第66話 フローレンスの苦悩(10)
大地が唸り、空気が震える。
ベヒモスが咆哮を上げるだけで、シュア渓谷が崩れてしまうのではないかというほどの衝撃が走った。
「アクアディールは右側から揺動、バッシュは私とともに左側に回り込むぞ!」
ソフィアの指示を受けて、アクアディールが風魔法を発動した。
「アクアディール、行きます!」
爆風を撒き散らせながら、あっという間にベヒモスの足元まで間合いを詰めるアクアディール。
あのスピードは、自分にかかる空気抵抗を『略奪』した状態で、後方に作り出した圧縮した空気を爆発させることによって生み出しているらしい。
「たまには俺も本気を出さないとな。」
バッシュが身の丈ほどもあるツーバンディッドソード、つまり両手剣を背中から外し、下段に構えて走り出した。
僕はいったい何をすれば・・・。
「ロゼライトは後方で待機、戦況を見守るように!」
一歩、前に出ようとした僕に気づいたのか、ソフィアから待機命令が出た。
それって・・・僕は使い物にならないから、戦闘には参加するなってことか?!
確かに騎士団の人達と比べたら、力不足かもしれない。
僕だって『王家の秘術』を使えばそれなりに戦えるはずなのに・・・。
僕が言い渡された戦力外通告に打ちひしがれている間にも、ベヒモスとの戦況は刻一刻と変化を遂げていた。
一足先にベヒモスの足元へと飛び込んだアクアディールが、ベヒモスの左足に槍を突き立てる。
ベヒモスが怯んだ隙にソフィアが風の刃で右耳を切り裂き、大きく両手剣を振りかぶったバッシュが跳び上がる。
あの大きさの剣を軽々と扱っているバッシュは、きっと土の魔力で筋力を強化しているのであろう。
しかし、この後どうするのか?!
土の魔力で筋力を強化した状態で斬撃を放ったとして、バッシュの体がその衝撃に耐えられるとは到底思えなかった。
下手したら、振り下ろす衝撃に耐えきれず、両腕の骨が折れてしまうことだってあり得る。
「うりゃ!」
なんとも力が抜けそうな気合いと共に繰り出されたバッシュの斬撃は、僕の心配とは裏腹に、ベヒモスの右の前足に深い傷を作っていた。
ベヒモスが後ろ足で立ち上がり、バッシュを踏みつけようと勢いよく前足を下ろす。
大地が揺れ、爆風が巻き起こった。
「バッシュ、大丈夫か?!」
直撃しなかったとしても、ベヒモスの攻撃の近くにいたバッシュに大きな衝撃が襲った事は疑いようのない事実だ。
僕の脳裏に最悪の事態がよぎる。
「大丈夫。でも、土の魔法で耐久力上げていなかったら危なかったよ。」
バッシュがベヒモスから間合いを取った。
耐久力を上げた・・・だと?
土の力を『付与』したのは、筋力ではなかったのか?魔法で強化できるのはひとつだけ、つまり筋力と耐久力のどちらか一方だけのはず。
まさか『王家の秘術』か?
そう思った後、僕は頭を振って自分の考えを否定した。
僕は賢者という特性上、幼少期から魔力の流れを鋭敏に感じる必要があった為、王家の秘術の習得にそれほど苦労はしなかったが、当たり前のように魔法が使える人間が『王家の秘術』を習得するには困難を極める技術だと思ったからだ。
「人は、自分の力を本能的にセーブしてしまうらしい。」
突然、バッシュが語りだした。
こちらを顔を向け白い歯を見せるバッシュは「知りたいんだろ?」と言わんばかりの表情だ。
「何でも自らの力に体が耐えきれないからだって、頭がいい人が言ってた。」
それって・・・。
「頭がいい人は「気をつけなきゃ」って思ったみたいだけどね、俺は頭が良くなかったみたいだ。」
バッシュが土の魔法を発動した。
どうやら耐久力を『付与』したらしい。
「体が強ければ、全力を出しても耐えきれるって思っちゃったんだよね。」
剣を持つバッシュの腕の筋肉が隆起し、両手剣を軽々と片手で振り上げた。
まさか、あれが人間の持つ筋力だというのか?!
「御託はいいから、攻撃に移るよ。」
ソフィアが素早くバッシュに近づき、風の魔法を発動させる。
「重力を『略奪』した。跳びな。」
「どうもっ!」
人の跳躍力とは思えないほど高く跳び上がるバッシュ。
しかしソフィアの魔力範囲外に出た瞬間に、重力は再びバッシュの体を捕捉する。
落下エネルギーを加えたバッシュの斬撃がベヒモスの頭部を襲う。
通常であればこれほどの斬撃を繰り出した場合、攻撃した本人も無事では済まないはずであるが、耐久力を『付与』したバッシュに大きなダメージは無い。
「悔しいけど、あの二人の連携に適う人はいないわ。」
いつの間にか隣に戻ってきたアクアディールが悔しさを口にする。
バッシュの両手剣が、ベヒモスの眉間に深い傷を作った。
両方の前脚を折り、ひれ伏すように倒れ込むベヒモス。
今しがたまで死闘が繰り広げられていたのが嘘のように、シュア渓谷を静寂が包み込んだ。
バッシュが剣を納め、ソフィアが膝についた土を払った。
アクアディールが僕の方を見て笑顔を見せる。
・・・終わった・・・のか?
イフリートと比べてあまりにも呆気ない気がするが、それだけソフィアとバッシュの力が人間離れしていたということだろうか?
やった!
ベヒモスの試練を達成したぞ!
「小僧下がれ!上位精霊の力はこんなもんじゃないぞ!」
皆の緊張が綻んだ直後、トゥラデルの声が渓谷に響いた。
同時にベヒモスの咆哮がシュア渓谷に木霊する。
「重力を『付与』する。」
ベヒモスのくぐもった声が頭に響いた。
声が聞こえた直後、ベヒモスの周囲にいた鳥や昆虫、塵に至るまで全てが大地に落下し這いつくばった。
ソフィアとバッシュ、それにアクアディールも例外ではなく、ベヒモスの重力の手に捉えられ、苦悶の表情を浮かべている。
一瞬早く距離を取った僕はかろうじてベヒモスの魔力範囲外に出ることができ難を逃れたが、トゥラデルから声がかからなかったら、間違いなくソフィア達と同じ状況に陥っていただろう。
トゥラデルはフローを連れ、既にベヒモスからかなりの距離をとり、次の攻撃に備えている。
さすがはトゥラデルと言わざるを得ない。危険を察知する能力は騎士団より冒険者の方が上だということなのか。
「小僧、戦況を見守れって言われてただろう?そういうときは、危険があったら声をかけるんだ。突っ立ってるだけじゃ、見守ってる事にはなんねぇぞ。」
確かにそうだ。
僕は「見守れ」と言われたのだ。勝手に戦力外通告を下されたと思い込み、僻んでいる場合ではなかった。
僕がしっかり役目を果たしていれば、現在の状況を回避できていたのかもしれないのに。
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