第11話 3人の王女(10)

 暖かな日差しの差し込む午後。

 体を包み込むような極上の座り心地のソファーの上で、僕は動けずにいた。

 背もたれに体を預けると、途端に睡魔が襲ってくる。このまま眠ることができたら、どれほど幸せなのであろうか。

 僕は軽い重みを感じる左の太ももを見た。

 何度見ても変わらない。

 毛布から頭だけを出した金髪の美少女に膝枕をしている状況。

 不可抗力とは言え、誰かに目撃されない事を願うばかりだ。

「ん、んん〜。」

 シャルロット王女が目覚めたのは、僕が部屋に入ってから30分以上の時間が経ってからだった。

 まだ寝ぼけているのか、シャルロット王女は半分瞑った目で僕の顔を眺めている。

 パチクリ。

 パチクリ。

 瞬きをふたつ。

 視線を僕の膝に向ける。

 そこにあるのは、シャルロット王女のよだれの跡。

 ふたたび僕の顔に視線を戻すシャルロット王女。

 眉間に右手の親指を当てて目を瞑る。

「うん、これは・・・夢ね。」

 違うし!

「おはようございます。シャルロット王女。」

 目を開けてマジマジと僕を見るシャルロット王女。睫毛が長い。

「あなたは・・・だれ?」

「僕はロゼライトと申します。今日は王城に呼ばれて来ました。」

 シャルロット王女はまだ状況が呑み込めていないいない様子。

「これは?」

 これというのは、僕の太ももにあるシミの事。

「よだれ・・・ですかね?」

 数秒の沈黙。

 シャルロット王女の顔が一気に赤くなる。

「え?え?え?何で?どういうこと?」

 急に現実に引き戻されたのか、周囲を忙しなく見回すシャルロット王女。しかし助けてくれる人など存在しない。

「というか、ごめんなさい。ああああ、ズボンにシミが・・・。」

 適当な布が見つからなかったのか、シャルロット王女は来ている服の袖で、僕のズボンのシミを噴き出した。

 うん、それは広げてるだけだね。

「ごめんなさい。ごめんなさい。それでは失礼します。」

 立ち上がり、人の動きとは思えないほど素早く2回頭を下げると、シャルロット王女は脱兎のごとく扉から出て行った。

「シャルロット王女、ちょっと・・・。」

 いったい何なんだ。

 僕は急いでシャルロット王女を追って扉を開け、左右を見渡した。

 静まり返る石造りの通路。

「消え・・・た?」

 シャルロット王女が部屋を出た直後に扉を開けたはずなのに、そこに王女の姿はなく長い通路だけが静かに存在していた。まるで、最初から何事もなかったかのように。

 近くの部屋に入った、そんな感じでもない。

 「消えた」という言葉が一番適切と思えるほどに、そこにいたという事実自体を消し去ってしまったように。

 狐につままれたと言うのはこういう事を指すのだろう。

 僕は、先日アシュタフに絡まれたときに、テレーズ王女も突然消えたことを思い出した。

 これも魔法なのか?

 消える魔法。そんな物は見たことも聞いたことも無かった。


「お待たせしました。王がお待ちです。」

 ノックの後に扉を開け入ってきたのは、ひとりの老執事だった。

 長身痩躯、白髪混じりの髪。確か名前をエドワードと言ったか。よくフローと一緒にいる執事だ。

「今日は王の個人的な用事のため、謁見の間ではなく、私室にご案内致します。」

 そう言ったエドワードに案内されたのは、階段を一つ上がった先にある東向きの部屋だった。

 先ほと通された部屋よりもひと回り大きい部屋には、中央に大きなテーブルが置かれ、10脚ほどの椅子が並べられていた。

 また、ベランダに出ることができる大きな窓があり、その近くにソファーとローテーブルがおいてある。

 壁には大きな柱時計、壁際には高そうなワインがならんだワインセラー。

 部屋にあるすべての物が、高価な調度品だと分かる。

 部屋の奥には、扉が一つある。きっと寝室に続く扉なのであろう。

 中央の机には既にふたりの先客がいた。

 ひとりはフローレンス。

 もうひとりは知らない顔だ。

 年齢は40台中盤だろうか。少し白髪が混ざった髪を綺麗にまとめ上げた紳士だ。身につけている服や装飾品から、位の高い人だということはひと目で分かった。

「よく来たね、ロゼライト君。私はフローレンスの父親のカーネリアンだ。」

 つまり王様って事だな。

 僕は深く頭を下げ、礼をした。

「そんなにかしこまらくても良い。今日は娘の友達として来てもらったのだから。」

 そう言うと、カーネリアン王は僕に座るように促した。

「単刀直入に言おう。君に学園内で娘の護衛、というか世話係をお願いしたいのだよ。」

 突然、何を言い出すんだ。このオッサンは?!

「知っての通り、学園内は関係者以外の立ち入りを禁止している。王族だからといって決まりを無視するわけにはいかない。フローレンスも君の事を気に入っているようだし。どうだろうか?頼まれてはくれないだろうか?」

 既に世話係のようになってしまっている事は置いといて、この依頼・・・普通に考えて、断ることはできないだろう。

「そんなに難しく考えなくてもいい。困ってたら助けてあげてほしい、ぐらいに思ってくれれば良いのだよ。」

「そのぐらいで良いのであれば・・・。」

 面倒くさいことになったなと思いつつも、僕は頭を縦に振った。

「おぉ!引き受けてくれるか。」

 不自然なほど大げさに喜ぶカーネリアン王。

「何しろ魔人というのは、体内の魔力が不安定で・・・。」

「お父様っ!」

 カーネリアン王の言葉をフローが遮った。いったいどうしたのだろう?

「ま、まあ、ひとまず見てくれる人が見つかって安心だ。」

 胸を撫で下ろすカーネリアン王。

「君の事は他の王女達にも紹介をしておいたほうが良いな。エドワード、娘たちをここに。」

 そう言われたエドワードが部屋から出て、程なくしてふたりの王女が入ってきた。テレーズ王女とシャルロット王女だ。

 僕を一瞥し、すぐに視線を外すテレーズ王女。俯き恥ずかしそうに目を合わせないシャルロット王女。

 僕の姿を認めたふたりの反応は、それぞれ違ったものだった。

「ふたりとも聞いてほしい。この青年はロゼライト君という。学園内でフローレンスの世話係をお願いした。」

 二人の王女が僕の顔を見る。あまり驚いていないところを見ると、フローが事前に言っておいたのかしれない。

 しかし、怪訝そうな表情は隠しきれていない。

 それはそうだ。どんな男かも分からない奴に、妹の事を任せると言われたのだ。すんなり受け入れる事などできやしないだろう。

「何だ?ふたりとも不服か?」

 流石に王女ふたりの様子に気づいたカーネリアン王。

「良い事を思いついたぞ。テレーズとシャルロットも、ロゼライト君にお世話係をやってもらえばいい。そうすればロゼライト君の人となりも実感できる。うん、我ながら名案だ!」

 ひとり頷くカーネリアン王。

 何言ってるんだ、このオッサン?!

 テレーズ王女とシャルロット王女も抗議の声を上げるが、カーネリアン王は相手にせず、豪快に笑いながら退室して行った。

 これは、とんでも無い事になったぞ。

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