第38話 魔界潜入(3)
明朝、歪みを通り魔界に入るために僕達は王城の倉庫に集まった。
本来であれば剣や盾、鎧が保管してあったであろう場所には魔法陣が描かれ、その上の空間には禍々しい空間の塊『歪み』が存在している。
グランデールが通ってきた歪みを魔法陣で保持しているということだった。
「スレート先生。」
僕は魔法陣のチェックをしているスレート先生に近づいて声をかけた。
「シャルロット王女が拐われてから、もう一週間が経ちます。魔界ではどれくらいの時が経っているのでしょうか?」
以前、スレート先生が「魔族の寿命」について話してくれたことがある。
魔族は寿命が長いと言われているがそうではない。
現世に比べ、魔界の時間はゆっくり進むため、魔族は悠久の時を越えて存在すると思われているだけにすぎない。
「魔界は現世より100倍も時間の流れが遅いと言われている。現世の1週間は魔界に換算すると2時間ぐらいだ。」
スレート先生が面倒くさそうに説明してくれた。
「ロゼライト。魔界に行ったらなるべく早く帰ってこい。もたもたしてたらあっという間に、現世の時間が経過してしまうぞ。」
「そしたら、ロゼライトは私と一緒に留年だな。」
いつの間にやら僕の横に来て、スレート先生の説明を聞いていたテレーズ王女が、本気とも冗談とも取れることを言う。
「いやぁ、留年は勘弁してほしいですね。」
そして僕はカーネリアン王に「なるべく早く戻ります」と、付け加えた。
「ふたりとも準備は良いか?」
スレート先生が何やら黒い液体を魔法陣に垂らすと、歪みが膨張し人がひとり通れるぐらいの大きさへと変化する。
「帰ってくるときは、歪みの前に立ち魔界側からこの鈴を鳴らせ。そしたらこちら側から歪みを通れるようにしてやる。」
魔界と現世の歪みは繋がっている。
魔界に入ったら、まずは入ってきた歪みの位置を忘れないように目印をつけなければならない。
「では、ロゼライト。入るぞ。」
まずはテレーズ王女が歪みに入り、僕はあとに続いた。
視界が歪む。
いや、歪んでいるのは僕の体自体か?
突然、右手が大きくなったかと思ったら、次の瞬間には指先が見えなくなるほど遥か遠くに伸びていった。
体が原型を留めていない。
いや、魔界という異世界では形という概念さえも無意味なものなのかもしれない。
――ロゼ・・・ライト。
遠くから声が聞こえた。
いや、耳元か?
――ロ・・・ゼライ・・・ト。
低く落ち着いた声。
いったい誰の声だ?
「ロゼライト!」
肩を揺すられ、僕は目を覚ました。
「気が付いたか、心配したぞ。」
目の前にはテレーズ王女の顔があった。
「ここは・・・。」
そこまで言って、僕は自分の置かれている状況を思い出した。
しまった!こんな時に気を失うとは!
僕は急いで周囲を見渡して、臨戦態勢を取った。
倒れていたのは山間にできた盆地。地面には何かが爆発したように抉られた跡が、いくつも確認できた。
テレーズ王女の闇の魔法ではない。テレーズ王女の魔法であれば、刃物を突き立てたような跡ができるばず。
「暴れまくってるみたいだな。」
テレーズ王女が、少し少し嬉しそうにそう言った。
「テレーズ王女、この跡はやっぱり・・・。」
「十中八九、シャルロットの仕業だろう。」
周囲に魔族の姿を見ることはできない。
魔界という場所は次々に魔族が襲ってくるイメージを、勝手に持っていたが、実はそうでは無いようだ。
しかし、遠くから奇声とも雄叫びとも取れる鳴き声が聞こえてくることから、注意して捜索しなければならないことも事実のようだ。
「テレーズ王女、前から気になってたのですが、光の魔法とはいったい・・・。」
精霊核の力というものが発見されて10年、その間の魔法の発展は目覚ましかった。
しかし、光と闇の魔法に関しては、魔法の使い手がほとんどいないため、謎に包まれている部分が多い。
「すまんなロゼライト。あまり他人のことをベラベラと喋るのは好きじゃないんだ。どうしても聞きたければ、シャルロット本人に聞いてくれ。」
少し迷ってから、テレーズ王女は僕にそう言った。
確かに自分のいない場所で、自分の事をとやかく言われるのは気持ちの良いものではない。
無神経な事を言ってしまった。反省しなければ。
落ち込んでいる僕を見かねてか、テレーズ王女は「光というのは質量が殆どないぐらい軽い粒子らしい」とだけ教えてくれた。
「そうだロゼライト。今、火と土の魔法は使えるか?」
何故、そんな事を?
「はい、何も問題なく・・・え?」
いつも通り指先に魔力を集中させた僕は、自分の目を疑った。
いつもであれば、小さな炎が灯るはずの指先には何も無く、ただ空気の流れを感じられるだけだったからだ。
「そんな馬鹿な。じゃあ、土の魔法は・・・。」
今度は足元に転がっていた小石を拾い、魔力を込める。
これで小石は浮き上がり、僕の腕の周りを回り始める・・・はず。
「やはり使えないか。」
僕の表情を見て、テレーズ王女がつぶやいた。
そんな馬鹿な?!
「魔界では精霊の力の均衡が保たれず、特に四大精霊の力が弱い言われている。ここで使える魔法は闇の魔法、それと力の衰えた光の魔法だけだと思っていた方がいい。」
「そんな!それじゃ、僕は戦えない。」
突如、突きつけられたられた現実。
いくら威力が弱いとはいえ、僕の戦い方は魔法を織り交ぜているものだ。魔法が使えないということは、魔族相手に体術のみで対抗しなければならず、戦略が限定されてしまうことを意味する。
「ロゼライト、お前は本当に闇の魔法を使うことができないのか?」
テレーズ王女が、僕の顔を覗き込んできた。
「魔界は四大精霊の力が極端に弱くなる。これは加護精霊の力も弱くなるから消費される魔力も殆ど無くなり、ロゼライトの魔力は闇の加護精霊に・・・。」
そこまで言うと、テレーズ王女は突然僕を突き飛ばし、自分もその場を飛び退いた。
直後、今まで僕達がいた場所に響き渡る爆音と、激しく巻き上がる砂埃。
細く長い手足。
小さな胴体に対してあまりにも大きな頭と、その上に生えている枯れ枝のような角。
背中に生えた蝙蝠に似た小さな羽。
緑色に光る丸い目にははっきりと殺意が感じられた。
「ロゼライト!武器を構えろ!」
テレーズ王女の声で我に返り、僕は慌てて魔剣を抜き中段に構える。
異形の者との戦いが始まったのだ。
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