第34話 イフリートの試練(9)

 永遠に続くかと思う程の長さの洞窟を抜けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

「ここは・・・火口なのか?」

 僕は上昇してくる熱風に顔を背けながら、吹き出る汗を拭い、そう呟いた。

 僕たちが辿り着いたのは、数百メートルはあろうかという巨大な穴の中腹であった。

 眼下に広がるマグマの海が、地獄の底に連れてこられたのではないかという錯覚を覚えさせる。

 空気が歪む。マグマから立上がる熱風が、陽炎のような現象を発生させているのだ。

「ここから下に降りられるみたいですね。」

 フローが指差した先には、火口を沿うようにできた細い道のようなものがあった。

 汗が止めどなく流れ、顎先から滴り落ちる。

 脱水予防の為、こまめに水分補給をしてはいるが、そのぐらいではとても足りそうもない。

 水の魔法で体温を下げているフローとアクアディールでさえも、さすがに苦しそうな表情をしている。

 そんな中、トゥラデルだけは全く平気そうな顔をして、坂道を下っていく。

 先ほどトゥラデルが言った「火の魔法を使う時に自分の炎で火傷する奴はいない」という言葉の意味が分かれば、僕も暑さに強くなると言うことだろうか?

「どうやら、ここが終点のようだな。」

 辿り着いたのは少し開けた崖の上。

 見ようによっては台座のように見える岩が、中央に鎮座している。

 辺りを見回したが、イフリートの姿どころか下位精霊であるサラマンダーの姿さえ見つけることはできなかった。

「噂は噂でしかなかったって事か。」

 トゥラデルの言葉を聞いて、フローが肩を落とすのが分かった。それを見たアクアディールが、トゥラデルを睨みつける。

「仕方ありませんわ。王都に戻って情報を集め直しましょう。」

 無理に明るい声でそう言うフロー。

 しかし、情報を集めると言っても、いったい何から行えば良いのか。

 闇雲に動くことはできない。フローに残された時間だって、そう長くはないのだ。

「そうと決まれば長居は無用です。」

 振り返ったフローが帰還を促す。

 噴き上がったマグマが炎を撒き散らした。

「みんな、ちょっと待って!この場所は何かがおかしいぞ。」

 僕は違和感に気付いた。

 炎があるのに・・・火の精霊がいない?

 違う!

 下位精霊が存在できないほど、精霊の力が濃いんだ。

 僕は辺りを見渡した。

 空気が纏わりつくように重い。

 これは・・・暑さのせいだけではない。

「待ちわびたぞ『愛されし者』、そして『制する者』よ。」

 どこからともなく、声が響いた。

 重く、ひどく威圧的な声だ。

「誰だ?!」

 何もいない空間に向かって僕は叫んだ。

「そういきり立つな、『愛されし者』よ。」

 愛されし者?

 声の主の言う『愛されし者』とは、いったい何を指しているのか。

 突然、マグマが弾けだ。

「何?まさか噴火?」

「こんな時に、勘弁してくれよ!」

 眼下に畝るマグマ溜りが盛り上がり、ゆっくりと人の形を形成した。

「我が名はイフリート。炎の上位精霊にして、破壊と再生を司る者。」

 炎をまとった身の丈2メートルほどのそれは、台座のような岩の上に降り立ち、僕たちを楽しそうに見回した。

「久しいな。『愛されし者』そして『制する者』よ。」

 久しい?

 どういうことだ?僕はイフリートなどと会ったことはない。

「いや、人の命は儚い。目の前にいるのは別の者達・・・か。」

 そう言ったイフリートが、少しだけ俯いた氣がするのは、僕だけだろうか?

「ではその力、確かめさせてもらう。」

 イフリートが台座からゆっくりと降り、僕たちの方へ歩みを進ませた。

 それを見たトゥラデルとアクアディールが、僕たちの前に出て、武器を構えイフリートと対峙した。

「依頼料、しこたま貰っちまったからな。料金分の仕事はするぜ。」

「姫様、私の後ろへ。姫様には指一本触れさせません。」

 トゥラデルが大剣を構え、地面を蹴った。

 重い剣を携えているとは思えないスピードだ。

「邪魔だ。関係ない者は下がっていろ。」

 イフリートが右手を振るう。

 直後、トゥラデルとイフリートの間の地面が裂け、炎の刃が出現した。

 間合いを詰める速度を緩めず、体を捻って躱すトゥラデル。炎の刃を抜ければ、そこはトゥラデルの間合いだ。

 大剣を一度右肩に振りかぶり、体の捻りを最大限に活かしてトゥラデルが大剣を横に振った。

 炎を引裂き、イフリートの脇腹にめり込む大剣。

 やったのか?!

「ほぅ、面白い動きをする。」

 イフリートが不敵に笑った。

 トゥラデルの一撃を食らって、無傷だとでもいうのか?!

 イフリートが、右手の拳を握って振りかぶった。

 まずい、反撃が来る!トゥラデルは渾身の一撃を放ったばかりで、体勢が整っていないぞ。

「水の精霊よ、力を!」

 アクアディールが叫ぶと、イフリートの顔の周りが水蒸気で包まれた。

「さすがに凍らせることはできないけど、これくらいならできるわよ。」

「けっ、余計な真似を。」

 間合いを取り、強がりを言うトゥラデル。しかし、その言葉にいつもの余裕は感じられない。

「ウンディーネか。ならば精霊ごと焼き尽くせば良い。」

 そう言ったイフリートの右手に現れたのは、渦を巻く大きな炎。

「アクアディール、水の結界を張れ!あの炎はヤバい。」

 トゥラデルが叫ぶ。

「小僧!何でも良い、嬢ちゃんを守れ!」

 そう言ったって、僕は炎を防ぐ水の魔法も、炎を吹き飛ばす風の魔法も使えない。

「考えるんだよ!知ってっか?賢いから賢者っていうんだ。」

 駄目だ。

 情けない。こんな状況では頭が混乱して何も思い浮かばない。

 次の瞬間、

先頭で僕らを守っていたトゥラデルが、イフリートの放った炎の渦に飲み込まれた。

「そ、そんな・・・。」

 言葉にならなかった。

 あの強いトゥラデルが、こんなにも呆気なく・・・。

「少しは腕が立つようだが、人の身で我が前に立つことなど不可能な事のだ。」

 勝機が・・・見えない。

 僕の心が絶望に侵されていくのを感じた。

「そんな顔すんな。」

 空耳か?炎の中から、死んだはずのトゥラデルの声が聞こえた。

「小僧、俺の問に対する答えは出たか?」

 少しずつ炎が弱まっていく。

「術者は火の魔法を使う時、炎を発動させる手に火の精霊の魔力を集める。」

 炎の中にみえるトゥラデルの影が、右手を持ち上げるのが分かった。

「もし、この行為によって術者が火の精霊と同等の力を得ているのであれば。」

 先程よりもずっとはっきり、トゥラデルの声が聞き取れるようになった。

「自分の細胞全てに、火の精霊の加護を授ける明確なイメージを持つことができれば、己の全身は火の精霊と同等の耐火能力を得ることができる。」

 炎の渦が一度大きく弾け、空間に吸い込まれるように消滅した。

「火の力で俺を傷つける事はできねぇ。これがテレーズ嬢ちゃんが、この旅に俺を同行させた理由だ。」

 既に炎は完全に消え、火傷ひとつ追っていないトゥラデルが再度イフリートに対峙する。

「まさか、あれは・・・。」

 驚きの表情を浮かべるフロー。

「あれは、王家の秘術。」

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