第9話 思わぬ誘い

 いつもの緊張感漂うお茶会が終わり、ジョゼフィーヌは密かに息を吐き出した。フェルディナンとはあまり話せなかったが、失礼はなかったはずだ。


 今日もフェルディナンは王子様らしい立ち振る舞いで非の打ち所がなかった。出会った頃は表情に幼さも残っていたが、今は背もぐんと伸びて精悍な顔つきに変わっている。そんなフェルディナンの萌木色の瞳に真っ直ぐ見られると、ジョゼフィーヌはどうしても緊張してしまう。


 だから、ジョゼフィーヌはお茶会が終わって去っていくフェルディナンの背中を眺めるのが好きだった。目も合わないし、見送りしていると思えば、さほどおかしくもない。


 フェルディナンは護衛騎士に混ざって訓練をしているからか、一見細く見えるが程よく筋肉がついていて、本物の騎士のようだ。


 あの腕に守ってもらえたら、どんなに幸せだろう。ジョゼフィーヌはそんなことを考えてしまって顔を赤くする。


 フェルディナンは、そのまま行ってしまうと思っていたのに、なぜか、くるりと方向転換して戻ってきた。


 ジョゼフィーヌは予想外の行動に驚いてビクンと肩を揺らしてしまう。


(淑女らしくなかったわ)


 心の中での反省も王宮に出入りするようになってから、癖のようになってしまっている。


「今度、観劇に行く。そのつもりでいろ」


 ジョゼフィーヌの目の前まで来たフェルディナンは、ジョゼフィーヌの戸惑いなど気づいていないかのように無表情だ。


「観劇ですか?」


「そうだ」


 ジョゼフィーヌは詳細を聞こうと思ったが、ジョゼフィーヌが何か言う前に、フェルディナンは背中を向けて、さっさと歩いていってしまった。


(観劇に行く? 誰が誰と?)


 ジョゼフィーヌは夢じゃないかと思いながら屋敷に戻った。



 数日後、フェルディナンから、きちんとお誘いの手紙が届く。


 整った読みやすい文字は、ジョゼフィーヌにとっては見慣れたもので、すぐにフェルディナンの直筆だと分かった。フェルディナンは態度は冷たいのに、こういうときには人に任せず丁寧だ。ジョゼフィーヌは、フェルディナンに大切にされているかのような錯覚を起こして、いつも困ってしまう。


 手紙は今まで貰ったものと一緒に箱の中に大切にしまって、フェルディナンへは『楽しみにしています』とお気に入りの紙とペンを使って返事を書いた。


 その日からは、ジョゼフィーヌは大慌てで準備に取り掛かった。またとない機会だ。フェルディナンをガッカリさせたくないし、できればジョゼフィーヌに興味を持ってもらいたい。ジョゼフィーヌは皇太子妃教育から帰ったあと、屋敷で観劇についてのマナーをおさらいし、ドレスも新調した。



 あっという間に当日になった。ジョゼフィーヌは実父のお守りを裏地に縫い付けたドレスを着て玄関へと向かう。しばらくして、トネリコバ侯爵家の別邸に王家の紋章が入った豪華な馬車がやってきた。馬車が止まると、すぐに中からフェルディナンが出てくる。


(夢じゃなかったのね)


 フェルディナンとは、ずっと王宮でのお茶会でしか会っていなかった。自分の暮らす屋敷の前にフェルディナンが降り立つなんて、ジョゼフィーヌにとっては信じられない出来事だ。


 フェルディナンは王族らしく着飾っていて、いつも以上にキラキラしている。フェルディナンの歩いてくる姿に、ジョゼフィーヌは思わず見惚れてしまった。


「ジョゼフィーヌ?」


 フェルディナンに呼ばれて、ジョゼフィーヌはハッとする。淑女らしい笑みを作ってフェルディナンに挨拶した。


「殿下、迎えに来て頂いてありがとうございます」


「ああ」


 フェルディナンは相変わらず素っ気ないが、ジョゼフィーヌがドレスでも歩きやすいように馬車までエスコートしてくれた。ジョゼフィーヌを導く手は、とても優しくてドキドキしてしまう。


(観劇の間、殿下は隣にいるのよね。わたくし、大丈夫かしら?)


 ただでさえ憧れの観劇なのに、隣にいるのは本物の王子様。ジョゼフィーヌは自分の心臓が保つのか心配になった。



 ジョゼフィーヌがフェルディナンと一緒に見ることになったのは、この国の中でも一番大きな劇団の公演で、知らないものはいないほど人気がある。


 劇団が所有している劇場のシャンデリアは王族でも見惚れるほどの美しさだと有名だ。ジョゼフィーヌもまだ男爵令嬢だった頃から噂を聞いて憧れていたが、人気が高いため、庶民にチケットは回ってこない。観に行った人の話を聞くことはあったとしても、ジョゼフィーヌ自身が観劇する日が来るなんて思ってもみなかった。


 ジョゼフィーヌは内心浮足立っていたが、澄ました顔で座るフェルディナンを目の前にして、顔に出すわけにもいかない。ジョゼフィーヌはウキウキした気持ちを必死で隠して馬車に揺られていた。

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