第65話 フローレンスの苦悩(9)

 赤土が剥き出しになっている谷を進む。

 かつて、豊かな水量を持った河が流れていたと言い伝えられているこの巨大な渓谷には、削り取られた地面に幾重にも重なった地層を望むことができる。

「フローレンス王女は、どこに向かうのでしょうか?」

 先頭を進むアクアディールが、周囲を警戒しながらフローの様子を伺う。

「王女の昨日の行動といい、不可解な点が多いわね。」

 アクアディールの後ろを進むのは、聖騎士団副団長のソフィアだ。

 今日はフローが街の外に出るという情報を手に入れていた僕達は、戦闘となる可能性も考慮して外套の下に鎧を着込んで尾行をしていた。

「ただ単に後をついて回ってるだけじゃ、何もわからないよね。」

 背中に大剣を背負うという力自慢らしい出で立ちで、最後尾から声を発したのは大鷹騎士団所属のバッシュだ。

 現在、僕達とフローとの距離は数十メートルは離れている。

 これは会話を聞くにはあまりにも遠い距離であり、この距離ではバッシュの言う通り、新たな情報を仕入れるのは難しいことは明らかだった。

 だからといって単純に距離を縮めれば良い話でない。

 かつて川に侵食されたこの谷は緩やかなカーブを描いているものの、隠れる場所は散在する岩ぐらいしか無く、フローに気づかれずに近くまで移動するのは至難の業だからだ。

「フローレンス王女に、この魔法を使うのは忍びないけど、こういう状況ではしかたないわね。アクアディール、準備して。」

 アクアディールはソフィアの指示を受けると、周囲に向かって魔力を放出し始めた。

「へぇ、面白い事をするね。」

 僕達の周囲を取り囲むように発生した霧を見て、バッシュが感嘆の声を上げた。

「これは、何をしているんですか?」

 状況が飲み込めず、僕は隣にいたソフィアに尋ねた。

「アクアディールはね、水の魔法で光を屈折させることができるの。」

「屈折?」

 訳も分からず、オウム返しで尋ねる。

「屈折、知らない?曲げる事。」

 流石にそれは知ってます。

「人間の目って、物に当たって反射した光を捉えて信号に変換して脳に送ってるの。」

 それも知ってます。

「だったら、私達の周りの光を曲げて、フローレンス王女には私達の後ろの景色を見せてあげれば・・・。」

「そうか!フローには僕達が見えなくなる!」

 魔法って凄い!

 イメージ次第で色んな事ができるようになる。

「光の反射を完璧に制御する事はできないから、どうしても歪がでてしまって近づきすぎると気づかれてしまうけどね。」

 アクアディールの作った霧は、僕達をすっぽりと覆うほどに大きくなっていた。

「あとは私が霧の外側の空気を『略奪』すれば、音をシャットアウトできるという訳。」

 日頃、聖騎士として一緒に活動しているふたりだからこそできる連携だ。

 こうなってしまえば、障害物に隠れる必要などなくなる。

 ソフィアとアクアディールのおかげで、僕達は難なくフローのすぐ後ろの岩まで移動することができた。

 姿と足音を消す事ができるなんて、この魔法を習得することができたら・・・。

「女湯を除き放題だな、ロゼライト君!」

 バッシュよ、勝手に僕の思考に割り込まないでくれ。

「空気の層を戻すから、音を立てないように。」

 まるで水に潜っている時のようにくぐもって聞こえていた周囲の音が、砂が動く音さえも分かるほど鮮明に聞こえだした。

「嬢ちゃん、いつまでこんな事やるんだ?」

 トゥラデルの声だ。

「早く帰らないと、みんな心配するだろう?」

「もうちょっとだけ調べておきたいんです。超過した日数の依頼料はちゃんとお支払いしますんで。」

 フローの声はいつもの落ち着いたものではなく、少し切羽詰まっているような感じがした。

「そういうのを気にしてるわけじゃねぇんだが・・・何で小僧たちと来なかったんだ?そろそろ教えてくれてもいいだろ?」

 トゥラデルは剥き出しになった地層を物珍しそうに眺めなら、フローに話しかけている。

「私、自分が情けなくて。」

 いつも明るいフローレンスの沈んだ声。

「お姉様達と比べようもないぐらい弱い私の魔力。」

 フローが赤土の地層に寄りかかって、空を仰いだ。

「魔人だからしょうがないって、小さい頃から諦めていました。」

 それは仕方がないことだ。

 魔法において、術士に魔人や賢者が太刀打ちできるはずがない。

「でも、ロゼライトさんは私と同じように魔力のに、どんどん強くなっています。」

 振り返ったフローは、弱々しく微笑んでいた。

「私ね、ロゼライトさんに会って、ちょっとだけ安心したんです。「あぁ、この人も私とおんなじなんだ」って・・・酷いですよね?」

「酷かねぇよ。人ってのは弱いもんだ。同じ境遇のやつがいれば安心もする。」

 いつも明るくいフローがこんな事を感じていただなんて、思いもよらなかった。

「でも思ったんです。このままじゃいけないって。だから自分のできる事をやります。」

「それが今回の依頼につながるのかい?」

 フローが頷いた。

「今後、ベヒモスの試練を乗り越える事が必要となると考えられます。それの調査と下準備を自分でできないかと思いまして。それぐらいなら魔力に関係なくできるじゃないですか。」

 フローの言葉を聞いて、トゥラデルが周りを見回した。

「帰ったら皆に伝えるんです。「私だって、やればできるんです」って。」

 得意気に話すフローとは対象的に、トゥラデルの表情には焦りの色が色濃く出現した。

「ちょっと待て嬢ちゃん!ってことは、この場所は・・・。」

「はい。ここがベヒモスの住まう地。シュア渓谷です。」

 フローが笑顔で答えた。

「ベヒモスが出てきちまうんじゃねぇか?!」

 トゥラデルが腰の剣を抜き、あたりの警戒を始めた。

「大丈夫ですよ、トゥラデルさん。上位精霊は『愛されし者』つまり賢者であるロゼライトさんがこの場にいなければ出てきてはくれないんです。」

 そしてフローは「だからロゼライトさんがいたら調査にならないんです」と続けた。

 突然、大地が震えた。

「え?何?!」

 笑顔であったフローの表情が一転して、険しいものへと変わった。

 これは・・・地震?

 大地の震えはどんどん大きくなり、ついには立っていられないほど大きなものとなった。

「小僧、いるのは分かっている!もう出てこい!」

 トゥラデルが叫ぶのと当時に目の前の大地が盛が上がり、谷を覆い隠すほど大きな巨獣が姿を現した。

「え?ベヒモス?ロゼライトさん?どうして?」

 混乱するフロー。

「説明は後だ。嬢ちゃん、こっち来い!」

 象に似た頭と大きな牙、サイのように逞しい体と足。

 教科書に書かれていた通りの姿。

 こいつは・・・。

「ベヒモス。」

 誰かが呟いた。

 ベヒモスの咆哮が谷に響き渡る。

「散開しろ!」

 ソフィアの合図で我に返った僕達は、ベヒモスの正面から離れ、それぞれが岩陰へと身を潜めた。

 フローは?

 僕は岩陰からフローの様子を伺う。

 良かった。どうやらトゥラデルがフローを抱えて、身を潜めてくれたらしい。

「よく来た。『愛されし者』、そして『制する者』よ。」

 耳が痛くなるほど大きな声。

「その力を我に示せ!」

 やはり、こうなるのか?!

 僕は腰の魔剣を抜き、魔力を開放する。

 同時にソフィアから戦闘準備の合図が送られた。

「待って、そうじゃないの!」

 フローが何かを叫んでいるが、確認している時間はない。

 試練は始まってしまったのだ。

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