声を出さなきゃいけない野球
みずがめ
声を出さなきゃいけない野球
「バッチこーい」
そんなお決まりの掛け声をしているのは野球というスポーツくらいだろう。
野球はメジャーなスポーツだ。ルールがわかんなくたって誰だって聞いたことくらいはあるだろう。
ぼくだって知ってた。
テレビで観たことがあった。それがきっかけだった。ぼくは地元の少年野球チームに入ったのだ。
小学四年生から初めて、今はもう六年生。最上級生だ。
六年生になって、ぼくは初めて試合に出るようになった。
実力というより六年生はぼく含めて九人しかいなかったからレギュラーになれたのだ。よっぽど上手じゃないと下級生はレギュラーになれないようになっている。基本年功序列なのだ。
「バッチこーい」
ぼくのポジションはライト。一番ボールが飛んでこない場所だ。
下手なのは自覚しているのでこんなもんだろうと思っていた。グラウンドに立つだけで胸がドキドキして、それどころではなかったりする。
「バッチこーい」
打球が飛んできてほしいような、きてほしくないような。そんな緊張がぼくの頭をぐるぐると回していた。
「ライト声出せーー!!」
そんな時だった。
怒声が響き渡る。一瞬なんだろうと思った。
そして、ライトにいるのはぼくだってことに気づいて、その怒声はぼくに向かって言っているのだと気づいた。
声を出せ? 何を? ……あっ。『バッチこーい』のことだろうか。
声を出していたつもりだったけど、どうやら届いてなかったみたい。ぼくは息を吸い込んだ。
「バッチこーい!」
気合を入れたつもりだ。これなら声が届いただろう。そう思った。
けれど、
「ライト声出せーー!!」
……。
……ダメ、だったかな。
ぼくに向かって注意しているのは監督でもコーチでもなかった。
キャッチャーだった。ぼくと同い年のこのチームのキャプテンだった。
彼はチームで一番声が大きく、外野の隅にいるぼくの体を震わせるほど大きな声が届いた。
それはつまり、このグラウンド、に響いたということだった。
相手のチームはもちろん、観客の親達にも届いていた。
なんだかとても恥ずかしくて、ぼくはどうしていいかわからなくなった。
「ライト声出せーー!!」
それでも、ぼくに向かって声は飛んでくる。
このまま何も言わないわけにはいかない。ぼくは大きく、大きく息を吸い込んだ。
「バッチこーい!!」
今度こそ、今度こそ届いたはずだ。ぼくは試合の緊張を忘れて、いや、相手チームのバッターすら忘れていた。試合のことよりも、この恥ずかしさから早く抜け出したかったのだ。
でも。
「ライト声出せーー!!」
ぼくに対する注意は止まらなかった。
そんなに声が小さかっただろうか。ぼくの声は君のところまで届かないのか。
キャッチャーを見ると相手のバッターが目に入る。遠目からでも笑っていた。
気づけば敵味方問わず、ベンチから笑い声が聞こえる。何を笑っているかなんて、明らかだった。
ぼくだ。ぼくしかいない。声を出せないぼくを笑っているのだ。
親達も笑っていた。ぼくの母だけが小さくなっていた。
涙が出そうになる。でもがんばらないと何も変わらない。
しっかり大地を踏みしめて、腹から声を出すように意識して。
テレビで観たことのある応援団長のポーズでぼくは必死に声を出した。
「バッチ!! こおぉぉぉぉぉいぃぃぃぃっっ!!」
肩で息をするくらいがんばった。声を出しただけではぁはぁと息をするのがしんどくなった。
ぼくは声を出した。ぼくは声を出した。ぼくはちゃんとやっているんだ!
「ライト声出せーー!!」
ぼくの息は止まった。
これでダメならぼくにできることはなかった。だって今までで一番声を出したんだもの。届かないはずがない。
でも、実際には届いていなかった。
ぼくの声はそんなにも聞こえないものなのか。
ぼくの声は認められない。
ぼくの声を認めてくれない。
力が、抜けていった。
「ライト声出せーー!!」
ぼくはもう何も答えなかった。
「……」
「ライト声出せーー!!」
答えなくたって変わらなかった。
声が届かないというだけで、ぼくは野球ができないのだと思った。
声を出さなきゃいけない野球 みずがめ @mizugame218
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます