第9話 3人の王女(8)

 午前中の眠たい講義を終え食事を摂ると、僕とフローは北棟の実技室の扉の前に集合した。

 今日の午後は、実技指導の時間だったからだ。

 ちなみに今日の食事は学食の定食。

 白身魚に辛めの味噌を付けてオーブンで焼いたものと、葉物野菜のお浸しだった。

 味は良かったが、少し物足りなさも感じる。学食の定食って言ったら、肉・肉・野菜・肉・肉みたいな物を想像していたが、この学園は貴族や大商人のご子息も通っているため、異国情緒あふれる食事を提供する事で有名らしい。

 北棟の実験室は相変わらず肌寒い。

 僕は荘厳な鉄の両扉に手を触れた。

 鉄が擦れるような音と共に、扉が自動的に奥向かってに開かれる。何かの魔法の力が付与された魔道具なのだろう。

 10メートル四方程度の部屋の中には、ダークブラウンの髪を無造作に肩まで伸ばし、暗い灰色のローブを着た男が立っていた。年齢は40代後半といったところか。長身で痩せ型、窪んだ目の周りが不健康そうな見た目を増長させていた。

「やあ、賢者君。それにフローレンス王女。私の実験・・・い、いや、実習室にようこそ。」

 今、実験室って言おうとしたよね?!

「私の名前はスレート。魔術学園で、新しい知識と技術を研究している。」

 スレートと名乗った男は、そう言うとツカツカと僕の方に歩み寄ってきた。

「君が賢者か・・・確か、名前は・・・。」

「ロゼライトです。」

「そうそう、ロゼライトだ。」

 スレートは長く伸びた前髪が邪魔なのか、右手で抑えながら僕の顔を覗き込んできた。

 顔が近いって!

「ほう、左右で目の色が違うのか。それにその前髪。黒髪が混ざっている。」

 スレートは僕の前髪に、手を伸ばしてきた。

 体が硬直して動けない。何かの呪いでもかけられてるんじゃないかと疑いたくなるほどだ。蛇に睨まれたカエルとは、正にこの事だと実感する。

「ロゼライト、闇の魔法は使えるのか?」

 僕は黙って首を横に振った。

「そうか、まあ良い。研究のしがいがあるというものだ。」

 含み笑いに背筋が凍りついた。

「スレート先生、そろそろ講義を。」

 フローの言葉で、渋々と僕から離れるスレート。

「それでは、講義を始める。」

 僕達は準備されていた二脚の椅子に腰掛けた。

「午前中の座学でやったと思うが、魔法を発動するにはイメージ力が重要だ。」

 スレート先生が、持っていた杖の先で自分の頭を指した。

「加護精霊の力に自らのイメージを重ねて、魔力を注ぎ込む。大魔法になると呪文を唱えるが必要が出てくるが、これは口から紡ぎ出す言葉によって魔法のイメージをより明確に頭の中に作り出す手助けをしているに過ぎない。」

 スレート先生はそこで言葉を切ると、僕達を見た。

「分かったか?じゃあロゼライト、何でもいいから魔法を見せてみろ。」

「はい?」

 急に名前を呼ばれたので、声が裏返ってしまった?

「まだ何も教わってませんが?」

 僕の言葉にスレート先生は呆れ顔だ。大方「分かってないな、こいつは」とでも思っているのであろう。

「眠たい講釈なら午前中にたっぷり聞いただろう。実技の時間というものは、実践と失敗の繰り返しだ。まず、やってみろ、いくらでも失敗すればいい。」

 なるほど、的を射ている。

 容姿には伴わないが、意外とまともな先生なのかもしれない。

 それならば。

 僕は右手の掌を上にして自分の顔の前にかざし、炎をイメージする。

 ――炎よ

 ――燃え上がれ

 ――赤く

 ――赤く

 今度は右手に魔力を注ぎ込んでいく。肩の後ろあたりから力が抜けていくのが分かる。

 自分の中の何かが、右手に吸い寄せられていくような感覚だ。

 右手の掌の上、数センチの場所の空気が揺れているのが分かる。温度差が生じているのだ。

 一瞬、空気が渦のように動き、何もなかった手の上に小さな炎が姿を表した。

「小さな炎だ。発現までの時間も遅い。」

 スレートが顔を炎に近づけてきた。

「魔力の流れが不安定なのか、それとも別の要因か・・・。」

 ブツブツと呟きながら、スレートは炎に手を伸ばした。

 危ない!

 僕がそう言おうとした瞬間、スレートの手の中で炎が消滅した。いや、握り潰されたと言ったほうが適切かもしれない。

「温度もさほど高くない。」

 スレートは僕に背を向けると手のひらに残った煤を見ながら、僕から離れていく。

「・・・使え・・・もっと・・・しなければ・・・。」

 ブツブツと独り言を繰り返すスレート。ほとんどの言葉が聞き取れない。

 横にいるフローに目をやるが、両手を広げて頭を左右に振った。僕と同様、フローも聞き取れなかったようだ。

 スレートはその後も、僕とフローに魔法を発動させては、講義中ずっとブツブツと独り言を繰り返していた。。

 こんなんで本当に上達するものなのか、甚だ疑問が残る。

 僕とフローは実習室を出てから顔を見合わせた。フローも意見は同じのようだ。

「学園の皆さんこんにちは。」

「な、なんだ?!」

 突然聞こえた声に、思わず声を上げてしまった。

「これは風の魔道具ですね。空気を圧縮して振動させることによって、遠くまで声を伝えることができる道具です。」

 フローが今にも吹き出しそうな顔で、教えてくれた。世間知らずとでも思われているのだろうか?

 顔が熱くなるのを感じ、僕は手を団扇のようにして顔を扇いだ。きっと傍から見た僕の顔は、先程出した魔法の炎のように赤くなっている事だろう。

「間もなく、新生徒会役員の就任挨拶が始まります。皆さん大講堂に集合してください。」

 誰の声だ?

「ロゼライトさん、シャルロットお姉さまが今季の生徒会会長に就任したんですよ。」

 ということは、今の声はシャルロットと言うことだろうか。

 落ち着いていて、きれいな声だ。それでいて聞いている人を引きつける魅力がある。

 ひとまず大講堂に行ってみよう。

 僕たちが大講堂に着いたときには、講堂内は既に人にあふれていて、外から立ち見をするしか無かった。

 よく通る、きれいな声が講堂内から響いてくる。放送で聞いた声だ。シャルロットと見て間違いないだろう。

「私は、会長という立場となり、この学園を・・・。」

 カリスマ性。

 一言で言うなら、この言葉が当てはまるであろう。シャルロットの一挙一動が僕を含めた皆を惹きつけた。

 不思議な感覚だった。

 目を逸らすことさえできなかった。

「これが、光の王女・・・。」

 言葉の内容など、さほど重要では無かった。彼女が言葉を発しているという事実自体が、奇跡を目の当たりにしたような、そんな衝撃だった。

 シャルロットの後に、他の生徒会役員の挨拶があったようだが、シャルロットの言葉が衝撃的すぎて、あまり覚えていない。

 横に立つフローの表情は、いつもと変わらないように見える。

 慣れている・・・と言うことだろうか。

「そういえば、ロゼライトさん。」

 フローが突然話しかけてきた。

「今日はこのあと何か予定はありますか?」

「いや、特に無いけど。」

 何だろう?また買い物だろうか?

「すっかり忘れていましたが、学園が終わったら王城に来るようにお父様から言付かっています。」

 はい?!

 あんまり意識したこと無かったけど、フローのお父様って王様だよね?

 それ忘れちゃダメなやつじゃないの?

 僕はいったい何をやらかしちゃったのだろうか?

「内容は教えてくれなかったのですが、とにかく来るようにと。」

 やっぱり、アレか?!

 愛娘に近づく男は・・・ってやつか?

 楽しい学園生活もこれで終わり。下手したら、人生終了ってことも・・・。

 僕の気も知らないで、フローは今日もニコニコして楽しそうだ。

「・・・分かりました。一回寮に帰って、支度をしてから向かいます。」

 生きた心地がしないって言うのは、正にこの事だった。

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