕がこれから何をするか察したのであろう。
ベヒモスが膝を曲げ、衝撃に耐える準備をしたのが見えた。
踏みしめた大地に親指が食い込むのが、ブーツ越しでもはっきり分かった。
あとは『王家の秘術』を発動し大地を蹴れば、一瞬でベヒモスとの間合いを詰めることができるだろう。
僕は再度、魔剣を構えて魔力を開放した。
「だったら、私も強くなるしかないじゃないですか。」
何を思ったのか、後ろにいるはずのフローがいつの間にか前に出て、僕を片手で制した。
先程とは打って変わった、静かで力強い声だった。
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