第10話 シャンデリア
フェルディナンの手を借りて馬車を降りると、簡素な扉の前に案内された。誰もが知っている豪華な劇場の入口とは似ても似つかない。ジョゼフィーヌは困惑したが、隣に立つフェルディナンが平然としているところをみると間違いではないようだ。
「正面のホールにあるシャンデリアが有名ですが、安全のために、こちらから特別室にご案内させて頂きます」
今日の案内はフェルディナンの側近でもあるエルネストが務めてくれている。
(シャンデリアは見れないのね)
ジョゼフィーヌはシャンデリアを見てみたかったが、フェルディナンの安全には代えられない。
「どうした?」
「何でもありませんわ」
フェルディナンに視線を向けられて、ジョゼフィーヌは落胆した気持ちを隠して笑顔を作った。
フェルディナンのエスコートで特別室に入ると、部屋の中には軽食が用意されていた。開演時間になるまでは、この部屋で待つようだ。
「この劇団の創設は今から100年ほど前まで遡ります。当時は……」
ジョゼフィーヌはエルネストの劇団に関する豆知識を聞きながら過ごした。相変わらずフェルディナンは無表情で、黙って紅茶を飲んでいるだけだ。
「そろそろ、座席に移動しましょう」
エルネストの興味深い話を聞いていると、あっという間に時間が経っていた。
「エルネスト、正面ホールを通って座席に向う」
特別室に入ってから、ほとんど喋らなかったフェルディナンがそう言って立ち上がる。
「殿下、警備の関係もありますし……」
「ぎりぎりに入れば、人は多くないはずだ」
「……畏まりました」
エルネストは困った顔をしていたが、すぐに切り替えたのか護衛と二言三言交わしてから、ジョゼフィーヌたちを誘導した。
フェルディナンもシャンデリアが気になっていたのかとも思ったが、隣を歩くフェルディナンは迷いなく歩いているので、この劇場には来たことがあるようだ。
角を曲がると廊下の先には扉があり、そこをくぐると天井の高い広々とした空間に出た。きらびやかな雰囲気から、ジョゼフィーヌにも正面ホールであることが分かる。
「素敵ですね」
「ああ」
演目に合わせて300年ほど前の雰囲気に飾り付けられたホールは、ジョゼフィーヌをその時代へと案内してくれる。ジョゼフィーヌは過去の世界の中を、フェルディナンにエスコートされて歩いた。
開演ぎりぎりということもあって、フェルディナンの言葉どおり、人は疎らだ。居合わせた人々も、驚いたようにフェルディナンを見たあとは、何事もなかったかのように振る舞ってくれている。
ジョゼフィーヌはその様子を横目で見ながら正面ホールの階段の下までやって来た。ジョゼフィーヌが憧れていたシャンデリアは、存在感のある階段の真上にあった。
ジョゼフィーヌはフェルディナンとともに赤い絨毯が敷かれた階段を登りながら、シャンデリアを見上げる。
フェルディナンは自分から言い出したわりには、シャンデリアに興味がなさそうだ。自惚れかもしれないが、ジョゼフィーヌに見せるために正面ホールに回ってくれたのかもしれない。そう思うと、ジョゼフィーヌは温かい気持ちになった。
シャンデリアは想像していたものよりずっと大きくて、近づくとガラスでできた装飾がまるで宝石のように見える。
(きれい……)
職人が技術を駆使して削っているのだろう。すべて透明なガラスのはずなのに、光に反射して色とりどりに輝いていた。
視線を感じてフッとそちらを見ると、フェルディナンが、ジョゼフィーヌを眩しそうに見つめていた。不意打ちの柔らかい表情に、つい見惚れてしまう。
(きゃっ!)
ジョゼフィーヌはフェルディナンに気を取られて、階段を踏み外しそうになった。傾いたジョゼフィーヌの身体を、フェルディナンが危なげなく支えてくれる。寄りかかっても、ビクともしない腕が心強い。
「殿下、ありがとうございます」
「気をつけろ。怪我はないか」
「はい、大丈夫です」
フェルディナンは先程の顔が幻だったかのように無表情だ。それでも、再び歩き出したフェルディナンは、ジョゼフィーヌに危険がないように、腰に腕を回して支えてくれている。ジョゼフィーヌは赤くなった顔を隠しながら平静を装って歩いた。
「シャンデリア、綺麗ですね」
「ああ。意匠はもちろん異なるが、同じ工房で作ったシャンデリアが王宮の中にもいくつかある」
「まぁ、そうなのですか?」
「ああ、今度……いや、なんでもない」
「殿下?」
不自然に言葉を切ったフェルディナンをジョゼフィーヌは見上げるが、フェルディナンは何事もなかったかのように前を向いてしまった。ジョゼフィーヌは、それ以上声をかけられなくて並んで歩く。
フェルディナンは周囲の邪魔にならない程度にゆっくりと階段を登ってくれている。ジョゼフィーヌがシャンデリアを見やすいように気を遣ってくれているのだろう。
その配慮は嬉しかったが、フェルディナンはジョゼフィーヌがまた躓くと思っているようで、チラチラとジョゼフィーヌを見ているし、腰をしっかりと抱き寄せられたままだ。ジョゼフィーヌは、すぐ近くにある萌木色の瞳が気になって、シャンデリアを眺めるどころではなくなってしまった。
「こちらにどうぞ」
エルネストに案内されて、ジョゼフィーヌはゆったりとしたソファーにフェルディナンと並んで座る。王族用に作られた席なので、高い位置にあり舞台全体をよく見渡す事ができる。ジョゼフィーヌは腰に回されたフェルディナンの手が離れて、気持ちを仕切り直せるかと思ったが、大きめのソファーなのに、肩がぶつかりそうなほど、フェルディナンとの距離が近い。
ジョゼフィーヌは笑顔を貼り付けたまま固まるが、こちらをさり気なく見ている観衆の前では離れるわけにもいかない。これまでの数年を考えると近すぎる距離は嬉しくもあるが、ジョゼフィーヌの心臓は落ち着く暇がない。結局、ジョゼフィーヌはフェルディナンの存在を強く感じながら劇を観賞することになった。
ストーリーは王道の身分違いの恋で、王子様に憧れを抱きながら思い悩むヒロインの気持ちを代弁した歌は、本当に悲しげで切なく劇場に響いた。ヒロインと王子様が気持ちを確かめ合うシーンでは、薔薇が舞い、香りを炊く演出もされていて、ジョゼフィーヌはうっとりしてしまう。
フェルディナンは上映中、何度もジョゼフィーヌの方を見ているようだった。ジョゼフィーヌは何か自分が失敗してしまったかと思って、淑女らしさを崩さないよう気をつけてながら観賞したが、もしかしたら、恋愛劇はフェルディナンには退屈だったのかもしれない。
フェルディナンが楽しめたのかは不安だが、ジョゼフィーヌに合わせて演目を選んでくれたのだと思うと幸せな気持ちになった。
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