第61話 フローレンスの苦悩(5)
今日はスレート先生が急に王城に呼び出されたたため、午後の実技講習は自習となった。
僕は学園北側の研究室にひとり残され、手持ち無沙汰に鞄に入っていたホムンクルスの卵を眺めていた。
卵は魔界に入った後ぐらいから徐々に赤黒く変化し、半透明な殻の中で脈打つ物体が少しずつ動くようになってきていた。
研究室の壁には魔法障壁が張られており、ここで魔法を発動させても外部に被害を及ぼすことはない構造になっている。
僕は右手に小さな炎を作り出して、ホムンクルスの卵に近づけた。
卵の中で何かが活発に動き、炎の近く寄ってくるのが分かる。
最近、見つけたことだが、卵の中身は闇と炎の魔法には強く反応するが、土の魔法にはあまり反応しないようだ。
この事実が何を示すかは分からないが、何か重要な意味があるのかもしれない。
そう思い、今日はスレート先生に卵を見てもらおうかと思っていたのだが、どうやらそれは難しい状況のようだ。
「実技講習の自習をひとりでやるって、無理じゃないか?」
改めて自分の状況を顧みて僕がそう呟いた時、研究室の扉が乱暴に開き、誰かが入ってきた。
「ロゼライト様、大変でございます!」
僕はびっくりして、ホムンクルスの卵を落としそうになってしまった。
息せき切って部屋に入ってきたのは、フローの専属執事であるエドワードだった。
年甲斐もなく走ったのであろう。エドワードは膝に手をついて、可哀想なほど肩で息をしていた。
「フローレンス王女が、王都から、失踪、しました。」
何だって?!
息を切らしたエドワードの口から、信じられない言葉が発せられた。
フローが失踪とはただ事ではない。その事実はフローが学園を早退したのと、関係があるのだろうか?
もしもそうだとしたら変化に気づくことのできなかった、僕の責任でもある。
「エドワードさん、その話を詳しく聞かせてもらえませんか?」
僕は急いで椅子から立ち上がり、扉まで走った。後ろで僕が座っていた椅子が倒れた音がしたが、直している暇などない。
「その話は私からさせてもらいます。」
聞き慣れない声が、僕にそう告げる。
研究室の扉の向こう側、エドワードの肩越しに、見慣れない女性騎士の姿が見えた。声の主はこの女性騎士であろう。
女性騎士の瞳はエメラルドグリーンに輝き、肩の高さで切りそろえられた髪は深い碧色をしている。
間違いなく、風の術士だ。
「私の名は、ソフィア。聖騎士団の副団長を努めている。」
ソフィアと名乗った女性は、僕に対して一礼をすると、自分の立場を明かした。
聖騎士団の団長はシャルロット王女であるから、実質はこの人が聖騎士団を纏めているということになる。
「学園から帰宅したフローレンス王女が、人目を忍んで王都から旅立ったらしい。王都を出発する所をたまたま見かけたアクアディールが追跡中だ。」
「なんですって?!いったいどこへ?」
僕は思わずソフィアに詰め寄った。
フローは考え無しに行動するような子ではないし、何よりも他人に迷惑をかけるのを嫌う傾向にある。
それが、どうしてこんな事を・・・。
「カーネリアン王が捜索隊の派遣を決定した。行き先の目星がついている上、事を大きくしたくないので少数での捜索となる。」
スレート先生が王城に呼ばれた理由はこれか!
「捜索隊の構成員は、聖騎士団から私とアクアディール、それにテレーズ王女の大鷹騎士団からバッシュという男、最後は賢者ロゼライトだ。」
バッシュ?知らない名前だが、テレーズ王女の推薦となれば、実力は間違いないのだろう。
しかし、何故僕の名が?
「自分の名前がある事に、疑問があるようだな。」
思ったことが表情に出ていたのか、ソフィアが軽く口角を上げた。
「後は私から説明させていただこうか。」
ソフィアの後から声を上げたのは、僕とフローの実技指導を行っているスレート先生だった。
「フローレンス王女は王国の西、シュア山脈の麓の街カーラ行きの乗合バスに乗ったと情報がある。」
スレート先生はそこまで言うと、僕の顔を一瞬見たあとに「まだ分からないのか?」とでも言いたげな顔をして、溜息をついた。
「ロゼライト、シュア山脈と言ったら『ベヒモスが住まう地』だと壁画に書いてあっだろう?」
いやいや、壁画の文字とか読めないし!
「つまり、フローレンス王女はベヒモスの試練を受けに旅立ったと考えるのが妥当だろう。」
淡々と話すソフィアであったが、その表情には焦りがあった。
それはそうであろう。一国の王女が失踪し、しかもその王女はほとんど魔法が使えないのだから。
「状況は分かりましたが、何故僕が捜索隊に選ばれたのかの答えにはなっていません。」
学生であり、大して戦力にもならない僕がついていっても足手まといにしかならない気がする。
「そこでカーネリアン王からロゼライトへの命令が下っている「ついでにベヒモスの試練を乗り越えてこい」だそうだ。」
ついでに・・・って、カーネリアン王らしいと言ってしまえばそれまでだが、あまりにも無謀な指示。
しかし考えようによっては僕もフローも強くなれ、一石二鳥と言えないこともない。
「出発は明朝。ロゼライトは準備を整えて、王都の西門に来るように。フローレンス王女がカーラに到着する前に追いつくぞ。」
ソフィアとスレート先生が退室し、静けさを取り戻した研究室では、赤黒く変色したホムンクルスの卵の中で何かが蠢いていた。
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