第6話 婚約の成立

 ジョゼフィーヌは、上機嫌なトネリコバ侯爵にエスコートされて、王宮の廊下を歩いていた。今日はジョゼフィーヌとフェルディナンの婚約の調印式が、皇帝立ち会いのもとで行われる。


 お茶会の後、王宮から侯爵家へ届けられた手紙により、ジョゼフィーヌはフェルディナンの婚約者に内定した。今日、正式な調印を済ませれば、ジョゼフィーヌは誰もが羨む皇太子の婚約者となる。


 侯爵をはじめ教師たちも喜ぶ中、ジョゼフィーヌは、なぜこうなったのか分からず戸惑っていた。


(ほとんど話もしなかったのに……)


 お茶会での出来事を思い出すと、ジョゼフィーヌは首を傾げるしかない。



『誰よりも目立ってこい。皇太子に認識されなければ始まらない。今日のために、お前を教育してやったんだ。分かっているな』


 子供だけのお茶会の会場まで、エスコートしてくれた侯爵は、ずっと、そんなことを言っていた。


 教育を受けた恩があるので、ジョゼフィーヌはその言葉を受けて、気合を入れて会場へと入った。しかし、会場で本物の令嬢たちを見て、その気合はすぐに萎んでしまった。


 最高の教育を受けたジョゼフィーヌだが、やはり生まれながらのご令嬢と比べると、付け焼き刃だ。侯爵家の別邸で共に学んだ2人とは並ぶくらいのマナーを身に着けたと自負していたが、家の代表としてお茶会に出席する者と比べると見劣りする。きちんと学んだが故に、それがすぐに分かってしまったのだ。


 とにかく、惨めになりたくなくて、ジョゼフィーヌは令嬢たちから視線を外した。そして、その先にあった薬草園が目に入り、薬草に夢中になってしまったのだ。


 少しぽっちゃりした少年ピエールとは楽しく会話をしたが、フェルディナンには挨拶をしただけだ。


 フェルディナンはお茶会の終盤になって、やっと会場入りし、招待客全員の挨拶を順番に受けると、すぐに帰ってしまった。笑顔を貼り付けてはいたが、お茶会を楽しんでいたようには思えない。


 フェルディナンと話ができたと喜んでいるご令嬢もいたが、特別に親しく話していた者などいなかった。ジョゼフィーヌの見立てでは、このお茶会では婚約者は決まらないだろうと思っていたのだ。



「どうぞ、お入りください」


 ジョゼフィーヌがお茶会を思い出している間に、謁見の間に到着していた。近衛騎士にうやうやしく扉を開けられて、王族の方々が待つ部屋の中へと侯爵とともに入っていく。皇帝と侯爵との格式張ったやり取りが行われ、最後に侯爵がジョゼフィーヌを皇帝に紹介した。


「陛下、娘のジョゼフィーヌでございます」


「トネリコバ侯爵の娘、ジョゼフィーヌ・トネリコバと申します」


「そなたがジョゼフィーヌか。美しい娘だ。フェルディナンが、どうしてもと望んだのも頷ける。望みが叶って良かったな、フェルディナン」


(殿下がわたくしをお望みになったの?)


 皇帝の言葉に驚いて、ジョゼフィーヌが思わずフェルディナンを見上げると、フェルディナンに微笑みかけられた。


 輝く金色の髪に新緑のような萌木色の瞳。幼さは残るものの12歳とは思えないほどフェルディナンには色気がある。初夏のような爽やかな瞳がジョゼフィーヌを映していると思うと、それだけで、ジョゼフィーヌは恥ずかしくなって慌てた視線を反らした。


「父上、このような場でからかわないで下さい。ジョゼフィーヌ嬢も困っている」


「許せ、フェルディナン。お前の婚約が滞りなく成立して、私も嬉しいのだよ」


 フェルディナンのジョゼフィーヌに向ける表情は、お茶会のときとは違って本物の微笑みだったように思う。


 お茶会から婚約までの速さを考えるとジョゼフィーヌを選んだのはフェルディナン自身だろうと侯爵は推測していた。ジョゼフィーヌは夢みたいな話だと聞き流していたのだが……


 あの美しい皇太子が、他でもないジョゼフィーヌを選んでくれた。そう思っても良いのだろうか。


 ジョゼフィーヌが再びフェルディナンに視線を向けると、フェルディナンは皇帝に選ばれた見届け人に促されて婚約の書類にサインをしているところだった。サインをする姿も歩いている姿も、フェルディナンの所作は一つ一つが洗練されている。ジョゼフィーヌは無意識にフェルディナンを目で追っていた。


「トネリコバ侯爵令嬢。こちらにお願いいたします」


 見届け人に呼ばれて、ジョゼフィーヌは緊張しながら調印台に向かう。婚約の書類には、すでにフェルディナンの美しいサインがされている。


 選んでくれたフェルディナンに恥ずかしくない立派な令嬢になろう。お茶会のときのような劣等感は、もう持ちたくない。ジョゼフィーヌはそんな決意を胸に、フェルディナンの名前の下に自分の名前を記入した。

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